[鬼子母神日記]
5月10日(日/母の日)鬼子母神は晴れ。
このブログをアップしなかった3月末からゴールデンウイーク最終日までの1カ月半、私は去年の「悪夢の黄金週間」と同様、連続飲酒に陥っていた。
ただし、去年の3週間に及ぶ連続飲酒期間中、私は酒を買うとき以外、この鬼子母神七曲りの6畳から一歩も外へ出はしなかったし、雨戸も閉めっぱなしだったが、今回はけっこう独りぶらぶらと外を出歩いた(雨戸は閉めたことがなかった)。それどころか、人と会って「仕事」までした日さえある。
もちろん終日、酒は手放さなかった。目覚めた途端にテーブルのボトルをラッパ呑みし、外をぶらつくときも、電車やバスに乗っているときも、印刷所でシングル小説の紙や製本の交渉をするときも、常に尻ポケットにはウイスキーの小瓶が突っ込んであったし、紙袋に包まれた焼酎や安ワインのボトルを握っていた。
(それらの金の出処は、原稿料もあったが弟からの借金が主である)
実は、今春の連続飲酒が始まって早々に、「なぜこの時期に酒に溺れてしまうのか?」が、私なりに理解できていた。
この時期、鬼子母神七曲りの路地に住む野良猫26匹は、連日夕闇が垂れてから明け方まで、気違い沙汰のもだえ声を上げ続け、そこらかしこで取っ組み合っている。
そう、つまり50歳の私も、その鳴き声に感応し、野良猫同様「サカリ」がついてしまうらしいのだ。しかし、その興奮や欲情をぶつける相手がいない。ゆえに、欲求不満から酒に溺れてしまうのである――と、我ながら明晰に了解した。が、了解したところで私の飲酒を止める「相手」はやはりいないので、連続飲酒は結局1ヶ月半にも及ぶこととなったのだ。
野良猫たちのサカリ声がピタッと止んだのは、つい昨晩からである。
体重は思ったより減っておらず(去年は54キロまで減ったが)、夕べ銭湯の体重計で量ると、57キロを針は指していた。
今日で禁酒4日目。今さっき、田舎に独居する母親に電話し「金を送ってくれ」と言った途端、ガチャ切りされた。
今年は、七曲りの路地に、何匹の猫が増えるだろう。
この七曲りはまるで「猫盛りの路地」である。
それは、今季「連続飲酒」開始数日後の、3月末から4月頭のうちの某日某所早朝のことであった――。
顔面になにやら、ひらひらと降りかかる感触に目覚め、瞼(まぶた)を開くと、それは桜の花びらだった。
天蓋のように覆った桜花のすき間から、青空の細かな切れ切れが散らばって見えた。
「どこだ?」
そう、呟いたつもりだったが、かすかに息が漏れただけである。
なにやら口の具合がおかしい。
歯科医で麻酔を打たれたときのようだ。
身をよじってみる。
尻が冷たい。
片手をつき、からだを起こした。
手のひらが湿った土にじわりと沈んだ。
冷たいはずだ。下半身は何も身につけていない。
性器と陰毛が、桜の花びらでデコレーションされていた。
右足のソックスは、土踏まずにどうにか引っかかっており、左足の指の間の土は灰色に乾いている。
「なんで、こんな場所に、こんな格好で、俺は寝ているんだ?」
泣き疲れた子供のように、視界のどこにも焦点を合さず、しばらく凝っとしていた。
頭の調子がおかしい。
考えが滑って前進しない。
まるでステンレス製の靴を履いて、氷上を歩いているみたいだ。
これは、ただの二日酔じゃない。
ふと、以前にも、こんな頭の状態になったときがあったことを思い出す。
あれは、そのころ付き合っていた女が持っていた、不安神経症の薬を飲んだときのことだ。それが頭の働きを強制的に鈍らす薬とは知らず、安易に抗鬱剤的アッパー作用を期待していた私は、たった5錠で2日間も布団から起き上がれなかった。
その間、私は漠然とした不安を感じながら、電池切れのオモチャのロボットのように、黙念と天井を見つめているしかなかった。
腕時計を見ると、針は7時5分前を指している。
前夜からの記憶がまったくない。
