東大に文理両方で合格した男が綴る、受験の戦略

戦略で受験を攻略する方法、お笑い×数学、数学の深い話、東大数学の解説、最新ニュース解説、グルメ店紹介、変わった指導法など、幅広く書いています。


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前回が『教える』と『育てる』という先生側の話でしたが、今回は『教えられる』と『育つ』について。


言い換えれば、生徒側の話です。




私のように教育業界に身を置くものとしては『教える』のが仕事であることが一般的ですよね。


数学の簡単な解き方を『教え』たり、英語の文法の規則を『教え』たり、社会の簡単な覚え方を『教え』たり。


私も、本当に下らない小ネタを散々集めました(笑)


どれだけ髪の毛が生えてもハゲである証明とかね(これはちょっと有名なんでしょうか)


もちろん、これらはとても大切なのですが、私の指導スタイルは、これと逆行しています。



つまり私の指導スタイルは『教えない』


むしろ、生徒に対して『教えてやんないよ』とか『いつまでも教えてもらってるんじゃない』とか『教えられたら負け』とか『勝手に勉強しろ』とか


今、自分で書いていても結構酷い事言ってますね(笑)


もちろん、生徒が傷つくような文脈では言いませんが、趣旨としてはこのような事を言います。


だから、二時間の授業の中で一問も問題を解かない事なんてザラにあります。


というのは、どういう事か。今回は、これを解き明かす記事です。



例えば、学校で30人のクラスがあったとします。


そして、先生は30人に対して同じ授業をします。


しかし、伸びる生徒と伸びない生徒が必ず出てきますよね。


つまり、明らかに成績の伸び具合は生徒側に責任があるのです。



念のため言っておきますが、先生としては


『生徒の成績が伸びないのは全て自分が悪い。指導方法をもっと改善しよう』


と思って、自分で責任を負うような心構えは大切だと思いますよ。


もう、本当に現場の先生は健気に身を削るような思いをしながら、自分の教え方を研究しています。


もちろん僕も常にそう思って仕事をしています。



でも今は、客観的に見て、先生だけに責任があるとは思えない、生徒にも責任があるだろうという話です。


生徒個人が、成績を伸ばそうと授業を聞けば伸びるし、適当に聞いていると何も意味がない。


簡単な話です。




でも世間では成績の伸びない生徒に対して『もっと勉強をしろ』とは言っても『お前が悪い』とはっきり言ってあげる先生は少ないと思います。


厳しい言葉をかけられない先生が多いですし、モンスターペアレントが怖いとか、サービス業としてお金をもらってるからとか、


様々な事を理由に生徒へ責任追及をしません。


保護者へ責任追及する、ケースなんてほとんどないでしょうね。


僕の場合、お母さんやお父さんと仲良くなったら、結構ズケズケ言っちゃいますけど(笑)


そういう事を子供に言うからダメなんですよ~なんて。


相当の信頼関係がなければ出来ませんが。



それに『勉強しろ』っていう言葉って、大抵は子供のやる気を削いでるんですよね。


子供が勉強しないのは、原因は明らかです。


やる気がないから。


だから、子供に勉強をさせるには、勉強したくすれば良いんです。


でも『勉強しろ』と言うと、やる気が削がれます。


人間、天邪鬼な所があって、人から言われると反発したくなるものですから。


それに、誰しも命令されるのは嫌です。


だから僕は『勉強しろ』という言葉はブレーキだと思っています。



ちょっと話を脱線しますが、僕が東大生の友達10人~15人と一緒にいた時に、


ある会話の流れから『親から勉強しろと言われたかどうか』を聞く場面があったんですね。


で、結果はどうだったか。


その中で僕だけが親から『勉強しろ』と言われて育ってました(笑)


人数はちゃんと覚えてないですけど、恐らく10人ちょっと。


その中でほとんど全員が『勉強しろ』と言われていないんです。( ´ー`)




