見返りを求める行為は全て不純~R18(≧▽≦)
例えば親切なことや善行・・・
なぜするのか?
それは誰かを喜ばせるということは気分が良いからだ。
それだけで充分だと思う。
気分がいい。
いい人だと思われたいとか誰かに褒められたい、社会的に認められたい・・・そういう狙いがあっての行為ならばしょせんはプロパガンダ、自己宣伝とパフォーマンスに過ぎないものになる。安っぽくなる。
我輩も人知れず善行とか親切なことを毎日していて、それを毎日日記につけていたら、いつか我輩が死んだとき、子供たちがその日記を読んで、「親父はなんでこんなにいいことばっかりしたのにたいしてリッチにもならないまま平凡な爺さんになってしまったんだろう、おれはこんな人生はとても無理だ」と思うかもしれない。
しかし、そういう記録には、その瞬間瞬間どんなに気分が良かったか、自分を誇らしく思えたかということまでは分からない。
しょせん記述、データというのはその程度のものだ。
かく言う我輩も、人知れず善行をしていますみたいなことをこういうブログに書いていて、結果的に自己宣伝みたいになっているからたいしたことがない(≧▽≦)
具体的にナニナニをしたかなんてことまでは書かないけどね。
間接的に知られたとき、その相手に「こんなに無理してくれたのか、親切にしてくれたのか」とびっくりさせてしまって恐縮させては意味がない。
気持ちよくやってあげるから、「ああこの人にはたやすいことなんだろうな」と思われることが多いのだろう。
恩着せがましいのは大嫌いだから、そう思われてくれていいんだ。
いいこと、カッコイイことをして、それを他人に喧伝することはしなくなったけど、自分の彼女にだけはついつい自慢してしまうことが100回のうち5回くらいはある。
そうすると「ピピタンって本当に優しいのね」とちんちんにチューしてくれるからだ。
例えば愛・・・
誰かを愛する。
例えば異性を。
女なら男においしい料理を作ってあげたいと自然に思うことだろう。
そして「おいしいおいしい」と食べてくれるだけで報われるのではないか?
それ以上の見返りなんて要らない。
男なら女性を幸せな気分にさせたいと思うだろう。
景色のいいところにドライブに連れて行ったり、とっておきのレストランで食事をしたり、色々と話して笑わせたり、洋服やバッグを買ってあげたり、気を失うほどのカミングを味わわせてあげたり・・・
我輩も男として愛する女性にはそのようにする。
そうしなければならないとかそうあるべきだという以前に、自然にそうしてあげたくなる。
恋愛関係として新鮮なうちに、最初だけ必死になるという無理した愛し方ではなく、ずっと自然にそんな感じで、最後まで変化しない。
なのに何故別れが訪れるのか?
それはまた次の機会に話しましょう(´ー`)
最初だけ夢中になって激しい怒涛の愛で女性を襲い、そのあと波が引いたようにスーーーッと消える・・・みたいな愛し方は我輩はしない(≧▽≦)
そんな使い捨てのロマンスは興味なし。
我輩は見返りは期待しないで相手を愛する。
これこれしてあげたからこのくらい相手もしてくれるだろう、当然このくらいはしてくれるよね?返してくれるよね?みたいな感覚は無い。
自分がした相応の見返りを求めるならば、そんなものは愛ではなく、単なる取引に過ぎない。
見返りを求めないというより、相手が喜んでくれればそれでいい。
1時間くらいクンニしたあとに、「じゃあおれさまのポコチンもしゃぶって貰おうか( ̄ー ̄)フッ」みたいなことはしません。
できれば気持ちいいままスーッと眠ってくれればいいなと思う。
そして我輩は彼女が寝静まってから裏DVDコレクションをみて・・・
あれ?