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ピカレスク


 中学2年で太宰治の世界に心酔し、常に彼の著作を鞄に忍ばせて登校していたものが、齢を重ねるに連れ、「この世界から離れなければならん。それが大人の道だ。オレは女子供とは違うのだ。」と自分に言い聞かせ、離れていった…。そんな自分ではあったが「生まれてすみません。」「富士には月見草がよく似合ふ。」など、未だに忘れられない一節を心に持ち続ける“かくれ太宰ファン”として今をも生き続けている。そう意識させられたのは猪瀬直樹著『ピカレスク—太宰治伝』との出会いである。

 ふと立ち寄った古書店の廉価本コーナーにあり、「そういえば、ちと前話題になったな。」と思い即購入。その晩から読み始めたが、新しい太宰像に目を見張りつつ、一気読みさせられてしまった。ここまで冷徹に太宰治を見詰めた著作は初めてだろう。太宰の生き方は行き当たりばったりで計画性がなく、状況や他人に流されたりのし通しであり、太宰の作品は若い女性の日記なしには成立し得ないもので、彼の心中も彼の無責任な優柔不断のなせる技だった。と思わさせられる内容であり、その内容のほとんどは、細かな調査により客観的に頷けるものであった。ただし、それは太宰から離れようとした大人の自分であった。読了後、もうひとりの、太宰治に心酔していた青年の自分の思考が頭をもたげてきたのである。「時代という丘の高みから冷静に見れば、こういう人物像が浮かび上がるのも仕方がない。しかし、同時代を生きた、実際に接してきた人物から見ると、やはり違う太宰治像が描かれているに違いない。」
 自分は何年も前に購入しておきながら、未だ読まずにいた本を2冊本棚の奥から取り出して来た。
 一冊は檀一雄著 『小説 太宰治
小説太宰治


 檀こそは太宰文学一番の理解者であり、数々の事件を目撃・体験した当事者である。あの有名な「待つ身と、待たせる身と、どちらがつらいかね。」という言葉を浴びせかけられた檀は、それでも太宰を恨むことなく、最後まで彼の才能を信じ続けていた。少し距離を置いて考えると、それは檀自身の人間性の良さからくるようにも思えるが、しかし、太宰治という男が相当魅力ある人間だったのだろうという考えにも至るのである。様々な憶測を呼んだ太宰の死について、檀は書く。「太宰は自らの文芸の完遂の為に死んだ」と。
 そしてもう1冊が 太田静子著 『斜陽日記』 
斜陽日記

 太宰治の大ベストセラー『斜陽』の原典となった太田静子の日記である。戦争末期を儚く美しく清貧に生きる母子の姿が心を打つ。小説家を志しながら、結局書けず、自身の日記を太宰に見せて作品に反映してもらうことをひたすら希望する姿は、やはり太宰への愛情とその才能への尊敬からなのだろう。『ピカレスク』では『斜陽』は『斜陽日記』の盗用であると思ってしまう読者がいても仕方がないような部分があり、それはかなりの確率で正解であると言えるけれど、また、そうではないとも言える。それは『斜陽日記』がある意味太宰に読んでもらう為に書かれた日記であるからである。
 太田静子には自分の子も生ませた太宰。彼の魅力はやはり尽きないようだ。そして自分も……やはりまだまだ卒業しきれていない様である。

 そいえば、先日ビデオ・レンタル・ショップで『ピカレスク~人間失格~』として映画化されていたことを知る。主演は元LUNA SEAの河村隆一 。
………う~ん…。 後日見て感想を書きませう。