俺の話を聴け

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6月23日が歴史に刻まれる日になるとは思いもしなかった。

改めて自分の人生を振り返ると、私もまた歴史的事件が起きる世界の真っ只中を生きているのだな、と感慨深くまた存在することや意識の仕合わせ、不思議さを感じる。

EUからイギリスが離脱を選ぶと思わなかった。

いろいろ事情はあるでしょう。結果が決まった後に出てきた論説、検証は全て事情要素を含むだろうし、感情や憶測もまざっているだろう。

個人的にはショッキングだったけれど、悲観はしていないし、ナショナリズムの台頭とも捉えていない。希望的観測だけれど。

EUに込めた欧州諸国の平和の希求と理想も崩壊する訳ではない。

むしろ、これからがより生身の人間が暮らしている社会を反映した、血の通った共同体に改編されるためのプロセスなのだと思う。

理想が高くて、社会的にリーダー層にいる人々だけの政(まつりごと)ではないのだ。
知識階級だけが社会をつくる波を統制、管理するのじゃないのだ。

むしろ、そんな彼らの理想と戦略や駆け引きにどれだけ”大衆”と括られる、いち市民たちのささやかな暮らしがかき回されたか。

「俺の話を聴け」

いや、
「俺たちの話も聴け」

大衆と一括りにして、彼らは導かなければならない、知識階級とは違う人間と、どこかで見てこなかったか。

同じ人間だ。

話すと人生の経験から得た真理の結晶を誰でも持っている。多少の差はあれ、輝きの差はあれ。

個々の人にはそれぞれの守りたいものがあり、感情ばかりで生きているわけではない。

市民が票数にしか見えなかったのなら、これからは負ける。

本当の民主主義が始まったのだ。

皆に権利がある。

話し合うこと、話を聴くことがますます必要なプロセスになる。
物事は簡単に決まらなくなる。話し合うことで多角的な要因を知ることになるから。

同時に、決めるときは速やかに決まるようになる。
話し合うことで、互いを理解し信頼関係を培うから。

離脱派を感情で動いたと解説する論がある。
そうかもしれない。

それほど私たち人間は動物的で感情が先に出てくる。不安や不満、つまりストレスを感じれば。

人間のその傾向に手当てする政策をしてこなかったための結果に思える。

感情が声をあげたのだろう。
「理性クンはいつも正しい。だけど、ワタシの話も聴いて!」

理想を追いかけ、目標に邁進するあまり、生身の自分の生活、身体、感情が我慢を強いられて病気になるように。

もし、もっと細やかに寄り添えたなら。
もしもっと、互いの考えの違いにも耳を傾けられたなら。 

話を聴いてもらえた、というだけで報われる感情もあったろうに。

何か、解決の糸口を見つけられたかもしれないのに。

感情が噴出して表れる行動は、ギリギリのサイン。

俺の話を聴け!


新たな世界システムへの一歩は、駆け引きのためじゃない、共生のための話し合いがある社会のためだと願っている。



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