【新作イラスト】小笠原秀政
●小笠原秀政
※このイラストは小笠原秀政公をイメージして描いたオリジナルキャラクターです。
信濃国松本藩初代藩主、小笠原家宗家初代・小笠原秀政。
恐らくほとんどの方が聞いた事のない名前かと思いますが、国宝・松本城の城主でも在らせられた実在の大名です。
実は私も松本城へ行く前に松本城のことを色々と調べていて初めて知ったのですが、かなりの苦労人の上に兵士や民からも信頼の厚かった名将と見受けられ感銘を受けました。
では私の調べたことを私なりに簡単にご説明致します。
●1504年 松本城(深志城)築城~秀政様誕生
松本城というのは元々源氏の流れを持つ、信濃守護職【小笠原氏】という氏族が築城して居城でした。
この頃は「深志城」という名前です。
しかし1500年代半ばに甲斐の武田氏が攻め落とし、小笠原氏は追い出されてしまいました。
そんな中、1569年4月7日、秀政様は京都にある山城宇治田原で生まれます。
●1582年 徳川家康公の人質へ~
本能寺の変で織田信長公が死去すると、秀政様の父・貞慶公は徳川氏の家臣となるべく徳川家康公に人質として、長男であった秀政様を差し出します。
(このとき秀政様はまだ14歳くらいですね)
このとき秀政様を預かったのが徳川の家臣であった石川数正公。
このときはまだ秀政という名ではなく、貞政という名前を名乗っていました。
1583年、父・貞慶公は家康公より松本城を与えられ旧領を回復、大名となります。
●1585年 豊臣秀吉公の元へ出奔~小笠原氏当主へ
石川数正公が突然家康公のもとから秀吉公の元へ出奔します。(原因不明)
このとき秀政様も連れて行かれたために、父である貞慶公も秀吉公に使える事になりました。
ここで秀吉公より偏諱を与えられ「秀政」と名乗ります。
1589年、父から家督を譲られて小笠原氏当主となり、松本城の城主となります。
(秀政様21歳)
●1589年 登久姫様と結婚
小笠原氏当主となった年と同じ年の8月、秀吉公の仲介により家康公と和睦し、家康の孫娘・登久姫様と結婚。
この登久姫様は後日詳しく書きますが、織田信長公と徳川家康公の孫娘というすごい御方なのです。
(当時登久姫様13歳…?若っ!)
●1590年 再び家康公の元へ
父・貞慶公は小田原征伐で前田利家軍に従って軍功を挙げ、秀吉公から讃岐半国を与えられたのも束の間、かつて秀吉公の怒りに触れて追放された尾藤知宣を保護したため、秀吉公の怒りを買って改易されてしまいます。
保護したのになんてことだ…!!
というわけで、秀政様は父と共に再び家康公の家臣となるも、徳川家の関東移封が行われ、秀政様も松本城から出る事に。
(ここで松本城の城主は石川数正公に)
しかし小田原征伐の軍功は認められ、家康から下総古河に3万石を与えられます。
●1600年 関ヶ原の戦いの軍功
秀政様は東軍として宇都宮城守備を任され、功績を上げます。
翌年、その功で信濃飯田5万石に移封され信濃守を名乗ります。
(ここで飯田城に入るわけですね)
●1607年 登久姫様との別れ~出家
登久姫様は32歳の若さで信濃飯田城にて亡くなってしまいます。
登久姫様との間には六男二女を儲けたそう…切ないT-T
●1613年 松本城へ返り咲き
当時、松本城の城主だった石川数正公の長男・康長公が改易され、8万石で松本城に返り咲きます。
小笠原氏の松本城奪還。
登久姫様と過ごした日々を思い出された事でしょう…あぁ、涙が。。。
●1615年 大阪の夏の陣での奮戦~死去
大阪の陣ではもちろん徳川方として参陣。
冬の陣では3300の兵を率いて出陣、翌年の夏の陣では本多忠朝を救援します。
しかし天王寺口の戦いで長男・忠脩様が戦死、秀政様も6カ所に重傷を負い戦線離脱。
この傷が原因で47歳で死去してしまいます。
全然簡単じゃない^^;
まだまだ勉強中の身で色々書かせていただき恐縮ですが、もし間違っているカ所や追加情報などありましたらぜひともご教授願いますm(_ _)m
