無教会主義とクエーカーは類似点が多く、内村は米国留学以来クエーカーとの交際があった。札幌農学校同期の新渡戸稲造をはじめ、日本のクエーカーとも親交が深く、内村の弟子の中には後にクエーカーに入信した者も少なくなかった。

クエーカーは17世紀にイングランドでジョージ・フォックスにより設立された宗教団体で、世界各地に集会がある。無教会同様信者数が少ない割に社会へ与えた影響は大きく、昭和天皇の家庭教師エリザベス・ヴァイニングもまたクエーカーであった。作家でもあるヴァイニングの著書『皇太子の窓』は、世界の58か国で読まれベストセラーになり、世界における皇室のイメージ・チェンジに貢献したそうです。

クエーカーには経典や正式な教義箇条のようなものはなく、最も中心にある考えは、内なる光である。
神父、牧師、教会は必要とせず、洗礼、聖餐式等の儀式は行わないなど無教会と類似している。
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ジョージ・フォックス(クエーカーの創立者)    ウィリアム・ペン(ペンシルベニア州の創立者)

以下wikiより抜粋

初期のクエーカーは自らを背教の時代の後の真のキリスト教会を回復するものと考えていた。その為、この時期自らを単に聖者または光の子と呼んでいた。もう一つの公の名称は、真理の友であり、真の状態を示す「内なる光」として初期のクエーカーの教義の中心点を反映していた。

「クエーカー」という名称は、ジョージ・フォックス師がダービーのベネット判事に神名冒涜罪で裁かれた1650年に初めて使われた。フォックスの手記に依ると、ベネットは「私たちが神の言葉でわが身を震わせた故にクエーカーと呼んだ」。



活動が拡大すると、反対と迫害を受けはじめた。クエーカーはイギリスの島々だけでなく植民地でも投獄され、殴打された。マサチューセッツ湾では信仰を捨てなかったために処刑されたクエーカーもいる(最も有名なのは、メアリ・ダイアーである)。ペンシルベニア州はウィリアム・ペンがクエーカーが安全に暮らし信仰を守れる安住の地として作り上げた。迫害にもかかわらず、活動は急速に強く結びついた組織に成長した。

フォックスたち初期のクエーカー伝道師は、全ての人に神父・牧師や聖餐による取り次ぎがなくても神が現れると信じていた。

友会は良く「神は全ての人に現れる」、「内なる光」、「内なるキリスト」、「内なるキリストの聖霊」などの多くの言葉で言い表してきた。

聖餐(聖礼典)
初期の友会徒は、神聖が個人の生活の(生活全般が神聖である)全てに現れると考え、どんな特別な儀式や聖餐式を行うことも必要ないと信じた。そのため、入会の儀式として洗礼は行わなかったし、礼拝の方法は、正統派のキリスト教徒からは異端とみなされた。



質素な生活
クエーカーの生活で多く見られる通り、質素な生活を実践することは、時を越えて行われてきたが、クエーカーの思想を形作る基本となっている。こうした基本は現在質素・平等・誠実の証言となっている。友会徒は話をするときと同様に衣服と外見に質素を実践している。

クエーカーは3つの関心事(華美を求める虚栄と優越、最新の衣装を着ようとする迎合、流行を追い求め装飾品に金を使う浪費を避ける事)と呼んで無地の服を着ていた。ある時代にはこの質素を実践することで、容易に友会徒を区別することができた。多くの人は今もクエーカーというと男性はつばの広い帽子に鼠色か茶色の服、女性は無地の服とボンネットを連想する。こうした明確な実践は、今日では殆どのクエーカーが行っていないが、基本はまさしく今まで通りクエーカーには重要であり、殆どの友会徒は、新しい方法で日々暮らしている。