$新時代のキリスト教$新時代のキリスト教

内村鑑三の言葉
★<唯一の宗教>(1909年11月 『聖書之研究』)(信8/256)

もし世に宗教てふものありとせんか、そは教職てふ僧侶的階級の手を借りて神を拝することにあらず。
敬虔をもって日常の業を執ることなり。
神聖に地を耕すことなり。神聖に物を商うことなり。神聖に物を作ることなり。
人はすべて祭司にして、全地は神の神殿なり。

このほか別に宗教あることなし。
もしありとせんか、そは迷信なり。悪魔崇拝なり。
何の惜し気なくして廃棄して不可なきものなり。

★<普遍的真理>(1928年10月 『聖書之研究』) (信22/147)
私は普遍的真理を探る。
これを私の家において、私の書斎において、私の霊魂の内に探る
私はこれを得んがために広く世界を遍歴(めぐ)るの必要はない。
また大会と称して集合するにあらざれば知者たるあたわざる男女の集会に列するに及ばない。
私は何びとも適合する真理を探る。すべての人を照らす真の光を求む。
人種、民族、宗教、教派の差別なく、すべての人に当てはまる真理を探る。
普遍的真理は、それが広くあるだけ、それだけ、深くある。
実在の中心に達する人の霊魂だけ、それだけ深くある。
まことに人生の価値はここにある。
すなわち人の生命においてのみ宇宙の中心的真理が現わるるからである。
そして人は、おのが内にこれを発見し、自身、宇宙人物となりて、自己ならびに世界に超越することができる。


★<「無教会主義」の否定>(1931年3月 『内村鑑三追憶文集』)(信18/131-)
私は無教会主義を唱えた。今より三十年前、人がいまだこれを唱えざる時に唱えた。ことに教会が今のごとくに衰えず、教職と宣教師とが今よりはるかに強い時にこれを唱えた。当時無教会主義を唱うるは、あざけられ、そしられ、信者全体より仲間はずれにされることであった。私は当時この主義を唱えて、孤独は当然まぬかれ得なかった。まことに苦しい、幸いなる時であった。

 私の無教会主義は主義のための主義でなかった。信仰のための主義であった。人の救わるるはその行為によらず信仰によるとの信仰の帰結として唱えたものである。ゆえに罪の悔い改めの経験なき者はとうていこれを解し得なかった。されどもこの貴き経験を持たせられし者は喜んでこれを迎えた。教会攻撃のための主義でなかった。信仰唱道のための主義であった。まず第一に十字架主義の信仰、しかる後にその結論としての無教会主義。 十字架が第一主義であって、無教会主義は第二または第三主義であった。

 私が時に強く教会を撃ったのは、その信仰において福音の真理に合わざるものがあったゆえである。私は傲慢無礼の米欧宣教師を憎んだが、いまだかつて教会そのものを憎んだことはないつもりである。その事は、私が無教会主義を唱えながらも、幾回となく彼らの要求に応じて彼らの援助におもむいた事によってわかる。教会は私を助けてくれなかったが、私は幾回か彼らを助けたと信ずる。けだし私は教会の悪い半面と共に善き半面のあることを知ったゆえである。腐っても鯛の骨である。教会は腐っても、聖霊はいまだ全くその内より去りたまわない。そして私はその内にとどまりたもう聖霊のゆえに、教会を尊敬せざるを得ないのである。

 私はかく唱えて、教会と和解せんと欲するのでない。私は教会や宣教師に好まれざることを好む。教会にきらわるるは、私の信仰の純真を守るがために必要である。私がもし今日まで教会と親しんだならば、私もまた彼らと共に信仰堕落の淵に沈んでいたであろう。教会に受けられんがためにあらず、私の立場を明らかにせんがために、私はこの事を言う、すなわち私は「今日流行の無教会主義者」にあらずと。私に、弱い今日の教会を攻むるの勇気はない。私は残る僅少の生涯において、いっそう高らかに十字架の福音を唱えるであろう。そしてこの福音が、教会をこぼつべきはこぼち、立て直すべきは立て直すであろう。私は教会問題には無頓着なる程度の無教会主義者である。教会という教会、主義という主義はことごとくこれを排斥する無教会主義たらんと欲する。

そはわれ、イエス・キリストと彼の十字架につけられし事のほか、
何をも知るまじと心を定めたればなり (コリントⅠ 2/2)