答えがはっきりしているから数学が好きだというアホ女 | ぴぴ王子学府

答えがはっきりしているから数学が好きだというアホ女

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 我輩はあらゆる教科の中で国語が好きです。現代国語も古典も。だから国語や文学の楽しさをもっと多くの人たちに知って欲しい。楽しく国語を学べるような先生になりたい。

 元々我輩に向いている職業は教師とか怪しい新興宗教の教祖とか占い師のようだ(≧▽≦)
 人に偉そうなことを言ってお金を貰うタイプなんだろうな。

 よくアイドルなんかのインタビューで「国語って答えが一つじゃないから、はっきりしてなくて嫌いだから、答えが一つしかない数学が好きだな」なんて答えるアホ女がいる。
 別に数学が好きで国語が嫌いでも構わないけど、そんな風に国語を否定する必要はないだろうがといつも思うんだ。

 答えが一つだけという人生がいいのか?
 あらゆる答え・・・可能性があるから人生は楽しいのだ。
 大方は「ああやっぱり・・・」という平凡な結果になるんだけど、時々「まじかよΣ(゜□゜)!!」とびっくりするようなこともある。

 かくいう我輩は数学がニガ手で(^^;ずいぶん苦労したけど、しかし数学は好きだった。数学パズルとかもよくチャレンジしたものです。
 
 社会は結局数学的に支配されているという事実はある。
 業績とか成績の数字データで冷酷に査定される。そこには文学的要素は中々介入できない。
 そして、数字データばかりが一人歩きし、その数字に至るまでのプロセスにはあまり目を向けない。

 そもそも温情的要素まで数字ではじき出そうとするような現代、文学的な感覚が濃厚に残っていた昭和が恋しいね。

 結果はプロセスを如実に表しているとはいえ、結果だけでは全ては勿論分からない。
 我輩はあくまでもプロセスを重視したい。

 文学なんかやっても金にならないから・・・と、こういう無味乾燥な時代になってくると文学的なものはどんどん軽視される。

 しかし、なんのために生きているのか?
 こういう時代だからこそ夢のあることを考えたい。温かい気持ちになりたい。

 結果だけが全てなら、みんなの人生の結果は全て死ぬということだ。
 どうせ死ぬけど、どう生きたかということが大事なんだ。

 だから損得勘定そろばんずくだけじゃなく、実利的な役にはあまり立たないにせよ、国語的文学的なものを純粋に楽しむ心を多くの人に持って欲しいなあと思う。

 ま、幸いにして自分がそうなれたから本当に幸せ。
 両親と多くの先生たちに感謝。