ウェルテル in London | オペラ歌手くみバードの、ひたすらオペラな人生

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主催している「ありどおろ座」オペラ団の情報や合唱の練習など音楽家としての生活です。

マスネーのウェルテルは若い頃あまりなじみがなかった。

超有名なテノールのアリアは別として、
音楽がかったるい感じがしたし、メゾソプラノのアリアを高くないからと試験で歌う学生が多く、

それがあまりうまくなくて印象が悪かったし・・・

テノールは軟弱だしメゾソプラノははっきりしないし・・・とか勝手に解釈し、

それに加えて自分の役がないからという事もあったが、興味のあるオペラではなかった。

初めてウェルテルというオペラをあの伝説のクラウスで見たのはもう20年も前になるだろうか?
あのアリアが始まる前の聴衆の息詰まる様な静けさと、

最後のクラウスのカッコいい死に姿が今でも忘れられない。
とは言え、本当のウェルテル像がどんなものなのか、
ずっと疑問が残ったままだった。
クラウスは美し過ぎた。

また昨年アラーニャで見た時はアラーニャのお蔭で話の筋道はよくわかったのだが、
彼の美声と力強さでウェルテルの自殺するまでの心情は理解できなかった。
アラーニャウェルテルは絶対死なないだろうな、という感じだった。

今回、グリゴーロウェルテルは初めて、ああ、そんなに好きなら死んでも仕方ないな、と思えるに至った。
感情の高まりを秘め続けて独白や最後にそれを爆発させた若々しい決して弱々しくない青年の姿がそこにはあった。
グリゴーロにとってこのウェルテルは今後はまり役のひとつとなるだろう。

パッパーノの指揮も濃厚なロマンチシズムを保ち、一貫してドラマチックなのに大仰でない美しい音楽を醸し出していた。
私はパッパーノのすぐ後ろで鑑賞していたが、歌手達との、特にグリゴーロとのアイコンタクトが
多々あり、お互いの信頼が大いに感じられた。

一つ残念なのは謎の役、シャルロッテだった。
悪いけれどババ臭いとか地味だとか(普通の彼女の方がとっても綺麗)別として、
やはり発声の未熟さが一番気になった。
中間音は流石に持って生まれた奥行きの深さがあるものの、高音になるとほとんど全部前側に倒れ、抑揚のない聞き辛い叫びの様になる。
技術と言うのは誰かに習わなければ決して習得出来ない。
グリゴーロにはそれがあるがシャルロッテにはそれがなかった。
いつもそれをとても残念に思う。

それにしても、絶対またもう一度見てみたいと思わせられた幸せな夜だった。