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埼玉県川口市でのクルド人問題について色々思うことがあります。
確かに一部のクルド人に問題があるのは事実ですが、クルド人全員がそういう人間でないことも理解する必要があります。
クルド人全員を一括りにして悪質な差別行為は絶対にダメです。
クルド人というだけで差別やヘイトスピーチを正当なする行為は、第三者からすればただの弱い者イジメでしかありません。
その加害者が「日本を愛する日本人」を名乗るなど論外です。
何故、日本が急激に多様性の尊重をアピールしないければいけない状況なのか少し考える努力をしましょう。
何故、生まれ持った尊厳や覆せない尊厳を否定し傷つけるヘイトスピーチが犯罪に等しい行為になるのか少し考える努力をしましょう。
クルド人を一括りにして傷つけた人たちは、これから法的措置を受けることになるでしょう。
何故なら悪いことをしたからです。
日本を愛する日本人なら、愛国心を持つ前に社会の一般常識を身に付けましょう。
ひぼう中傷に「いいね」 訴訟で杉田水脈議員敗訴確定
個人をひぼう中傷する内容のツイートに自民党の杉田水脈衆議院議員が繰り返し「いいね」を押したことで、名誉を傷つけたかどうかが争われた裁判で、最高裁判所は9日までに、議員側の上告を退ける決定をし、杉田議員に賠償を命じた2審の判決が確定しました。
訴えを起こしていたのはジャーナリストの伊藤詩織さんで、自身をひぼう中傷するツイートに繰り返し「いいね」を押されてフォロワーに拡散され、名誉を傷つけられたとして、杉田水脈衆議院議員に賠償を求めていました。
1審の東京地方裁判所は「いいね」を押す行為について「非常に抽象的でさまざまな意味を持つ表現行為で、特段の事情がないかぎり違法とはならない」などと判断して訴えを退けました。
一方、2審の東京高等裁判所は「一般的に『いいね』は対象のツイートに好意的、肯定的な感情を示すものにとどまるが、伊藤さんへの批判を繰り返していた杉田議員は、名誉を傷つける意図を持って『いいね』をしたと認められる。11万人ものフォロワーがいる国会議員のアカウントで行われたものであり、影響は大きい」と指摘して1審とは逆に訴えを認め、55万円の賠償を命じました。
これに対して杉田議員側が上告していましたが、最高裁判所第1小法廷の安浪亮介裁判長は9日までに上告を退ける決定をし、杉田議員側の敗訴が確定しました。
専門家“『いいね』で傷つく人も 押すとき一呼吸おくとよい”
SNSのひぼう中傷に詳しい国際大学の山口真一准教授は、「確定した2審の判決は過去の言動を総合的に踏まえ、国会議員であることやフォロワー数が多いことを考慮して違法な行為だと認定した。『いいね』が単純に侮辱行為にあたるとしたわけではないが、投稿だけでなく『いいね』も人を傷つけるということを裁判所が認めたといえる」と分析しました。
そのうえで、SNSを利用する時の注意点について「安易に『いいね』を押すだけでも、それによって傷つく人もいる。投稿だけでなく『いいね』を押すときも一呼吸おくとよい。自分がされて嫌だと思うことは、相手にもしないということが大切だ」と指摘しています。
当然の結果です。
杉田議員や支持者たちは社会の一般常識を学ぶべきです!
日本を愛する前に現実社会に目を向けて生きてほしいものです。
伊藤詩織さんは過去にもはすみとしこ氏という漫画家にも裁判で勝訴しています。
そちらの記事も載せたので良かったら見てください。
杉田議員の支持者にこれだけは言わせてもらいます。
日本を愛しているなら現実から逃げるな!
日本を愛しているなら悪質な差別や誹謗中傷をすぐに止めろ!
愛国心を持つ前に一般常識を身に着けろ!
伊藤詩織さんを傷つけたテメェ等は集団イジメを正当化する犯罪者だ!
愛国心を理由に犯罪が正当化されると思うな!
2001年の1月26日に東京のJR新大久保駅で韓国人留学生の李秀賢(イスヒョン)さん(当時26歳)と日本人のカメラマンがが線路に落ちた1人の日本人を助けようとして死亡した事故がありました。
今年で23年も経ちました。
韓国人留学生の李秀賢さんについては、失礼ながら新聞記事の内容を引用します。
「日本語の勉強を頑張って、ワールドカップで通訳のボランティアがしたい。そして、いつか韓国や日本をつなぐ仕事に就きたい」
李さんは英語の授業中、教員の田中展子さん(74)に目標を聞かれ、はにかみながら答えた。
2000年夏。サッカー・ワールドカップ(W杯)日韓大会が2年後に迫っていた。
李さんは韓国の高麗大学に在学中、地域研究の授業で日本に関心を持ち、留学先に選んだ。
00年1月に赤門会日本語学校(東京都荒川区)に入学し、日本語と英語の授業を受けていた。スポーツが得意だった李さんは、「スポーツ関係の研究をするため、早稲田大の大学院を目指している」と話していたという。
そのため、入学に必要な英語も、日本語と並行して学んでいた。「入学当初から英語力はひときわ目立っていた」と田中さんは振り返る。
机にはいつも、使い古してボロボロの日本語と英語の2冊の分厚い辞書を広げていた。
会話の授業で口にした夢が「韓国語と日本語、英語の3カ国語を使って人と人をつなぐ」こと。その一つがW杯だった。
時事問題にも関心が深く、00年6月の初の南北首脳会談を報じる英字新聞を食い入るように読んでいた姿を、田中さんは忘れられないという。「真面目で勉強熱心。そして行動の人」。初級クラスから入った日本語は、半年で上級にも手が届くほど上達した。
夏休み明けに日焼けで真っ黒になって登校した李さんに理由を尋ねると、「マウンテンバイクで富士山に登りました」
この行動力と精神力、人柄なら望んだ未来を実現できる――。そう信じて疑わなかった田中さんに、事故の知らせは届いた。
その日は大雪。李さんの来日から、わずか1年後だった。
この事故の後、駅にホームドアが設置されることになりました。
転落事故を防ぐためには最善の方法です。
遺族に対しては当時の総理の森喜朗氏から書状が送られ、警察庁からは警察協力章が送られました。
翌年には当時の天皇陛下(2024年現在は上皇)が皇居に招待して慰労したそうです。
2015年の安倍政権時代も政府から旭日双光章が贈られました。
人のために命を懸けた行動は多くの日本の権力者たちの心を動かしました。
そして2024年の今も李さんはが語った「人を繋ぐ」という夢は生き続けています。
だからこそ、天国にある李さんにこれだけは伝えたいです。
「貴方の目標は今の若い日本人にもに受け継がれています。天国から見守ってください。」