凱旋門の螺旋階段と黄金比について | Espressoのブログ

凱旋門の螺旋階段と黄金比について

Paris
螺旋階段の話に入る前に、エトワールの凱旋門(Arc de Trimphe d'Etoile)を簡単に説明します。エトワールの凱旋門は、ナポレオン1世の命によって1806年に着工し、設計をジャン・フランソワ・テレーズ・シャルグランが請負っています。この凱旋門が完成したのは、1836年で高さは49.54m、横44.82mで中央アーチの高さは29.19mもあります。

この凱旋門の建設を命じた、ナポレオン1世本人は完成した姿を見ていません。セント・ヘレナ島に幽閉され、この島で亡くなったナポレオン1世は1840年に遺骸としてフランスに帰還します。ナポレオン1世の遺骸は、凱旋門のアーチをくぐり、廃兵院(オテル・デ・ザンヴァリッド:Hotel des lnvalides)に向かい、廃兵院内にあるドーム教会の地下中央に安置されました。

エトワールの凱旋門エトワールの凱旋門
凱旋門

シャンゼリゼ側から見た凱旋門で、中央アーチの左側にはコルトー作「1810年の勝利(ナポレオンが勝利の女神から月桂冠を授かる場面)の浮彫り。アーチ右側にはリュード作「1792年の出陣(オーストリア・プロイセン軍から祖国を救ったマルセイユの義勇兵出陣の場面)」の浮彫りが施されています。

凱旋門の設計を請負ったジャン・フランソワ・テレーズ・シャルグランは、フランスの新古典主義建築の流れをくんでいるのですが、設計にあたりフィボナッチ(レオナルド・フィリオ・ボナッチ)が解いた数列を意識して、凱旋門の中央開口部の高さと全体の高さの比を設計に取り入れています。

私が、凱旋門の設計でフィボナッチの数列を使用していると気がついたのは、凱旋門内部にある螺旋階段の途中で一息入れている時でした。下記はその時の写真です。

凱旋門内部にある螺旋階段凱旋門内部にある螺旋階段
凱旋門内部にある螺旋階段

螺旋階段は、中世の頃までは上りは時計回りと決まっていました。これは、敵に攻め込まれた時に下から攻める敵は螺旋軸がジャマになり右腕がうまく使えないのと、防御する側に左半身をさらけることになり、上で防御する側にとり有利なことから時計回りになっています。凱旋門内部にある螺旋階段も、この頃からのなごりから時計回りになっています。また、螺旋階段は石積みの構造物内に少しのスペースで昇降路を設けられ、構造的にも合うとされています。しかし、凱旋門の螺旋階段は高さがあり上るにはキツイ・・・

フィボナッチについては以前も触れておりますのでこちらもあわせてご覧下さい。
ピサ(Pisa)について

フィボナッチの黄金比の図オウム貝の断面
左側フィボナッチの黄金比の図、右側オウム貝の断面

フィボナッチ数列は、黄金比(横と縦の長さの比1:1.618)と言い地球上でもっとも美しい数字と言われています。


ピサのレオナルド・フィリオ・ボナッチは数式であらわしたのですが、自然から学び研究を重ね絵画の中で表現してみせたのはレオナルド・ダヴィンチで「モナ・リザ」や「最後の晩餐」にこの黄金比を用い、それらは歴史的な名画になりました。彼のウィトルウィウス的人体図では、「つま先からおへそまで、つま先から頭のてっぺんまで」が黄金比の比率になっています。

ウィトルウィウス的人体図横顔(黄金比)の比率の計算図
左側がウィトルウィウス的人体図で、右側が横顔(黄金比)の比率の計算図



レオナルド・ダ・ヴィンチは、人間たちの作品と自然のそれとの間にある比は、人間と神との間にあるそれと等しいと言っています。エトワールの凱旋門を訪れた際には、フィボナッチのことを思い出して建築物を見ると面白いかと思います。ちなみに私は、名刺で建物の黄金比を調べたりしていますが、シャンゼリゼで暇そうなパリの通行人から貴方は何をしているのかとたずねられたことがあります。

レオナルド・ダ・ヴィンチ アトランティコ手稿/マッシミリアーノ・リザ