親としては、漢字練習でも、単語を覚えるでも、問題集を解くでも、なんでもよいから勉強しててほしい


と思うでしょう。とにかく何でも良いから勉強してほしい。何でも良いと。


でも、大人が同じことを言われたらどうですか?とにかく、何の意味があるか分からなくても勉強しろ!なんてね。


やる気にならないでしょう。
 

むしろやる気なくなります。


つまり、子供に勉強させるには、そういうブレーキを踏まず、アクセルを踏んで上げればよいんですね。


そして、ゆくゆくは、大人がアクセルを踏むのではなくて、子供が自分で自分のアクセルを踏めるようになるのが理想でしょう。



しかし、学習塾で一人ひとりに対して、丁寧にそこまで指導は出来ません。


まず、生徒の姿勢をちゃんと変えられる能力がある先生が少ない。


そして、多数の生徒に対してそこまで面倒を見る時間がない。


極めつけは、そのような所に手を出しても目先の利益にならないし、授業を通り一遍にやっていれば予定していた利益が出せる。


※勘違いしないように!塾や予備校はビジネスとして教育サービスをしています。


そんな理由から、生徒一人ひとりを内側から変化させられるような、教育サービスはありません。


恐らく、大手になればなるほど、授業ばかりのスタイルにならざるを得ないでしょう。




その隙間に突っ込むのが私の仕事です。


まず初回授業では『教えてもらおうとするな』と話しています。


『教えてもらう』というのは、先生に頼っているという事です。


先生に頼って成績を上げてもらおうという、依存体質なのです。


依存していると、何事も伸びません。



最高のコーチと最高のグラウンドと最高の道具、最高の設備が揃っていても、


本人がボールを投げたりバットを振らなければ野球は上手くなりません。


しかも適当にバットを振っていてもダメで、上手くなろうと思って練習するから上手くなるのです。



つまり、伸びる側に最も大切なのは『自主性』


『教えてもらう』ではなくて自ら『育つ』という気合いであり、意思決定なのです。


この『自主性』を開発してしまえば、あとは簡単です。


正直な話、成績を上げるなんて簡単です。


極論を言えば先生が放っておいても『成績なんか勝手に上がってくる』んですから。



手の打ちを明らかにしてしまいましたが、これが僕の手法です。



指導者は『教えない』で『育てる』意識が必要。


生徒は『教えられない』で『育つ』意識が必要。


すると『教える』という行為は、限りなく必要ないのかもしれませんね。



そしてお互いが『育つ、育てる』と同じ方向性を持った時に、最も力が生まれます。


以前どこかでお聞きした話ですが、先生と生徒は『クラッチ』を合わせる必要があるのです。


先生がエンジンで、生徒がタイヤがタイヤだと思って下さい。


先生エンジンが熱く燃えて回転していても、クラッチが合わなければ全く生徒タイヤにその熱意は伝わりません。


結果、タイヤは全然回転しません。


しかし、ひとたび先生と生徒のクラッチがかみ合って、お互いが『育つ、育てる』方向性を向いたら、


先生の熱意が生徒に伝わり、車が走り出すわけです。



という事で、二回にわたり『教える』と『育てる』の二つの言葉で遊んでみましたが、いかがでしたでしょうか?


