☆くそったれの人生☆-090930_0319~01.jpg
 
 
長渕さん、東京に出てこられるきっかけになったのってやっぱり“歌”なんですよね?
 
 
長渕剛
『うん、あの…そうね、中学3年生の時に、、友部正人さんのね、「一本道」っていう歌が、深夜放送のゲルマニウムラジオからね、流れてきて、たまらない寂寥感とね、何かこうゴツゴツした歌の表情からね、何かこう無気力だった自分が奮い立ったんだね。それでその正月に楽器屋に飛び込んで、3500円の掘り出し物のギターを買ってね。それに鉄弦を張って、ま、見よう見まねで歌い始めたのがきっかけでね。あの先輩たちの歌声がね、当時の俺には非常にこう反骨精神というかね、その時代の生きる意味とかさ、で、何か存在価値とかね、それを歌いながら確認してるように見えてね。その当時少年の俺にはね。で、ま、どんどんどんどん深く入っていくと、僕らの兄貴分がやってた“歌”というもののルーツがね、アメリカにありね、それはボブ・ディランであったり、ニール・ヤングであったり、ウディ・ガスリーであったり…ってことは高校に入ってから知ったんだけどね。』
 
 
1991年・NHK
『音楽達人倶楽部』より