ブログネタ:もう一回体験したいアノ一日は? 参加中

そんな日いっぱいありますが。



まず、


1998年のワールドカップカートレース in ジャパンのプレファイナル
ポールポジションでエンジンが掛からず終了・・・。

グリッドにすらつけなかったので、ファイナルも走れず・・・。



泣いたな~





1998年のサーキット秋ヶ瀬の賞金レースで

ファイナルラップを2位で走行し、ファイナルラップ最終コーナーでトップ浮上。


ここまではシナリオ通りで、



しかし、




イン側が俺で、



クロスラインを取られ、






立ち上がりからゴールラインまで並走してゴール。



俺も相手のドライバーもどっちが1位かも分からず、


当時、サーキット秋ヶ瀬には計測器がなく、





謎のまま俺は2位・・・。




悔しかったな・・・。




クロスラインを取られても、

俺が悪魔になってダートに押し出す勢いがあれば勝てたのに。



俺にはそれが出来ず・・・。



このレース、1位が20万円、




2位は8万円・・・。





数センチで12万円の差は痛かった。







カート時代では大きいのはこれくらいかな。


この話しは昨日も出てきたな~( ´艸`)


みんなにも印象深いみたい。







お次はフォーミュラ。



2001年フォーミュラドリーム2年目の開幕戦で

予選ポールポジション。




しかしスタートで



ミスして2位でゴール・・・。



ここから細川選手に8連勝されて俺が凹みまくりだったこと。




普通にスタートしてれば抜きにくいもてぎだったので問題なく勝てたのに、


ミスしてしまい・・・。





このミスは大きかったな・・・。






2002年全日本F3選手権2戦で予選3位からスタートし、


普通に3位走ってて、




焦って筑波の最終コーナーでイン巻きしてコンクリートとゴーン・・・。




これも何もしなければ3位だったのに、



エンジンカットとシフトアップにまだ慣れていなくて

最終コーナー手前のヘアピンの立ち上がり、


2速から3速のシフトアップでギアが入らず、



後ろの片岡選手に差を詰められて、



焦って最終コーナーの入り口のライン取りをほんの少し早く入り過ぎたことで


立ち上がりでアンダーステア気味になり、


でもスピードを落としたくなかったので無理してアクセルを踏んでいったら


リアが勢い良くながれだし、カウンターあてる暇なく、


イン側目掛けてクルリと回り、




コンクリートウォールに当たりました。


モノコックからゴーンと音がしたのでやばいなと思ったら、

案の定やばかったです・・・。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。



焦らなくたって筑波なんて抜けないサーキットなのに・・・。





1番はやはり2002年10月13日のF1日本グランプリ前座レースでしょうね。


車椅子生活を余儀なくされる大クラッシュをしてしまったのでね・・・。



このレースは気合十分。勝てるチャンスがあるレースでした。

何故かと言うとこの年、フォーミュラドリームの開発ドライバーを
させて頂いていたことで、マシンには乗り慣れ、熟知していたからです。



それが練習走行をギアの組間違いで走る事が出来なかったのが
全ての流れを変えてしまいました。


20分と言う少ない時間の間に出来るプランもこなすことが出来ず、


ぶっつけの予選で5位。



それ以降は事故の衝撃で記憶にありません。



ただ、自分だから自分がどういう心境だったのかは分かるので、


1つだけ分かるのが



焦っていたことです。





事故の様子はYouTubeに出ているので見たい方は見てください。




でもこんなにいっぱい出てきたけれど、




悔いは無い!

これは絶対です!




こうして振り返り、自分の駄目な部分に気付くことが出来、

直していけるよう努力していけば同じ間違いを繰り返さないはずです。




焦り




俺の悪いところ。




これを直すように努めます。