こんばんは。
タロットセラピストえんどうひろみです。
こちらの記事 のとおり
昨日は雨の中
成田山新勝寺に行きました。
成田山新勝寺は
真言宗智山派の大本山です。
先月に行った深川不動尊は
その分院にあたります。
深川不動尊に初めていったとき
胃のあたりがキューッとしめつけられ
護摩焚きがはじまるときのほら貝の音が
とてもぞわぞわと怖く感じ
護摩焚きが始まると
(それもまだ座る前なのに)
なんだかわけも分からず涙がでたのです。
なんだ、この”感じ”は?!
ものすごく揺さぶられて
そして何かいらないものを
頭の先からもっていってくれるような
吸い取ってくれるような…。
はじめての衝撃、感覚でした。
「その深川不動尊の大本山である
新勝寺はきっと
最初に深川不動尊にいったときよりも
ものすごく衝撃がくるんだろうな
こわいんだろうな
もっともっとぞわぞわするんだろうな」
と思ったら…
それは、私の
「大本山」という思い込みでした。
撮影禁止だったので
中のようすの写真はないのですが
成田山新勝寺の本堂は
思っていたよりもとても大きくて
空間がまあるく広いような
感じがしました。
緊張することがありませんでした。
なんでしょうか
大きな空間につつまれているような…。
きのうの記事 にも書きましたが
護摩焚きの炎が消えるとき
立ち上っていく煙が
なんだかとても優しくて
しなやかなゆっくりと進んでいく
龍のような気がして
そのときなぜか
目にじわっと涙を感じました。
きっとね、
深川不動尊に行ったときの私には
(それも二回も行ったし^^)
若々しい勢いのような
猛々しさのようなものが
まるで殻にヒビを入れるためには
必要で
新勝寺に行ったきのうは
やさしく包み込むような
ゆるむような力を抜くことを
感じるのが
必要だった気がします。
不動明王についても
やさしいと感じるときもあるし
猛々しさを感じることもある。
仏像にしても護摩焚きにしても
それは私が今の私を見るためで
今の私には
そのように自分を見つめるのが
わかりやすい方法のひとつなのかも
しれませんね。