ツボの話2017【2】

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ツボの話の続き・・
 
前回、十二経脈の話をしました。
 
手の太陰肺経から始まり、足の厥陰肝経までで一循するというような習い方をしたと言いましたが、どういう理屈かというと
 
1  手の太陰肺経【胸に始まり、手の親指に至る】
2  手の陽明大腸経【人差し指に始まり、鼻の横に至る】
3  足の陽明胃経【目の下に始まり、足の第2指に至る】
4  足の太陰脾経【足の第1指に始まり、脇に至る】
5  手の少陰心経【脇に始まり、手の小指に至る】
6  手の太陽小腸経【手の小指に始まり、耳の前に至る】
7  足の太陽膀胱経【目の内側に始まり、足の第5指に至る】
8  足の少陰腎経【足の裏に始まり、鎖骨の下に至る】
9  手の厥陰心包経【胸から始まり、手の中指に至る】
10 手の少陽三焦経【手の薬指から始まり、目の外側に至る】
11 足の少陽胆経【目の外側から始まり、足の第4指に至る】
12 足の厥陰肝経【足の第1指から始まり、胸部に至る】
 
【 】内はその経のツボどこから始まり、どこで終わっているかを説明しています。
どうでしょう?1〜12をつなげてみると、なんとなく一巡するというイメージがつくかと思います。
 
しかし、そういう説明をした文章は古典には書かれていません。
 
学生の時はあまり古典を読みたがらず敬遠していましたが、鍼灸医学をより理解しようとするとどうしても古典を避けては通れないようです。
 
古典には、「黄帝内経」(コウテイダイケイ)と「難経」(ナンギョウ)があると言いましたが、黄帝内経は「素問」(ソモン)と「霊枢」(レイスウ)という2つに分かれています。
 
よって、
「黄帝内経・素問」
「黄帝内経・霊枢」
「難経」
の3つが鍼灸医学のバイブルというのが正確なのでしょう。
 
 
さて、経脈は気の通り道であり、経穴(以下ツボという)は経脈上に点在すると言いましたが、そもそも気というのはどこからどう発生しているのでしょうか?
 
(気の存在云々に関して、ここでは議論せずに気が存在しているという前提で話を進めます)
 
古典に書かれていることを少し整理してみると・・・
 
「黄帝内経・霊枢」【九鍼十二原論篇】には、こう書かれています。
 
《原文の書き下し》
黄帝曰く、願わくは五蔵六府の出づる処を聞かん。
岐伯曰く、五蔵五腧、五五二十五腧、六府六腧、六六三十六腧。経脈十二、絡脈十五、凡そ二十七気、以て上下す。出づる所を井と為し、溜るる所を榮と為し、注ぐ所を腧と為し、行る所を経と為し、入る所を合と為す。
 
《現代語訳》
黄帝がいう。「五蔵六府の脈気が出てくる状況を理解したい」。
岐伯がいう。「五蔵の経脈には、それぞれ井・滎・輸・経・合の五つの腧穴があり、合計五五二十五の腧穴があることになります。六府の経脈には、井・滎・輸・原・経・合の六つの腧穴があり、合計六六三十六の腧穴があることになります。人体には十二の経脈、十五の絡脈があり、経絡の気はみなで二十七、全身を上下に運行しています。脈気の出てくるところを井穴と呼び、脈気の流れて行くところを滎穴と呼び、脈気の注ぎ運ばれて行くところを輸穴と呼び、脈気の通過するところを経穴と呼び、脈気が集まるところを合穴と呼びます。
 
 
◉この「井穴」は身体の手足の指先にあり、「滎穴」→「輸穴」→「経穴」と順に 手→前腕→肘(足→下腿→膝)という順に配置されています。ちょうど肘や膝あたりが「合穴」になります。(これらはツボの名前ではなく、ツボの系統・種類というべきでしょうか。漢字書くとわかりづらいですが、簡単に言えば、A B C D E という種類のツボが各12経脈に存在するというわけです)そして、青字にあるように、気の出てくるところを井穴というわけで、ここで重要なことは、気は井穴つまり指先から出てくる(始まる)ということなんです。
 
ちなみに読み方は、
井穴(セイケツ)
滎穴(エイケツ)
輸穴(ユケツ)
経穴(ケイケツ)
合穴(ゴウケツ)
 
