”時”は人々の記憶を消し去るので、残酷だと思います。
でも”時”があるから私たちは生きていくといえるのではないでしょうか。
”時”は残酷な部分と、
世界にとって得(※この世が存在することを指している)な部分とを
背中合わせにしています。
過去がなければ現在は存在せず、
また、現在がなければ未来は存在しません。
この3つを総じて”時”と呼ぶのです。
逆に言えば、”時”がなければ、過去、現在、未来の3つともこの世に存在しません。
そしてこの世もないのです。
このことに気づいたのは、
つい最近なんですが”時”へ抱いていた謎の第一段落をやっとといたようなきがしました。
”時”はわたしの生活の中での大部分です。
”時”があるから私は生きていて、生活をしています。
一つ一つの瞬間、一つ一つの時。この世の出来事すべてがこれで成り立っています。
そして、その出来事はどれも一回しか味わえません。
”出来事”は一人ひとり違います。
だから、自分の送っている毎日も、
言い換えれば
「自分しか知らない毎日」
となるのではないでしょうか?
そう考えれば、一つ一つの出来事、及び、”時”を無駄にしないで
「自分しか知らない毎日」として、
大切にできるのではないでしょうか?
”時”はながれていき、その間に生と死があります。
そして、その二つを分かつものがあります。
生と死をわかつものはなんなんでしょうか?
まだ、私はその答えを見いだせていません。
いずれ解くことができるとおもいますが、
あせらないで、ゆっくりと解いていきたいと思っています。
(完)
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現在のわたしから当時のわたしへ
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人生が一瞬一瞬の積み重ねだということによく気づきましたね(^^)
だからこそ一瞬一瞬を大切に、生きていきたいですね。
ただ、現世への執着がちょっと強すぎるような気がするな。
ちょっとスピリチュアリズム的な話になるけれど、
生と死を分かつものはそれほどないと思うよ。
肉体があるかないか、
あの世に近いかこの世に近いか、
そんなもんじゃないかな。
現世はあくまでも仮住まいなんだよ。
だから、現世の人々の記憶から現世のあなたが消え去っても、
なにも恐れることはないよ。
恐れを強く持ちすぎると、あなたの行動が制限されてしまうよ。
もっと自然体でいいと思うよ。
これからたくさんの人と出会い、いろいろな経験があなたを待っているよ。
もっと気楽に、やわらかい心で、人生を歩んでいってね。