雨ニモマケズ――37年後の前途 | 曽根賢(Pissken)のBurst&Ballsコラム

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元『BURST』、『BURST HIGH』編集長の曽根賢(Pissken)のコラム

[鬼子母神日記]



[シングル小説『The SHELVES』ジャケット写真――女優・原節子(『晩春』)より]


前回のブログで大切なことを書き忘れてしまった。
シングル小説が、以下の「ディスクユニオン」の店舗で発売中であることだ。

御茶ノ水駅前店/新宿パンクマーケット/渋谷パンク・ヘヴィメタル館/下北沢店/通販センター

どうか足を運んで買っていただきたい。

また、
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(新大久保ネイキッド・ロフトにて19時30分開演。ゲストは、末井昭&頭脳警察PANTA両氏)
●シングル小説PV
――については、ぜひ前回のブログを読んでください。
尚、もちろん、イベント会場でシングル小説を販売します。
署名等は声をかけてください。



6月1日(月)鬼子母神は雨。

小雨模様の午後2時。
約束通り、幼なじみの明夫とSが部屋へ遊びに来た。
Sが部屋に来るのは初めてだ。

明夫は、一緒にエロ本『素人娘一流品図鑑』(発禁)を編んでいた元相棒。
Sのことは、以前ブログに、「これから日本の夜は長くなる」と題して書いたことがある。
明夫とSは従兄弟同士でもある。

「おもしろい映像が見つかったからさ。Sと一緒に、ケンの部屋で見ようぜ」

昨日の午後、明夫がそう電話をかけてよこした。
なんでも、田舎のKより、1枚のCD-Rが送られてきたという。
中身はなんと、今から37年前、私たちが中学1年生の5月に、小学6年生のときのクラスメイトと遊びに行った際の、8ミリ映像だという。

池袋のデパ地下で買ってきたという、まだ温かい串カツとレバー・ソーセージが皿に盛られる。付け合せは、山盛りの千切りキャベツ。
それと、Sがカミさんに作らせたという「マイルス家秘伝チリ(コンカーン)」を肴に、まずは、パイント・グラスで黒ビールを呑む。

串カツは1人に3本。レバー・ソーセージは2本。
チリはリングイーネの上にたっぷりとかかっている。
喰いでがある。
串カツに辛子をつけ、ウスターソースをかけて頬張る。豚肉の脂と玉葱がとても甘い。
レバー・ソーセージにかぶりつくと、ネットリとした肝に粒胡椒が効いて、黒ビールが進む。

「このチリはさ、マイルスの親父が得意にしてたチリでさ、マイルス家のレシピ通りに作らせたんだ。だから、マイルスを聴こうぜ」
そう言ってSは、マイルス・デイヴィスの『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』のCDを差し出した。
Sも私も、その頃の彼の「冷たい」音が好きだ。マイルス「ヘロイン時代」の音。

PCからマイルスを流しながら、「マイルス家秘伝チリ」を賞味する。
「これがマイルスのソウル・フードかあ、さすがにゴージャスだな。旨い」
「愛情に満ちてるだろう」
「ああ、たっぷり。マイルスって、育ちが良かったんだなあ」

以下はそのレシピだ。
(さっきSが、3回に分けてショートメールで送ってくれた。私の「ピンク色」のガラ系は普通のメールが出来ない契約となっている)。
これを読むと、マイルスの父親同様、Sのカミさんの愛情がたっぷりなのがわかる。

「ベーコン脂で大きめのガーリック3片を炒める。グリーンピーマン、レッドピーマン各1個、牛赤身の挽肉2ポンド(約900グラム)を加え、クミンシード小さじ2、マスタード瓶1/2本、酢をショットグラス1/2杯、チリパウダー小さじ2、塩こしょう少々で味を調える。インゲン豆、トマト水煮1缶、ビーフストック1缶を加え煮込む。それを茹でたリングイーネにたっぷりかける」
(ジョン・スウェッド『So what マイルス・デイヴィスの生涯』丸山京子訳/シンコー・ミュージック)

