「禅と阿頼耶識(あらやしき)」 その八
(副題 見えないのに存在するもの)

フォトグラファー南雲賢のブログ-南雲 小石川植物園 写真 フォトナ

今書いているテーマその四、にて僕と対面したお坊さんが「気」を発していたことを書きました。
言葉では上手く書けないのですが・・・
そのお坊さんがいる部屋に入った時に、異様な雰囲気に僕は包まれました。
眼には見えないのですが、何ていうのかな・・・
銭湯に行って大きな湯船から湯気が”モア~”と立ち上がる・・・
そんな感じです。
そして、湯気はそのお坊さんを中心に発せられている。
”モア~”
と言う表現は必ずしも的確ではないな・・・その湯気は鋭くもあるのです。
僕の表現力では、ここまでしか書けません。
やはり「気」とか「オーラ」なのかな・・・

しばらく前のことです。
急に目まい、そして酷い耳鳴りが続いたので、インフルエンザにやられたかな・・・と、思って熱を頻繁に計ったりして様子をみていた日があります。

その晩かなり面白い(僕にとって)夢を見ました。
眠りが浅かったからだと思いますが、結構明確に覚えています。
その夢が覚めてからそれが引き金となって、色々な事を考えました。
今日は、そのことを中心に書こうと思います。
明確な夢とは言え、現実とゴッチャになってしまっている所もあるかと思いますし、時間の関係で誤字脱字があったり、上手く文章をまとめたりは出来ないかと は、思いますが・・・
もしお時間が許したら読んでみてください。
長い文章になると思います。

先ずは夢の話から・・・
場所はライブ開場。バンド(たぶん女の子数人)演奏のバックスクリーンに海中の写真映像が映し出されています。
それは魚などを写したものではなくて、海中の潮のうねりだったり、画面がけっこう暗いのですが、水中から水面を見上げ太陽の光が射したり、濃紺がうごめい ているような写真群でした。

演奏が終わると、今度はその写真を撮ったカメラマンの方がその自分の撮った写真の解説をマイクを持って話し始めました。
その写真を撮った離れ小島の海岸の話や、演奏をしたグループとの接点などを、話してくれました(その内容は覚えていません)

話が一通り終わり「何か質問ありませんか?」と開場にマイクが向けられました。
僕は真っ先に手を上げ、質問しました。
夢ではここから、何故か、僕がステージに上がり、そのカメラマンとパネルデスカッションのようなものが始まりました。
その写真を撮った時の状況などを、僕はいくつか質問をしました。
最後にそのカメラマンではなくて、演奏をしていた人たちに僕は質問したのです。

「演奏の間、僕にはずっと聞こえるか聞こえないか位の、高音のノイズというか、高音の波長音がバックに聞こえたが、あれはどの楽器から鳴らしていたのですか?」と。
その演奏者達は「あ、わかりましたか?」と言う様な照れたような笑顔を見せてくれましたが、その問いには答えませんでした。

この時点で言えることは、僕はその晩酷い耳鳴りがして、そのまま就寝したので演奏の時に聞こえた高音は本当の耳鳴りだった・・・と言うことは間違いありま せん。
さて・・・パネルデスカッションは続きます。
先ず、「あの高音はノイズだったのか?それとも演奏だったのか?僕だけに聞こえたか?」
そのカメラマンと話をします。
その話を割って、演奏者の一人が「実際には音は出していなかったのですが、その高音が聞こえるように演奏をした」と言い出しました。

続けて海の写真を撮ったカメラマンが、マイクを持って言います。
「それなんです。海中では実際には何も音が聞こえないのですが、僕には何か聞こえるんです。僕の写真を観て、その音が聞こえるでしょうか?」

僕はその話の本質を、まだ良く理解できなかったので抽象的に
「僕も写真を撮っていてある程度わかるような気がするのですが、”写っていないものが写っている”・・・ということはあります。しかし、それが何なのか僕には具体的には、わかりません」
と答えました。

「聞こえないのに聞こえる音。写っていないのに写っているモノ」
とはなんだろう?という話になりました。
話を進めていくと、その海の写真を撮ったカメラマンは、はたと気付きます。
「それはこの島の海で亡くなった、人達の声ではないか?」と。
歴史を調べると(夢なので何故か簡単に歴史が調べられました)戦時中にこの島の海域で戦闘があり、一般人も含め多くの人が死んでいるのがわかったのです。