そんなわけでですね、本当に波瀾万丈な人生を送られてきた御方だと思います。
特に登久姫様とのエピソードは考えただけでも目頭が熱くなる思い。。。
最後の夏の陣でも我らが信州が誇る勇猛果敢な働きを見せてくださったとのこと。
ありがとうございましたT^T
●イラストデザインイメージ
というわけでデザイン上のイメージは主に「小笠原秀政」という名から。
私の中の方程式、名に【秀】の字が入るとイケメン(笑)
そんなわけで今の自分に描ける最大級のイケメンを意識して描いたつもりです^^
作画のポイントとしては前髪の3ブロック。
中分けでも良かったんですが、某ゲームの三成様っぽくなってしまいそうだったので^^;
あとは小笠原氏の家紋、三階菱(さんかいびし)を随所に取り入れて、トレードマークにしたかった鉄扇も装備させてみました。
以上です。
来年2013年は秀政様が松本城に返り咲いた1613年から数えてちょうど400周年記念の年。
これを機にたくさんの方に秀政様や松本城に興味を持って下さる方が一人でも増えるよう、来年は頑張ってみたいなと思う所存でございます。
と言うわけで以上、小笠原秀政様のご紹介でした☆
次回は正室・登久姫様にございます!
※あとがき
読者の皆様長らく更新止まっておりまして申し訳ございませんでした^^;
またこちらの記事も最後までお読みくださり、感涙の極みにございますT^T
最近は地域活性化にばかり興味があり、場所を問わず地域の活性を志す方々との繋がりがとても嬉しく感じられます。
これからまた徐々にブログの方も再開していこうと思いますので、またひとつどうぞよろしくお願い申し上げます。
誠都
※このイラストは小笠原秀政公をイメージして描いたオリジナルキャラクターです。
信濃国松本藩初代藩主、小笠原家宗家初代・小笠原秀政。
恐らくほとんどの方が聞いた事のない名前かと思いますが、国宝・松本城の城主でも在らせられた実在の大名です。
実は私も松本城へ行く前に松本城のことを色々と調べていて初めて知ったのですが、かなりの苦労人の上に兵士や民からも信頼の厚かった名将と見受けられ感銘を受けました。
では私の調べたことを私なりに簡単にご説明致します。
●1504年 松本城(深志城)築城~秀政様誕生
松本城というのは元々源氏の流れを持つ、信濃守護職【小笠原氏】という氏族が築城して居城でした。
この頃は「深志城」という名前です。
しかし1500年代半ばに甲斐の武田氏が攻め落とし、小笠原氏は追い出されてしまいました。
そんな中、1569年4月7日、秀政様は京都にある山城宇治田原で生まれます。
●1582年 徳川家康公の人質へ~
本能寺の変で織田信長公が死去すると、秀政様の父・貞慶公は徳川氏の家臣となるべく徳川家康公に人質として、長男であった秀政様を差し出します。
(このとき秀政様はまだ14歳くらいですね)
このとき秀政様を預かったのが徳川の家臣であった石川数正公。
このときはまだ秀政という名ではなく、貞政という名前を名乗っていました。
1583年、父・貞慶公は家康公より松本城を与えられ旧領を回復、大名となります。
●1585年 豊臣秀吉公の元へ出奔~小笠原氏当主へ
石川数正公が突然家康公のもとから秀吉公の元へ出奔します。(原因不明)
このとき秀政様も連れて行かれたために、父である貞慶公も秀吉公に使える事になりました。
ここで秀吉公より偏諱を与えられ「秀政」と名乗ります。
1589年、父から家督を譲られて小笠原氏当主となり、松本城の城主となります。
(秀政様21歳)
●1589年 登久姫様と結婚
小笠原氏当主となった年と同じ年の8月、秀吉公の仲介により家康公と和睦し、家康の孫娘・登久姫様と結婚。
この登久姫様は後日詳しく書きますが、織田信長公と徳川家康公の孫娘というすごい御方なのです。
(当時登久姫様13歳…?若っ!)