ブルーの蒸気のように、低く遠く響くペットの音に首を巻かれながら、お互いの近況を語り、馬鹿笑いし、串カツを喰い、ロング缶の黒ビールを3本ずつ空けたあと、やはり2人が買ってきてくれた日本酒に切り替えた。

3人とも宮城県人であるから、酒は宮城の「一ノ蔵」純米を。
冷のコップ酒で。
そこで私は、用意していた肴を出した。

●取っておいた「山わさび」を、2人の前ですりおろし、冷蔵庫で冷やしておいた大根おろしの鉢に盛ったもの。ポン酢をかけて。

●茄子の糠漬けを薄切りし、ミョウガの薄切りと和えて冷やしておいたもの。味噌を添えて。
「ものの本によると、ミョウガと味噌は回春剤となるらしい」

●種をぬいて叩いた梅干と、山わさび、それと花鰹を椀に入れ、お湯を注いだ吸物。生醤油を垂らして。

「みんな旨いけど、この肴で、なんとなくケンの普段の食生活がわかるね。ちゃんと食べてるのか? そんなに痩せちゃってさ。普段なに食べてるの?」
と、Sが聞く。
「納豆に、卵、豆腐、梅干、糠漬け、味噌汁がオカズのメインかなあ。ときどき隣の兵庫くんて漫画家が、具だくさんの煮込みを差し入れしてくれる。米はさあ、岩手のKさんていう醤油屋の若主人が送ってくれたんだ。もう、あと3合ほどしか残ってないけど。俺って、いっぺんに2合とか食っちゃうから」
「お前の食卓って、宮沢賢治の雨ニモマケズかよ」
「だって、俺のケンは宮沢賢治から付けられたんだから当然だろ」
「さいですか。ケンは長生きするよ」
「バカな。痩せてるのは糖尿病のせいだろ。ダチからもらったリトマス試験紙みたいな糖尿の検査紙に、3日くらい前、オシッコかけたんだ、紙の先の黄色い部分に。そしたら、あっという間に、黄色が黄緑に緑に変わって、最後は限りなく黒になっちゃったよ」
「ひどいね、そりゃ……まあ、おれもケンのこと言えんけどさ」
Sもアル中で、去年「アルコール性重症膵炎」で入院している。私は入院3回の「慢性膵炎」である。当然、「糖尿病」だ。

外の雨が、しだいに強くなってきた。
さっきまで蒸していたのが、急に涼しくなってくる。
風も唸ってきた。

『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』が終り、Kから送られてきたというCD-RをPCにセットする。
すぐに、モノクロの映像が流れる。

10人ほどの坊主頭の男の子たち(我らの中学は強制坊主)と、5人ほどの女の子が、カチャカチャと機械仕掛の人形のように、もつれ合って動き回っている。
8ミリ・カメラで撮ったものをCD-Rに焼いた映像で、無音だ。
場所は、市内から10キロほど離れた山の中にある公園らしい。
往復はバスだったのだろう。

「あれって俺か?」
土手に並んだ仲間たちの中心から、真っ先に頭からこぼれて、カメラに向かって転がり落ちてくるガキは、まさしく私であった。
まったく、当時から悪目立ちした、不細工なクソガキだ。
私は顔をしかめた。酒がまずくなる。

時は1977年の5月末。
私とSは12歳、4月生まれの明夫は13歳。
私たちにとって、これが唯一の、子どもの頃の映像となる。
当時、家庭用ビデオ・カメラは(おそらく)出回ってなく、8ミリ・カメラだってそうとう高価なものだった。
8ミリを回している土建屋の息子のKは、町一番のお屋敷に住み、その庭には大きな池があって、錦鯉がうようよ泳いでいたのを憶えている。
が、Kは正しく「3代目」として土建屋を潰し、現在は叔父の工務店で働いていると聞く。

