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昭和三七年一月、松原典子は両腕が退化したサリドマイド児として誕生した。「人間には手と足が二本ずつあるのだと私がはじめて気がついたのは五歳の時でした」高校卒業を間近に控えたある日、淡々と話す典子の言葉にクラス全員は息をのんで聴き入っていた。両腕のない典子の小学校入学の壁は厚かった。知能も健康にも優れた典子が両腕がないというだけの理由で入学を拒否された。典子の母はその時、狂ったように泣いた。「あの日から今日まで私も母も泣いたことはありません。泣いたってどうにもならないことを知ったからです」最後に、碩台小学校の先生が「この子に障害はない、手がなく不便なだけだ」と入学を許下してくれた。それ以来、典子は、残された足で何が出来るか挑み続けた。習字、そろばん、運動会のリレーではバトンをくわえて一着になった。先生にしがみつくことの出来ない典子は噛みつくことで喜びを表現した。白髪の増えた母を見て、大学へ進んでデザイナーになる夢を捨て、典子は社会へ出る決意をする。熊本市役所が公務員を募集していた。典子は二六倍の難関を突破して、見事に合格した。熊本市、市民局福祉課。足で書類をめくり、そろばんをはじく。サリドマイド児として初めての社会人の誕生だ。典子は文通を続けていた広島の障害者、富永みちこを訪ねようと決心する。はじめての一人旅を心配する母に、いずれ一人で生きていかなければならないのだからと典子は説得する。たった一人で広島にたどりついた典子は、富永みちこが自殺して世を去ったことを聞く。みちこの兄は典子を釣りに誘って、妹は障害に負けたのだと語った。「わしが可愛がりすぎたんだ」とも言った。そして「お前は死ぬなよ。負けるなよ」と涙ぐんだ。典子の竿に激しい当りが来た。横転しながら足で竿を上げる。大きなはまちが宙に舞い、小舟の中を跳ねまわる。魚を抱えこんだ典子の胸に生命の躍動が伝わってきた


タイトル未設定


この前までのラインナップとはかけ離れた

映画に
エーーーーーーですがね
選別する職員が変わったのかしらね

障害を持つ人が
いかに
健常者にちかづくか


こんなに泳げます

こんなことが出来ます

そんな
シーンの羅列

そんなの
みたいかね

同じく

障害者を

あつかった


犬堂一心監督の

「ジョゼと虎と魚たち」


何と

不良で


すけべで
そして
いきいきとした

障害者

障害者は
劣っているわけでも

何でもない

そんなのは

同じという考え

別に

泳げなくても

一緒じゃん
というかんがえ

かな
うまくいえないがね


「無敵のハンデイキャップ」
という

障害者プロレスの映画を
今村昌平の
息子の

天願大介

が撮っていたが

アレはよかった

アレは

障害であろうが

本気で

健常者が
プロレスを仕掛けていた

障害者が弱いであろうところを

攻めるとかね





つまんないのと

面白いのは


何なんかなとおもう

あくまで
俺の
感想ですからね

典子さんは
もしかすると

このブログを目にするかもしれないが

失礼を承知で
映画としてみてと

俺の感想を書きます

今の状況では

ある特定の
名を出して書くと

どうしても

グーグルの上位にランキングされてしまうんで

本人が見ると

いやなことがあると思う


映画として

とった
監督の意図はなにやったんかなと俺は思ってみていたから

この映画をね