こういう話も、今後少しずつ混ぜていこうと思います。

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今日の記事は、珍しく私の指導スタイルの話です。


4月にブログで『受験戦略家』の話を発表しましたが、別に戦略ばかり教えているわけではありません。


戦略なんて、いわば上っ面なもので、パソコンで言うならハード面です。


本当に大事なのはソフト面であって、生徒への指導力ですから、ここで他の先生に負けていては仕方ありませんからね。


と言っても、数学の教え方が上手だとか、そういう小さな事にとらわれているわけでもありません。


僕の指導スタイルはちょっと変わっています。


それをご紹介しましょう。プチ教育論です。



まずは、先生としての心構えです。



私がまだ前職で塾の先生をしていた時の事ですが、一年、二年、と経験を積むに連れて、『教える』と『育てる』は全く別物だなぁと思うようになりました。

普通、勉強を一生懸命に『教え』ていると、段々子供の成績が上がって『育てる』事が出来るように思いますよね。

でも、実際の所は全然違います。

『教え』ても成績は伸びません。



例えば、花に置き換えてみましょう。

子供が初めて花を育てる事になった時、気になってやたら水をあげちゃったりしますよね。

それで、結局根を腐らせちゃって、花をダメにしちゃう。

つまり、本来お世話のはずの水やりが、一番花をダメにしているわけです。



これと同じ事が、往々にして教育現場にもあります。

初心者の先生って、教えるのが楽しくて、ずっと生徒の所にへばり付いてひたすら『教えてる』んですよね。


良い心がけですし、教育現場をものすごく謳歌しているし、良い先生ですよ。

でもそうなると、生徒にとって『水やり過ぎ』のようなのと同じで『教えすぎ』状態ですから、先生の教えを消化出来なくなってしまう。

もしくは『教えすぎ』てしまい、先生がいないと勉強出来ないような子供になってしまうわけです。

依存体質の生徒になってしまいます。



こういっちゃ何ですが、『教える』って、先生の自己満足なんですよね。

あー、仕事したなって。

だから、ある意味、生徒が先生の自己満足に付き合わされているんです。

で、親からしてみても、あの先生はよく面倒をみてくれてるってなりますから、先生も気を良くして、また『教え過ぎる』

こういう悪循環が、教育現場にはよくあります。


それに『教える』って手段であって、あくまで生徒が『育つ』のが目的ですよね。


目的と手段を混同してしまう事がよくありますが、まさに世の中は『教えの大洪水時代』になっています。


教えたいのは先生であって、生徒は育ちたいのです。




『教える』ってのは、一過性であって、栄養ドリンクみたいなものです。


その瞬間は分かった気になっても、時間が経つと効果がなくなってしまう。


一方、『育てる』というのは、長期間の視点がないといけませんし、地味だけど効果があります。

生徒を『育てよう』と思うと、様々に視点が変わります。


世の中の先生方には、この視点に気付いてほしいと思います。



では、これらを階段になぞらえてみましょう。

まず、一段目が
『教えない』で『育てられない』状態です。
これは、そもそも教育者とか指導者の自覚がない時ですね。


二段目が『教える』けど『育てられない』状態。
これが、ずっと上で言っている、悪循環です。
生徒が教えてるだけで、なんら生産性がない。


三段目が『教えて』『育てられる』状態です。
このステップまでくると、世間では良い先生と言われます。一流の先生と言われるかもしれません。
実際に、育てているのですから立派です。



ただ、最後のステップがあります。
四段目は『教えない』のに『育てられる』のです。
これは、ある意味究極ですね。
もしかしたら、想像も付かないかもしれません。僕もここを目指しています。


例えば、有名なスポーツの監督を想像してみてください。


有名でみんなが尊敬していて厳しい監督が、体育館やグランドに立って練習を監視していたらどうでしょうか?
見られているだけで、姿勢が正されて、練習に一生懸命になってしまいます。

これが教えないのに育てられる状態の典型でしょう。


言い換えれば、存在自体が教育なのかもしれませんね。



私も、まだそこまでは達していませんが、でも、世の中が『教えない』のに『育てられる』先生ばかりになったら素晴らしいですね。

だって、そうなったら教育現場という概念がなくなって、いつでもどこでも教育現場です。

子供が育ちまくり。

という事で、前半の先生としての心構えの話でした。


次回は、生徒側の心構えです。

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おはようございます。


昨日、二つ目の模試が返却されました。(第二回全統マーク模試)


今回は、その考察記事になります。



今回の最大のトピックは何と言っても


東大A判定取りました!