最後の記憶は――初めて入ったカウンター・バーで、ギネスを呑んでいた場面だ。
あれは、確か夜の8時ごろだったはずだ。
酒で記憶を失くしたことは何度もある。が、その場合も、飛び石的に思い出せる場面はあった。こんな風に、徹底的に記憶がないなど初めてのことだ。
「いや、あったか。あれは、オカマのY美と……」
見渡すと、そこは墓地だった。
それも、1978年の宮城県沖地震の直後に、中学生の私が見た、地元の墓地とそっくりの光景だった。
私の周囲、半径10メートル内の墓石という墓石がみんな倒れている。
眼の前の墓石など、五つくらいに割れ、刻んだ家名さえ分からない。
眠っている間に、また、大きな地震でもあったのだろうか。
「……いや、まさか俺が?」
首を振った途端、それが視界に入った。
ぎょっとし、座ったまま飛び退った。そして反射的に立ち上がる。
それは、すぐ後ろに転がっていた。
「俺が? まさか、俺が殺ったのか?」
花びらまみれの下半身を朝日に晒しながら、突っ立ったまま動けなかった。
あなたがその場にいれば、仁王立つ私の股間からはらはらと、桜が散るのを愛でることができただろう。
私のからだの重みで押しつぶされた黒土の、ほんの2メートルほど先に、うつ伏せになった女が倒れていた。
それも私同様、下半身を裸で晒して――。
尻の皮膚が、死んだ蝦蟇(がま)の腹のように眼に映る。
その青みがかかった真っ白な尻に、くちゃくちゃになった桜の花びらが点々とこびりつき、それが刺し傷にも見える。
「俺が、人殺しだって?」
不意に、女の尻がわずかに動いた。
「そうだろう、そんなわけはないよな。でも……」
まだ、レイプ犯の可能性がある。
改めて辺りを見渡すと、私のジーンズや下着やスニーカー、片方のソックスが散らばっている。
私はいったん右足に引っかかったソックスを脱いで裸足になると、それらを拾い集めた。
ジーンズの下には、真新しい御影石があり、上下に真っ二つに割れていた。
顔をしかめて、ジーンズの細かい石粉を手で払った。
下着とジーンズを身につけ、ソックスで足の裏の泥をぬぐいスニーカーを履いた。
そして、ばったりと倒れている女のほうへ近づいた。
しゃがみ込み、女の尻に手を当ててみる。
表面はひんやりとしているが、かるく手のひらで押すと、濃い脂肪の奥から熱が確かに感じられた。
開きぎみの尻の間から覗いている体毛を観察した。
黒光りしているそれを見つめているうちに、私の不安は少しずつほどけていった。
女のシャツの背に手をかける。
温かい。
軽くゆすぶってみる。
何の反応もない。
ゆるゆると触手を四方に伸ばしていた安堵感が、また縮こまって緊張する。
「こいつの顔の真ん中に、割れた墓石の破片が突き刺さっていたとしたら……どうすりゃいんだ?」
しかし、女のばらけた長い髪にも、その周りの土にも血痕はない。
眼をつぶると、思い切って女のからだを仰向けにした。
そっと眼を開く。
良かった。女はきれいな顔をしていた。
それは美人という意味ではなく、顔の真ん中に墓石は突き刺さっていなかったという意味だ。
鼻の頭に泥をこびりつかせた女は、安らかな寝息をたてている。
この顔には見覚えがある。
あのバーで、右隣にいた女だ。
確か、もう1人、やけに痩せた女と呑んでいたはずだ。
「そういうことか」
記憶もないのに、全てが腑に落ちた気がした。
よろけながら立ち上がると、女の着衣を探した。
ほかの物はすぐに見つけたが、なぜか下着だけが見つからない。
ふと、思いついて、女のジーンズのポケットを探った。
財布があった。
が、やはり下着はない。
その代わりに、大きめのビニール・パケが出てきた。
ハルシオンと「赤玉」だ。
記憶が飛ぶはずだ。オカマのY美のときと同じだ。
赤玉だけを抜き取り、パケと財布をポケットに戻すと、下着はあきらめ、女にジーンズをはかせた。
「なんでこう定番じゃない、きつきつのダサいジーンズをはくんだよ」
