昨日3月11日は、2011年3月11日午後2時46分、太平洋三陸沖でマグニチュード9.0の地震(太平洋東
方沖地震)が発生し、それにより発生した巨大津波等で岩手・宮城・福島県を中心に甚大な被害を与えた「東
日本大震災」から1年となります。
警察庁
が発表している今日現在被害状況によれば、死者15,854人、行方不明3,155人、全壊家屋およ
そ13万棟、半壊家屋が25万棟強などとなっています。また復興庁 が2月末現在で把握・発表している避難
者(仮設住宅入居者も含む)数は35万人にも及んでいます。
またこの地震によって発生した東京電力 ・福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故により同発電所半径
20km圏内は原則一般住民の立ち入りができず、自治体そのものが他市町へ機能を移転しているところも
あるようです。
昨日は政府主催の追悼式典が、天皇・皇后両陛下や野田総理をはじめとした三権の長、そして被災者、亡
くなられた方のご遺族など約1200人が参列の下で開催されるとともに、被災地各地で追悼行事が開催され
ました。また、一部の自治体ではこの日に合わせて防災訓練や職員の危機対応訓練が行われたようです。
今週はいつものイベントの話はお休みして、東日本大震災そしてそのあとのこの1年について思うところをお話
ししたいと思います。
去年の3月11日・・・、筆者は年度末金曜の午後と言うこともあり、窓口業務で忙殺状態にありました。
この頃のブログでも綴っていますが、当時仕事上のトラブルが長引いて肉体的・精神的にもキツイ状態にあ
りました。
この日の午後は、支払督促を出した客と窓口で支払いの交渉中をしていたと思います。「払いなさい。」「カネ
がないので払えない」の繰り返しで筆者もヒートアップしていていました。その中で強い揺れが襲ってきたよう
です。岐阜市周辺では震度3を観測した(日本気象協会 HPより)そうですが、体感的には震度計よりももっと
強い揺れだったようです。しかし筆者はまったく揺れにきづきませんでした。
数分後、折衝記録を書いていた筆者に、後輩のY君から声を掛けられました。
Y君 : ピンからさん(実際は本名)、さっきの地震すごかったっすねぇ。
筆者 : は?何かあったんか?
Y君 : 「 は?」じゃないですよ。本当に鈍感な人っすねぇ。
筆者 : 失礼な。だけどそんなに大きい地震か?
Y君 : みたいですよ。
気になった筆者は慌てて、Yahoo! のページを開いて地震の報を聞いたのです。
最初は、岩手・宮城内陸地震(2008年6月14日)のような地震がまた起きたのかと思っていました。
「しかし巨大津波発生」のニュースを聞いて、「これは阪神大震災クラスの甚大な被害になりそうだ」と直感
したのです。
そんなこともつかの間、またもや「支払督促」に対する電話対応で1時間。
いつもお話しているように日中は東海ラジオを聴くことも、ツイッターを開くこともままなりませんので、窓口
が閉まって残務整理をしているときに被害の甚大さを知ることになったのです。
この続きは次回へと回します。