●1590年 再び家康公の元へ
父・貞慶公は小田原征伐で前田利家軍に従って軍功を挙げ、秀吉公から讃岐半国を与えられたのも束の間、かつて秀吉公の怒りに触れて追放された尾藤知宣を保護したため、秀吉公の怒りを買って改易されてしまいます。
保護したのになんてことだ…!!
というわけで、秀政様は父と共に再び家康公の家臣となるも、徳川家の関東移封が行われ、秀政様も松本城から出る事に。
(ここで松本城の城主は石川数正公に)
しかし小田原征伐の軍功は認められ、家康から下総古河に3万石を与えられます。
●1600年 関ヶ原の戦いの軍功
秀政様は東軍として宇都宮城守備を任され、功績を上げます。
翌年、その功で信濃飯田5万石に移封され信濃守を名乗ります。
(ここで飯田城に入るわけですね)
●1607年 登久姫様との別れ~出家
登久姫様は32歳の若さで信濃飯田城にて亡くなってしまいます。
登久姫様との間には六男二女を儲けたそう…切ないT-T
●1613年 松本城へ返り咲き
当時、松本城の城主だった石川数正公の長男・康長公が改易され、8万石で松本城に返り咲きます。
小笠原氏の松本城奪還。
登久姫様と過ごした日々を思い出された事でしょう…あぁ、涙が。。。
●1615年 大阪の夏の陣での奮戦~死去
大阪の陣ではもちろん徳川方として参陣。
冬の陣では3300の兵を率いて出陣、翌年の夏の陣では本多忠朝を救援します。
しかし天王寺口の戦いで長男・忠脩様が戦死、秀政様も6カ所に重傷を負い戦線離脱。
この傷が原因で47歳で死去してしまいます。
全然簡単じゃない^^;
まだまだ勉強中の身で色々書かせていただき恐縮ですが、もし間違っているカ所や追加情報などありましたらぜひともご教授願いますm(_ _)m
そんなわけでですね、本当に波瀾万丈な人生を送られてきた御方だと思います。
特に登久姫様とのエピソードは考えただけでも目頭が熱くなる思い。。。
最後の夏の陣でも我らが信州が誇る勇猛果敢な働きを見せてくださったとのこと。
ありがとうございましたT^T
●イラストデザインイメージ
というわけでデザイン上のイメージは主に「小笠原秀政」という名から。
私の中の方程式、名に【秀】の字が入るとイケメン(笑)
そんなわけで今の自分に描ける最大級のイケメンを意識して描いたつもりです^^
作画のポイントとしては前髪の3ブロック。
中分けでも良かったんですが、某ゲームの三成様っぽくなってしまいそうだったので^^;
あとは小笠原氏の家紋、三階菱(さんかいびし)を随所に取り入れて、トレードマークにしたかった鉄扇も装備させてみました。
以上です。
来年2013年は秀政様が松本城に返り咲いた1613年から数えてちょうど400周年記念の年。
これを機にたくさんの方に秀政様や松本城に興味を持って下さる方が一人でも増えるよう、来年は頑張ってみたいなと思う所存でございます。
と言うわけで以上、小笠原秀政様のご紹介でした☆
次回は正室・登久姫様にございます!
※あとがき
読者の皆様長らく更新止まっておりまして申し訳ございませんでした^^;
またこちらの記事も最後までお読みくださり、感涙の極みにございますT^T
最近は地域活性化にばかり興味があり、場所を問わず地域の活性を志す方々との繋がりがとても嬉しく感じられます。
これからまた徐々にブログの方も再開していこうと思いますので、またひとつどうぞよろしくお願い申し上げます。
誠都