それに手間取っているうちに、一気に汗が吹き出してくる。
「俺がレイプ殺人犯じゃないとしても、この辺りの墓石を壊したのが俺じゃないっていう確率は、1パーセントもないぜ」
周囲に眼をやりながら、乱暴にジーンズを履かせ、毛が噛まないようにジッパーを上げると、スニーカーを足に突っ込んだ。
そして、名前も憶えていない女の顔を、かるく数度ビンタした。
女は顔をしかめるだけで目覚めない。
「くそ! 重い!」
女を背負うと、その「現場」からよたよたと、しかし懸命に急いで、私は逃げた。
訳の分からない胸騒ぎがして、いちど振り返ってみた。
現場にはその桜が1本しかなく、花びらはチラチラと降り続いていた。
その下は、小さな爆心地のように、直径20メートルほどの窪地と化していた。
10分後、私はタクシーを止めた。
昏睡したままの女は、墓地から50メートルほど先にあった公園のベンチへ放置してきた。
背から放り出すようにベンチへ落としても、女はまったく目覚める気配を見せなかった。
女へ両手を合わせ拝むと、こんどは2度と振り返らずに早足で逃げた。
タクシーに乗り込むとすぐに、尻ポケットの膨らみに気づいた。
引っ張りだしてみると、それは偶然にも「薄ピンク色」の下着だった。
しばらく、それを膝の上で広げたり丸めたりした。
タクシーの窓を落としながら、下着に鼻先を埋めた。
そして、思いっきり深呼吸すると、丸めた下着を窓外に棄てた。
振り返ると、さっそく1羽のカラスが舞い降り、それをクチバシで攫って飛び立つのが見えた。
直後、窓から物を棄てたことにブツブツと文句を言う運転手と言い合いになり、私は車を降りた。
金など払わない。
気を取り直し、そのまま当てずっぽうに駅を目指し歩き始めた。逃げることに気が急き車を拾ったが、タクシー代を払うなど、やはり正気の沙汰じゃない。
駅前のコンビニでビールのロング缶を2本買う。
店の前で、赤玉を全部(5錠)ビールで流し込んだ。
飲み込みながら、ふと、思った。
「明日の朝刊に、俺の死亡記事は載らないだろう」と。
クスリの効きはちょうど、鬼子母神近くの某寺の境内でピークとなった。
そこの満開の桜並木のアーチは見事だった。
まるで散る花びらが、ピンク色のレースの薄物のように煙って見えた。
その下に、小学生の女の子たちや、近くの音大の女子大生たちや、中国人の観光客の若い女性たちが、両手を広げ、散る桜をまとうように舞っていた。
不思議なことに、男の姿は見えない。
私は寺門の石段に座り、「私のため」に舞ってくれているピンクの女たちを愛でながら、安ワインをおしみおしみ呑んだのだった。
【告知】
「シングル小説出版記念トークライブ開催」
6月18日(木)新大久保「ネイキッド・ロフト」にて夜7時半よりスタート。
The SHELVISメンバーの他に、ゲストとして、著書『自殺』が講談社エッセイ賞を受賞した末井昭氏を招いて、トークライブ開催します。
※そこで当然ですが、曽根 賢の署名入りシングル小説を手売りします。
【シングル小説『The SHELVES』ジャケット】
●価格1600円(税込み)/ネットショップの場合、送料込み・代引き手数料込みです。

●7インチ・レコードと同じように、ビニール、2つ折りのジャケット(右)、スリーブ(左)、そしてレコードの代わりに冊子(中央)が入っている。

●200部限定で、表2に曽根賢の署名と、50パターンの「一言」(つまり4人ずつ言葉が違う)が入っている。
●本作の購入先、ネットショッピングのURLは以下の通り。
URL:http://budroll.buyshop.jp
※以下は、The SHELVISのメンバーである横戸茂のパブリシティ用の文面である。
謹啓
時下、ご清栄のこととお慶び申し上げます。
突然お手紙を差し上げますご無礼を何卒お許しください。