大きな目標でしたから、非常に嬉しいです。


ちなみに、一ツ橋大の経済-経済も書いておいたのですが、志望者数の中で1位でした。



返却された模試はこれで二つですが、前回に比べ、かなり成績が上がっています。


5教科7科目総合の結果で言うと


前回が68.7でB判定  ⇒  今回が76.1でA判定


これだけ取れば、そりゃA判定も出るでしょうね。



実は前回の模試ですら、現役(18歳)の時より良い成績だったんです。


それがさらに上積みされたという事で、かなり自信になりました。


全国順位は472番だそうです。


しかも40万人近く受験している模試ですから、相当信憑性は高いですね。


(全国の受験生は、約55~56万人ですから。)


それに、私はセンター試験対策なんて、これっぽっちもしていませんから、これはかなり上出来と言えると思います。


正直、もうセンター試験の対策はしなくて良いと、ほぼ断言できるでしょう。そこまで来ました。


ただ、全国45番以内に入ると、優秀賞がもらえるらしいんですよね。


まだもらった事は当然ないですし、もらった人を見たこともないです。


なので、次はこれを狙ってみようかな。。。


なんてね、言ってみただけです。



では、細かいデータです。いつも通り羅列してみようと思います。


科目  目標 得点 偏差値 前回得点 評価


英語  170 181 70.8  157    勝ち
   


数ⅠA 95  90  69.8   91    負け


数ⅡB 95  100 76.2  100    勝ち


国語  130 141 66.1  157    勝ち


物基礎 45  50  76.1   50    勝ち


化基礎 45  47  72.0   50    引き分け


日史B 90  84  69.0   94    負け


地理B 60  72  62.7   44    勝ち


合計  730 761 76.1   686   大勝ち



さすが、二個目の模試とあって、目標点からのズレが少ないですね。


マーク模試の感覚がついてきた証拠です。


『大勝ち』も『大負け』もありません。


合計の所は、ほとんど予想通りだったという意味を込めて、大勝ちにしておきました。


順調ですね~。非常に満足のいく結果だったと思います。


今週には、駿台の東大模試も返却されます。この結果がかなり大切なのですが、これによっては目標の設定の仕方も変えるかもしれません。


その話は追々するとして、、、



これからは、マーク式に関しては、どれだけ良い判定を取れるかよりも、


合格するのは前提として、どれだけ良い点数を取れるかが勝負でしょうね。



そうそう、この前、模試の判定の計算の仕方や見方を解説する記事を書きましたよね。


こちら です。


この記事が非常に好評だったんですよね。


たくさんの方から、面白かったと講評頂きました。


という事で、今日もちょこっとだけ、触れようと思います。



せっかくA判定を取ったんですが、、、


恐らく、予備校としては出したくないでしょう


というのも、東京大学は日本一センター試験の配点が低い大学だからです。


東京大学の入試は


センター試験110点分



二次試験440点分


の合計550点満点で計算されます。


つまり、


センター試験2割、と記述式が8割の配分です。



今回の模試はマーク模試ですから、2割の方に当たります。


その2割分の試験で『あなたは80%の合格可能性ですよ!』


と言われた所で、怪しくて仕方ないわけです。


しかも、難易度としても易しい方ですからね。



普通の試験で考えれば、第一問から第五問まであるとして、


第一問が解き終わった時点で、クラス上位2割を予言されたようなものです。


予言者か!と。


そんなA判定、信用しても仕方ないと言っても過言ではありません。



そりゃ、単純にA判定を取れば嬉しいですよ。


でも、データとか分析っていうのは、逆に感情を抜きにして冷静に行わなければなりません。



さて、では一方で、予備校側の事情に移ってみましょう。


予備校としては、模試として受験生を集めたので、やはり満遍なくA判定からE判定まで出さなければなりません。


だから、当然、東大受験者に対しても、一定数のA判定を出してあげないと模試にならない。


本当ならば、2割の配点でA判定を出そうとするなら、よっぽど呼び抜けて良い成績だった数人だけに絞りたいですよね。


でもそうはいかない。


結局、あるラインで区切って、合格判定80%の基準を決めなければなりません。



私だったら、生徒がマーク式の模試でどれだけ良い成績を取ってきても、


記述式がどんな成績だったかわからなければ、安易な予想はしてあげられませんから。


という事で、やはりデータ分析には、情報と冷静さと方法論が大切です。


前回に引き続き、また専門的でしたが、一応書いてみました。


それでは。

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