そこで僕も気が付きます。
「写っていないのに、写っているモノ」
が。

夢の話は、ここまでです。
僕は何度も書きますが、唯物論者でましてや、霊魂とかあの世の世界とかは、まるっきり信じてもいませんし、興味もありません。
ただ、自分的には興味はないのですが、なぜ宗教などはあの世の存在を垣間見たり、所謂神がかった人はあの世と会話出来たり、霊が見えたりするのだろう?
そのような興味はあって、その種の本は沢山読んでいます。
その辺に関しては、長くなってしまうので今日は書きません。

僕の日記に良く登場する、朝崎郁恵さん。

フォトグラファー南雲賢のブログ-南雲 写真 朝崎郁恵 月見る

彼女のライブで、明らかに彼女が唄っていないな
・・・何か違うモノが唄っているな・・・
と感じる時が何度もあります。

これは奄美の島の「精霊」なのか「神(かみ)」なのか、それとも朝崎さんの「祖先の霊」なのかわかりません。
しかし明らかに何かが乗り移って
”彼女に唄わせている”
と僕が感じる時が多々ある、と言うことです。

唄だけでなく、ステージに立つ朝崎さんのまわりにオーラを感じることもあります。

フォトグラファー南雲賢のブログ-南雲 写真 朝崎郁恵 月見る

「じゃ、オーラってなによ」
と僕に尋ねられても「つまり見えないのに、見えるモノ」とあいまいなことしか言えないのですが・・・笑
唯物論者の僕としては「それは錯覚」だとか「そう感じただけ」と言葉を濁してしまうのは簡単です。
でも確かにそこに「何かがある」のは明確に認識出来る・・・
これは正直な僕の認識です。

お坊さんが発した「気」も、それと同じではないのかな・・・
いや・・・「禅気」とは、異なるものなのかしら?

話し変わります。

以前から僕のブログを読まれている方は、ご存知だと思いますが・・・僕はここ数年毎月二三度、文京区にある小石川植物園に足を運び、草木の写真をかなりの枚数、撮り続けています。
植物園に行くと、必ず数多くのカメラマンや写真愛好家なども、草花またはそこに集まってくる鳥などを、撮っていますが、年間を通して僕ほど足を運び、写真を撮られている方は、いないはずです。

広大な敷地(といっても、サッカー場5~6倍位でしょうか?でも都心ではあんな鬱蒼としている場所はありません)を歩いていると、今でも方向感覚を失うこ とが結構あります。
誰もいないのに誰かに見られている、ような気がする時があります。
また、そこに人がいないのに木の横に誰かが立っている、ように思える時があります。
方向感覚を失う場所・・・のポイントがいつも限られた場所なんです。
最初は磁場が狂っているのかしら?なんて思っていたのですが・・・
そこにも「気」なのかな・・・何かがあるんですね・・・上手く表現できませんが。

以前、他の小石川ファンのある方から、これと同じことを聞かされた僕は
「あ、それは”小石川に化かされる”って僕は認識しています」
って言ったら、その方はビックリして
「正に言い当ててる」
とおっしゃって、いたことがあります。

その様なポイントでシャッターを切ったときに
「写っていないのに、写っているモノ」
つまり
「見えないのに存在するもの」
が写真として残ることがあります。

前回、僕が「小石川植物園」写真展を開いた時のテーマは
「カオス」
そしてその後も植物園に通い、今も撮り続けています。
テーマは
「見えないのに存在するもの」
なのです。

続く・・・

南雲賢

僕の撮った写真は、 サイト「フォトナ」で観ることが出来ます。
そして、掲載されている5000点以上の全ての写真・イラストを無料でダウンロード、皆様に使用してい ただくことが出来ます。
「フォトナ」サイトは、こちらからどうぞ。
http://www.photona.net    
「フォトナ」のグルっぽを立ち上げました。
http://group.ameba.jp/group/5kEroXCV5Iy8/    
「小石川植物園」のグルっぽも立ち上げてみました。
http://group.ameba.jp/group/sNl9PGyVmHXk/    
皆様のサイトへのアクセス、そしてグルっぽへの参加、お待ちしております。

フォトグラファー南雲賢のブログ-南雲 写真 小石川植物園

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