さて、私ども「SHELVIS」(シェルビス)では、このたび自主制作で、作家・曽根賢(『BURST』元編集長)の『短編作品集 第1巻』を7インチレコードのスタイルで上梓する運びとなりました。
つきましては、ご多忙のことと存じ上げますが、同封いたしました作品をご高覧いただき、御誌におきましてご紹介賜りたくお願い申し上げます。
【「THE SHELVIS」とは?】
曽根賢のコンセプトによるロックバンドに見立てた出版編集集団で、特に深い意味はなく、曽根の友人と賛同者によって2014年春に結成が準備される。2015年3月に現メンバーに落ち着き、メンバーは作家・曽根賢を筆頭に、元編集者の横戸茂、デザイナーの柚木公徳、出資と販売、マネージメントを行う高橋実香苗、ヤマシタルミコの5人となる。バンド(出版編集集団)名の「SHELVIS」とは造語であり、元々は「棚上げする」という意味で「SHELVES」と綴っていたが、発音を「シェルビス」としたいがために造語を作成した。
中心人物の曽根は90年代後半から雑誌『BURST』で極めて先鋭的な人物、事象、アートとがっぷり四つに組んで誌面を作ってきた戦闘的編集長として知られるが、実は文藝愛好者であり、自らも文藝に筆を染め、作家としても幾度か注目されてきた。その結実したものが野間文芸新人賞候補作にも挙がった『BURST DAYS』(河出書房新社刊/2000年)であり、雑誌『群像』に掲載された「桜の膳」、雑誌『文藝』に掲載された「ウィトゲンシュタインの結界」(河出書房新社/2009年)である。
曽根賢6年ぶりの発表となる自主制作の本作。極めて寡作な作家、あるいは陽の当たらない作家とともに賭けに出た「SHELVIS」。精一杯の今の姿である。
【作品概要】
7インチレコードのスタイルでの発表は、曽根賢が若き日にバンドを結成し、インディーズで7インチレコードを出したかったという積年の夢に起因する。今回、7インチシングルと小説の短編作品が近い位置にあるのでなはないかということからこのスタイルを採用した。
さて、A面「八重桜」は、散文詩的な雰囲気をまとった作。平凡な日常のなかに「魔」の領域を垣間見る男と女が描かれる。その文体とリズムから登場人物に生気が感じられず、幻の世界のモノローグのように読むことも、映画の脚本のように読むこともできるだろう。妖しく咲き誇る八重桜と不気味な鴉の群れ、川で息絶えようとする巨大な鯉、そして無邪気な小学生たちが立ち現われ、いずれ破綻するであろう男と女の道行を暗示させている。
B面「熱海にて」は、旅先で恋人同士である男と女の出口の見えない倦怠的会話から始まり、その終着点である別れの瞬間を「女の肌が変わった」という、女の肌の質感、肉感で悟る男の姿が描かれる。ここに女の冷酷なエロス、魔性を、そして女に引きずられていくしかない男の姿を読み取ることができる。これは作者の体験的な作品といえるのかもしれない。
いずれも曽根賢、彫心鏤骨の作である。
作者/曽根賢
タイトル/曽根 賢 短編作品集 第一巻
収録作品/ A面:八重桜 B面:熱海にて
発行所/BUDROLL(バドロール)
発行部数/限定500部
価格/1600円(税込) ※通販時の送料込み
販売方法/ネットによる通販をメインに、いくつか店舗での販売を予定。
(曽根注・販売店はほぼ決っている。5月中にこのブログで発表します)
【連絡先】
高橋実香苗
メール budroll2015@gmail.com
何卒よろしくお願い致します
頓首
THE SHELVIS一同
P.S.
以下の作品を買ってくれる方、また、仕事をくれる方、メール下さい。
●「詩作品」(手書きした原稿用紙を額装したもの――10,000円)
※宅配便着払い
●原稿と編集&コピーライトの仕事。
(個人誌やグループの冊子も受けつけます。アドバイス程度なら、酒と5,000円ほどで)
●pissken420@gmail.com