鰯のブログ

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話のつづき

そうと決まれば、ただちに朝長さんに連絡
前波さんと一緒にアポをとってランチとディナーの合間に店舗内の計測へ

それまで散々あちこち連れ回して計測やら見積もりをたててもらい、ことごとく水の泡となってきたので散々不安がられましたが快く引き受けてくれました。
意外としっかりとした作りで外装なんかはテントを張るだけでいけそうでした。厨房内は使える物は使いまわしていらないものはインド人に引き取ってもらいました。必要な厨房内の重機はそれまでに蓄積された多種のインターネット情報とママゴトの甲斐あり、決められた狭い範囲内に必要なものを詰め込むことができました。
外装は極めてシンプルで、見た目だけでは何屋かわからなくする のを目指しました。何屋かわからへんけど気になるわぁと思わせることに注力しました。看板の類は無し。
誰でも入りやすい店というよりは飲み食いが好きな人しか興味が向かない店にしようという狙いです。

工事が始まるとやることがいっぺんに増えます。食材やワインなどの取引業者さんとの打ち合わせも詰め詰めです。毎日のように喫茶店のコーヒーを三杯は飲みました。夏のはしりだったので喫茶店内はクーラーがガンガンで上に一枚はおれるものが手放せませんでした。
業者さんの対応もいろいろで、「はやりそう!」の前提で前向きに手助けしてくれる業者さんと言葉にはせずともあまり相手にしてくれなそうな業者さん。
後者にはいつか見返してやろうと思いますが、前者にはいい店を作ることで共に成長して恩を返そうと思います。

内装の肝となる照明についてはやはりあの兄貴にレクチャーをしていただくことになりました。
頼れるあの男に、、、

つづく




iPhoneからの投稿

話のつづき、、、

その物件はまだ営業中のインド料理屋さん
後釜が決まり次第、撤退することになっているらしい
遠慮していた福島だったけども、いざ決めようとしたのはポルチーニから歩いて三分
二号線沿いのロシア料理店の裏側
人通りはないし周りに店もないけど、浄正橋の交差点からはすぐ近く
静かな通りに頑張ってお客さんを呼ぼう!と思いました
そんな場所に太鼓判を押してくれた中谷さんには頭あがんないです

とりあえず、不動産屋に電話してみると、なんとまだ1番のり
インド人のかたからまぁまぁの額の譲渡金を提示されていたので、ネギれるだけネギってもらえるように交渉しました
インド人のかたも日本の景気の悪さに嫌気がさして「早くインドに帰って商売がしたい」と嘆いてはりました
とにかく話を簡潔に、不動産屋さんやインド人のかたにパスされないように気を遣い契約にたどり着きました
ホッ(;´Д`A
さーいよいよ店作りスタートです!

つづく


iPhoneからの投稿

話のつづき

かかってきた電話はポルチーニの中谷さんから
「梅田に用事があって、ついでに物件見て来たでー、、、
あそこは辞めといたほうがいいんちゃう?
ちょっと焦ってるんちゃうか?
負のオーラ出まくってるわあそこ。
焦らずじっくり決めや~、、、」
正直、中谷さん以外からのアドバイスだったら聞き流していたかもしれません
しかもたしかに焦りが出ていたと気づきました
自分の半生を捧げる場所決めに妥協をしてはいけないと思いました
というより、腹を決めていた自分の意見を簡単に覆されるほど中谷さんの影響力があるんだなと気づきました

また振り出しへ、、、

無職なんか関係なく、幼い息子はなついてくるし目に見える成長を日々している
そんな寝顔を見ながら「しっかりしろ」と自分にいい聞かせました
店の内容を煮詰めていくしかその時できることはありませんでした
物件との出会いはタイミング
必死に探しても、ない時はない
簡単に見つかることもある

いつの間にか肩に力が入って、無駄な動きが多くなり、焦る
というようなことになっていたようです

腹をくくった自分の意思よりも尊重してしまう中谷さんの意見
こうなったら、気になる物件が出てきたらとりあえず中谷さんに見てもらおうと思いました(かなりお手数ですが、、、)
またまた肥後橋に舞い戻り、どうだろうか?と思う物件を見つけて、真夏の暑い中、ポルチーニの仕込み前の中谷さんに無理を言って肥後橋まで来ていただきました
見るなり即却下(; ̄O ̄)
帰り道に喫茶店に入りアイスコーヒーをご馳走になりました
「福島でやり」
じんわりと汗をかきながらアイスコーヒーをカラカラと鳴らしながら
「俺に遠慮するな」
「福島こそサブ(僕)のホームグラウンドやないか」
と暖かい言葉をかけてくれました
「福島は今だに成長しつづける街やで」
と、打診してくれました
一軒、福島で遠慮していた物件の話をすると
「絶対そこがいいわ、そこにしーや」
と物件を見てもいないのに押してくれました
福島なら冒険なく、僕でも食っていけるであろうという親心以外の何でもなかったと思います
僕は自分の家族の顔を思い描いて、中谷さんの気持ちに甘えることにしました
帰り道に二人でその物件の目の前を通って、
「やっぱり、えーやん間口もいーし
決まりやな。じゃっ、がんばりやー」
っとポルチーニへと出勤していきました
その物件は、、、

つづく





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