「おそらく、みんな中学に入ったばかりで、5月病だったんだろうな」(S)
「ああ、だから淋しくて、6年のやつらと集まったんだ」(私)
「それにしても、みんなちっちゃいなあ。声変わり前の声が聞きたかったね」(明夫)

公園での映像は3分ほどで終り、次になぜか、広い田んぼが映った。
その中央に、1本の農道が真っ直ぐに伸びている。
画面の真ん中よりやや上部に、低い土手が真横に走っている。
田舎のうちの町を通る、陸羽東線という単線だ。
その線路の土手向こうに建物はなく、黒々とした雨雲が、画面の上いっぱいを占めている。
雨が降っている。
そして、画面の中心に、坊主頭の少年がいる。
傘もささず、背を向けて、少年はひとり、農道を土手のほうへ歩いて行く。

思わず、息を呑んだ。
間違いない。
あれは12歳の俺だ。

「フィルムが余ったから、家の前で、ケンが帰る姿を撮ったんだってよ」
と、明夫が画面から視線を外さずにつぶやく。
そういえば、土建屋のKの屋敷の玄関は、カメラの左隣にあったはずだ。

低い土手向こうには、私の育ったスラム団地がある。
しかし、そこまではだいぶ距離があり、団地の姿は土手にさえぎられ見えない。
現在は、土手の手前も向こうも、住宅がぎっしりと建っているが、当時は田んぼがどこまでも広がり、まるで団地は「田んぼの海の孤島」のようだった。
(やはり幼なじみの親友である呉服屋のTは、「当時、ケンの団地に行くのは怖かったなあ」と白状したことがある)

12歳の私は、家に帰るために農道を歩いている。
雨にうたれ、やや猫背になって。
しかしこの映像は、とても家に帰る少年の後姿には見えない。
土手の向こうに、家があるとは思えない。
いや、少年が「家に向かって歩いている」ようには見えないのだ。

土手の向こうに見えるのは、禍々しいほどに黒く渦巻く雨雲ばかり。
その下には黄緑色の水田は広がっておらず、どこまでも、石ころだらけの荒地が広がっている――ように思える。

「こいつの前途には、まさに暗雲が立ちこめているな」
せいぜい軽い口調で言ったつもりだが、明夫もSもむっつりとして応えない。
カメラは小刻みに揺れながらも、なおも遠ざかる12歳の私の後姿を追っている。

「おそらくKは、見届けたかったんだろうな」
ボソッとKが言う。
「何を?」
「ケンがあの土手を越えて消えるのをさ」
「………」
「ああ、そうだな。おれも見たいもの」と、明夫が明るく言う。
「Kもガキのくせに、風流なこった」と、私は応えた。

「それにしてもKのやつ、なんで傘を貸してくれなかったんだろう」
ぼやいた途端、ふと思い出したことがあった。
そうか、あれは、この直前か直後のことだったはずだ――。


野球部の練習がなかったのだから、おそらく中間試験の前か試験中だろう。
その日の放課後、12歳の私は、なぜか1人きりで学校の裏門を出た。
記憶の裏門に、人の姿はない。
ただ、雨が降っていた。そして私は、傘をもっていなかった。
が、かまわず歩き出した。
おそらく、今見ている映像のように、猫背姿で雨にうたれて。

30メートルほど歩いたところで、不意に薄緑色の傘が差しかけられた。
見れば、制服姿の女である。
それも、女子高校の制服だ。
私は身をギュッと硬くした。

どんな会話をしたんだろう。
憶えているのは、彼女の肩と私の肩が同じ高さにあったこと。
(当時の私の身長はおそらく、156センチほどだ)
だから、とても顔を見れなかったこと。
彼女は高校1年生だったこと。
私の話によく笑ってくれたこと。
いい匂いがしたこと。
彼女の弟が私と同級生だったこと。

彼女の家の前で別れた。
彼女は傘を貸そうと、何度も私を引き止めたが、私はもう近いからと振り切り、団地までの800メートルを走って帰った。
興奮していたので、雨が気持ちよかったことも憶えている――。


