北陸が大雪に見舞われていたころ、私は青空にまぶしい陽の光がふりそそぐロサンゼルスにいました。


 


急遽の渡米は、姉の葬儀があったからです。


3年間闘病していた姉が痛みから解放されたのです。



ようがんばりました。


年齢を考えると心残りもたくさんあるでしょうけれど、それでも気丈にふるまうことも痛みをこらえることももういいからね、お疲れさまでした。


 


姉のやると決めたらやり通す意志の強さ、そして勇敢さに小さいころからすごいなと思っていました。


私は流されやすかったから。だからずいぶん迷って、ようやく今の歩き方になったほど。


 


いろんなところで私は姉を手本にしてきました。


と同時に、だからこそ自分なりの生き方をしていこうと思い立たせる人でした。


 


葬儀のときに牧師さんが、参列者の方々から生前の姉を表す言葉を挙げていきましょうか、とネイチャーゲームの手法のようなことをしました。予想以上に葬儀にいらしてくれた友人・知人から涙と思い出とともに言葉がこぼれてきました。


 


いつも笑顔・細やかな気遣いをする・芯が強い・勇敢・家族を大切にする・・・・


 


いろんな言葉が出てきました。LA暮らし20余年のいろんな姉の姿がそこに表れました。


 


家族の私たちから見たらまた違う、姉がどれだけ人とともにいることを大切にいたかを知りました。


 


だけど、もっと自分の体や心のことも時間を割いたらよかったのにさ。


なんて私は思ってしまうのだけれど、闘病しているときでも彼女がそうであったことこそ、それが彼女の生き方だったのだろうな。


友達の悩みを聞いてやり、子供たちのプレイデイトのとりまとめをして。すごくがんばっちゃう。


 


彼女は本当に完璧だった。と、ママ友のお一人が話してくれました。


 


葬儀の日は夏日のような気温の高く、青空のきれいな祝福されたような陽気の一日でした。


姉の旅立ちにはふさわしい晴れやかな日でした。しんみり、湿っぽいのが好きじゃないから。


だから日本じゃなくLAを生きる土地に選んだのだし。


 


生まれ変わるか、光になって愛する彼女の家族を照らし見守るか、姉は次なる形になるために旅立ちました。


確かにこれ以上、同じ時間を肉体を持った形で経験することはできないのだけれど、失ったとは思っていません。


 


よう生きました。


姉と私と弟と、兄弟として一緒にいられたご縁に感謝。


 


姉にあげていた、ののくさ堂の服たちを思い出の品として引き取ってきました。



 


ありがとうね。


これからはちがう形で、よろしくね。


 


 


 


 

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