*腧穴=ツボの意味
*ここでいう経穴はツボという意味ではない
 
 
また井穴については、『難経』でも似たような記述があります。参考までに・・・
 
 
【第六十三難】
 
《書き下し文》
六十三難に曰く、十変に言う、五蔵六府の滎合、皆井を以って始となすは、何ぞや。
然り。井は、東方・春なり。万物始めて生じ、諸々蚑行喘息し蜎飛蠕動す。当に生ずべきの物、春を以って生ぜるはなし。故に歳の数は春に始まり、日の数は甲に始まる。故に井を以って始となすなり。
 
《現代語訳》
古い医学経典である『十変』には、五臓六腑の井・滎・兪・経・合等の腧穴はすべて井穴から始まると述べているが、これはどうしてか。
答え。井穴は木に属しており、東方と春を象徴している。春になると万物が芽生えはじめ、生物は首をもたげて息あらく動き出し、虫類も活動しはじめる。すべての生物は新しい生活をふたたびはじめるのである。したがって春は一年の頭とされ、甲は日数の始めとされており、経穴も木に属する井穴をその起始としているのである。
 
◉この第六十三難では、五行説(木・火・土・金・水)を使って井穴が五腧穴の始まりであり、一年の始めである春にたとえて説明しています。
 
また【第六十五難】においても、
 
《書き下し文》
六十五難に曰く、経に言う、出ずる所を井となし、入る所を合となすとは、その法いかん。
然り。出ずる所を井となすとは、井は、東方 春なり、万物の始めて生ずる、故に出ずる所を井と言うなり。入る所を合となすとは、合は、北方 冬なり、陽気入蔵す、故に入る所を合と為すと言うなり。
 
《現代語訳》
医学経典では、出る所を井とし、入る所を合とする、と述べているが、その理論的な根拠は何か。
答え。出る所を井としているのは、春に万物が発生しはじめるように、経絡の気が井穴から発生し始めることをたとえたものである。入る所を合としているのは、冬には陽気が収斂(シュウレン)して内蔵されることにたとえたものである。
 
◉これも重複になるようですが、十二経脈の起源は、すべて井穴から始まるということを強調しているわけです。
 
 
 
この考えをもとにすると、要するに気の運行の始まりは指先からであると言っているわけなので、気は手先や足先から体の中心や上の方へ流れていくという考え方ができるわけです。
 
そして、ツボを経絡という概念で考えてみると、そもそも経絡は教科書にあるようなライン(一本の線)として捉えるのはちょっとおかしい気もしてきます。
 
そもそも誰にも見えない気の流れをイメージしたのが教科書にある経絡であり、ライン(線)なのですが、そんなに具体的なものが体の上に存在するという考え方も、ちょっと無理があるように思えます。
 
鍼灸医学は概念の医学でもあるので、ある程度の想像力も要求されると思います。そうすると、ツボを教科書通りの点とみるのが、違うようにも思えてきます。
 
例えば、足の厥陰肝経の足先にある大敦(タイトン)というツボ。私の所属する会ではよく使うツボなのですが、教科書的には「足の母指外側の爪潜入縁から後方へ、中指1分」などと書いてあります。これをそのままの通りの場所に鍼しても、何も変わりません。なぜなら、そこには何の反応もないからです。
 
気を考えた治療をする場合、気をとらえないといけません。とらえ方はいろいろあるのでしょうが、反応するものに対して鍼を施すことで気を操作するということにつながります。
 
気には動きがあるというのが正しいのでしょうか。気が何らかの変化を見せる時、ツボも反応を示すという考え方になります。気の変化=ツボの変化といってもいいのかもしれません。
 
ですから、ツボは常に1点で同じ場所にあるという考え方も、おかしな考え方という他ありません。
 
 
そんな風に考えていくと、ツボを点で捉えるのではなく、経絡上にある変化するものと捉え、結果的にそのあたり(経脈周辺)にある反応を見て、反応しているところがツボであるということになるのです。と同時に経絡もただの一本線ではなく、形を変化させながら気の流れを受けるものだという想像ができます。例えれば、河川が長い間に形を変えて、太くなったり細くなったりくねったりとしていくようなものです。
 
 
あまりうまく説明できていないかもしれませんが、私がツボを取るときは点では見ずに、その周辺を探る(面で見る)ことをするようにしています。そして、反応がある部分に気がたまっているという考えをもとに治療をするのです。
 
気うんぬんの話は、諸流派によって様々なことかと思いますが、私の考えるツボを説明する上で、私の所属する会のアイデアを少々お借りしました。
 
 
なお引用文は以下の図書から
【現代語訳・黄帝内経霊枢中巻(東洋学術出版社)】
【難経解説(東洋学術出版社)】
 
 
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