坊主頭が土手を越すまえに、8ミリ映像は切れた。
3人ともしばらく、黙ったまま酒を口にした。
6畳間に、なんとも言えない緊張した雰囲気が残っていた。

「不穏で、ヒロイックな映像だったな。それも8ミリってとこがいい。土手を越して消えるまであったら、なにかのPVに使えたかもな」
Sがそう言って、また最初から映像を流した。
外の雨がまた一層強くなり、窓から雨粒が吹きこんでくるので、サッシ窓を閉めた。

私は彼女のことを話した。
「あれが女の匂いを意識した最初だな。相合傘したのも、あのお姉ちゃんが最初だよ。いま、どうしてるかなあ。また、傘を差しかけてくれないかなあ。今も雨にうたれてる50歳にさ」
そう言うと、ようやく場がなごんだ。

しかし、彼女が同級生のMの姉だったと伝えると、ふっと2人の顔に影が差した。
2人で顔を見合わせ、陰気にうなずいた。
「どうした?」
「Mのお姉ちゃんは、死んだよ。おれも明夫も中1のとき、Mとクラスが一緒だったから知ってる」
「いつ?」
「おれたちが、中1の秋」
「中1の秋って……まさか」

明夫もSも、死因である病名までは知らなかった。
だいぶ以前からの難病だったらしい。
もしかしたら私は、彼女にとって、相合傘をした最初で最後の異性になるのかもしれない。
死ぬ前に、俺の顔を思い出したかもしれない。

彼女の顔を思い出そうとしたが、無駄だった。
「あれから、37年も経ったのか」
また、無音の画面に、少年の後姿が映った。
土砂降りとなった雨の音が、その後姿にかぶる。

「こいつに、傘を差しかけてくれる彼女は、もういないのかあ」
私は呑気な口調を作って言ってみた。
2人は薄ら笑っただけで、何も言わない。

画面の少年は、1度も振り返らない。
まるで「前途の暗雲」へ、闇雲に突っ込もうとしていかのようだ。
いや、まさか。
こいつには先のことなど、なんにもわかっちゃいないんだ。

黒く渦巻く雨雲の下、土手の向こう真っ直ぐ450キロ先に、「東京」があることを。
その土砂降りの中央に、この七曲りの部屋があることを。
そしてこうして、お前の後姿を見ながら、50になる男たちが、激しく妙に厳粛な、雨の音にうたれて酒を呑んでいることを。
こいつはまだ何も知らない。

「さあ、歩け。この部屋まであと37年だ」
私の言葉に、明夫とSは笑った。そしてコップを手にした。
私は2人に酒をついだ。
自分のコップにもなみなみとついだ。
そして私たちは、少年の後姿に、その猫背に向かって乾杯した。

「俺たちの青春は、まだ7日はある」
少年の「前途の暗雲」が、まだ今少し続くことを信じて。
このヒロイックな気分が、まだ今少し続くことを信じて。
50男たちはコップの酒を呑み干した。
雨はますます強く、窓を叩いた。


それから2時間後、雨が小降りになったのを見て、私たちは池袋の呑屋へ向かった。
傘がないので、3人とも濡れて歩いた。
酒に火照った頬に、雨が気持ちよかった。

「傘を差しかけてくれなくてもいいよ。その代わり、一緒に雨に濡れて歩いてくれ。こいつらのように」

雨はまた、少し強くなりはじめた。
見上げると、池袋の空には雨雲が渦巻き、真っ暗である。
私はあくまで、センチメンタルな、ヒロイックな、陽気な気分のまま、闇雲に暗雲の下へ突っ込んでいった――。


翌2日未明。
3軒目の呑屋の座敷で、大学生6人と乱闘になる。
理由は「相合傘の是非」についてだったような。
最初に手を出したのは私だった。
見物していた明夫とSに助けられ、タクシーで七曲りの部屋へ。



で、こんな面相となった。
18日のイベントまで、とても治りそうにない。
当日は、日傘で顔を隠して、新大久保まで歩こうか。


おやすみなさい。
よい夢を。



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