バラ園の思い出 ライ・レ・ローズとバガテル薔薇園 | Espressoのブログ

バラ園の思い出 ライ・レ・ローズとバガテル薔薇園

バラの季節になると、イル・ド・フランスにあるライ・レ・ローズとパリのバガテル・バラ園を思い出します。


ライ・レ・ローズは、1899年に出来たバラだけを集めたバラ園としては世界初のバラ園として知られ、現在でも大変貴重なバラを保存しています。※上記の画像は、ライ・レ・ローズのバラを移植しているパリのバガテル薔薇園


このバラ園を造ったのがル・ボン・マルシェ(世界初のデパート)の取締役をしていたジュール・グラヴロー氏で、退職金をつぎ込み素晴らしいバラ園を完成させました。もう一つのバラ園バガテルは、パリ16区のブーローニュにあります。このバラ園もジュール・グラブロー氏 の協力によって1907年に開園します。

ライ・レ・ロースとバガテル・バラ園のどちらかを静岡県の河津町に導入することで、バラ園を管理しているバル・ド・マルヌ県とパリ市に交渉し両バラ園から許諾を得たのですが、パリ市の方が知名度があると言う事でバガテルを持ってくる事となりました。


フランスで両バラ園が出来た時代は、フランスが最も活気に満ち輝いた創造芸術のベル・エポックといわれる1890 - 1914年の頃に完成しています。後期印象派、アール・ヌーヴォー、キュビスム、そしてフォーヴィスムと芸術の都パリが華やいだ時代です。両バラ園を訪れる度に思いに耽るのですが、当時のパリジェンヌはどの様な服装でこのバラ園で楽しんだのか興味が尽きません。

こんな感じの女性たちが訪れていたのでしょう


ベル・エポックと呼ばれる時代芸術を年代で区切るのは混沌としていて大変難しいのですが、大まかに分けたとすれば後期印象派は19世紀末で 1900年のパリ万博はアール・ヌーヴォーの最盛期、1910年代前後からはキュビスムとフォーヴィスムの時代へと流れが変わったと言えるかも知 れません。

キュヴィスムの先駆者ピカソの面白いエピソードとしては、1911年にモナ・リザがルーヴルから盗難された際に、ピカソが犯人であると誤認逮捕されたり、1917年にジャン・コクトーが台本を書き、ピカソが舞台装置やデザインを手掛け、音楽はエリック・サティ、衣装のデザインはココ・シャネルが受け持ったバレエの『パラード』は、あまりにも前衛すぎたのか、バレエを観た観客は怒りに満ち溢れ、観客が帰るまでコクトーとピカソは楽屋 で息を潜めていたそうです。

彼らは、失敗にもめげず常識に挑戦する姿勢を崩さず、今では天才として名をのこしています。多くの芸術家たちがパリで創作活動をしていたパリは、 ちょっと注意をしてみれば今も当時の面影を色濃くのこしています。そんな魅惑に満ちたパリを、私に体験させてくれたのは、ライ・レ・ローズの創始者ジュール・グラヴローのおかげかも知れません。



J'ai Deux Amours(Mon pays et Paris):ジョセフィン・ベーカーの持歌をジャズ風にした素敵な曲をどうぞ。