しかし数年前、ぎょっとしたことがある。
「タチ」という野生馬の話を読んだ時のことである。
野生のモウコ馬がイギリスから生れ故郷のモウコまで、
海まで渡ってひたすら帰りつく実に感動的な話であった。
私はすぐ泣く人だから、もう涙ぐちゅぐちゅである。
そして、私は、そのモウコ馬になって生きたいと思ったのである。
本を読むよりは、本当のモウコ馬になって生きて死にたいと思い、
読書というのは実に空しいと思ったのである。
一冊の本を読む必要もないほど、
かけ抜けるように生きられたらどんなにいいだろう。
わたしは馬になりたかった。
佐野洋子 新潮文庫「がんばりません」P266より
先日、「百万回生きたねこ」の作者、
佐野洋子さんがお亡くなりなった。
佐野さんはひとり息子さんを出産した時、
その子が老人になって死ぬときに、
看取ってあげられない悲しみで、
大泣きしたそうだ。
わたしもそうだった。
かけぬけるような人生をもてず、
ぼんやりと本を読んでしまうわたしに、
珠玉のエッセイを遺してくださって、
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。
「タチ」という野生馬の話を読んだ時のことである。
野生のモウコ馬がイギリスから生れ故郷のモウコまで、
海まで渡ってひたすら帰りつく実に感動的な話であった。
私はすぐ泣く人だから、もう涙ぐちゅぐちゅである。
そして、私は、そのモウコ馬になって生きたいと思ったのである。
本を読むよりは、本当のモウコ馬になって生きて死にたいと思い、
読書というのは実に空しいと思ったのである。
一冊の本を読む必要もないほど、
かけ抜けるように生きられたらどんなにいいだろう。
わたしは馬になりたかった。
佐野洋子 新潮文庫「がんばりません」P266より
先日、「百万回生きたねこ」の作者、
佐野洋子さんがお亡くなりなった。
佐野さんはひとり息子さんを出産した時、
その子が老人になって死ぬときに、
看取ってあげられない悲しみで、
大泣きしたそうだ。
わたしもそうだった。
かけぬけるような人生をもてず、
ぼんやりと本を読んでしまうわたしに、
珠玉のエッセイを遺してくださって、
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。