映画犬について僕が知っている二、三の事柄★ -11ページ目
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視力低下...

実は最近、ちょっとずつ視力低下してます。
今日吉祥寺のアイシティにコンタクトを買いにいったのですが、いつもの定期検診に加えて、もっと詳しい診療を御願いしました。
眼圧を測るのも、いつもの空気プシュッってやつじゃなくて、青い光線を少しだけ発する突起を眼球に直接あてられました。
あとは、視野計測もやってもらいまして、ファインダーをのぞくと円形の視界の中央に十字があって、そこに目を固定しながらその周囲に光が現れたらボタンを押す、そんな作業を延々15分くらいやりました。
結果は...、あまり良くなかったのです。
かといって悪かったわけでもありません。
僕の父犬は緑内障になるかならないかの瀬戸際で粘っていて一日に何回かの目薬をやめてしまったら失明しかねない状態にあるらしいですが、僕も残念ながらその遺伝子をしっかり継いでしまったようなのです。
若ハゲの遺伝子は何とか回避したようですが。

今のところ、薬もいらないし、とくに何かする必要もないのですが、これから視野が狭くなってくるとすれば、どうやら大変なことになるらしいとのことです。
定期的に検診に通い、こまめに状況を把握するしかないです。

失明したら大好きな映画がみられない。
それが一番の心配事です。
失明しても映画を観られるんだったら、まぁやむを得ないなと思うのですが。

是枝裕和『誰も知らない』

是枝裕和『誰も知らない』@渋谷シネ・ラセット

この映画について、母親は無責任だとか、子供は愚かだとか、そんなことを言うつもりはない。
母親による子供の置き去りというモチーフを事件から借り受けているのみで、そのほとんどは脚色であることは監督自身が認めていることだし、そもそも映画における善悪について考えたところで解決にはならないからだ。
また、ある素人の批評を読んでいて、映画を観ている者にとって消化不良的に終わってしまうメジャー系ではない作品、とか、劇場上映のメリットが少ない作品、という意見を目にしたが、本当にあきれた。
消化不良を起こすのは観る者の胃腸がハリウッド式マクドナルドしか受け付けないほど偏重しているからであり、劇場上映のメリットが少ないだなんて現実的に考えればこの映画がロングランしているわけで、あるいは彼の言うメリットなんてものは、映画にはそもそも見当たらないのだから。
受動的にしか映画を観ない、言われたこと=表現されたもの=映像による完結した物語しか受け取らないし受け取れない、そんな時代なのかもしれないが。



この映画を子供と大人という対立として観てしまうと面白くない。
その対立はテレビ番組で十分だ。
そうではなくて、子供でもない、大人でもない、そんな子供たちの生活が描かれている。
「生きているのは大人だけですか」という柳楽のポートレートを背にした言葉がパンフレットに綴られていたが、子供と大人というありふれた対立を想起しかねない。
生きているのは、大人と子供、それは確かであるが、大人の所有されている子供ではなくて、子供としての子供が、そこにはいるのだ。
そういえば現今、子供は物象化されてはいないか、「もの」として扱われていないか、経済的な消費物と化していやしないか。
子供が子供として、大人の対立概念としての子供としてではなく、描かれている。
子供は、それ自身において、生きている。
それがあのメッセージの意味である。

少し観念的になってしまったかもしれない。
僕自身はこの映画を観てしまっているから仕方がない。
観ればわかるといえばいいと思っている。
映画における具体的な物語についてあれこれ言うのはおこがましいから。

この映画で主演の柳楽君はカンヌで主演男優賞をもらったが、それだけではないと思う。
『誰も知らない』は今年一番の傑作だと思う。

評価 ★★★★★ (5)

黒澤明『椿三十郎』

この前パリに滞在した時に、ソルボンヌ近くの名画座で黒澤明特集をやってたものだから、フランス映画観たって半分もセリフわからにゃーなー、黒沢なら大丈夫だろ、ってことでそのときやってた『隠し砦の三悪人』を観た。
いや本当は、わざわざパリの情報誌パリスコープ(日本の『ぴあ』みたいな雑誌だがもっとコンパクトで余計な情報が一切ない)で調べて『椿三十郎』を観るつもりだったんだけれど、結局日にちを間違っててそれを代わりに観たってところだ。
だから、帰国して二ヶ月以上たった今、観たかった『椿三十郎』を観れたのはちょっとだけ感慨深い。

黒沢明はちっとも詳しくないし、というか日本の古典映画にはまったく詳しくない。
ただ小津とか黒沢とか溝口、あるいは大島、寺山、鈴木清順なんかは別格らしいのである程度観てる。



『椿三十郎』は面白かった。
時代劇が好きな僕だから、やっぱり好きだった。
まぁ、別段凝った映画ではないし、映画としては良作といったところ。
三船敏郎の演技は『隠し砦』同様ほかに代え難いし、若き加山雄三とか田中邦衛、それと最期三船に居合い切りを挑んで切られ血飛沫あげて命を落とす剣豪役には仲代達矢が好演している。
その有名なシーンは何度も繰り返して観た。
10秒感近くの沈黙を置いて、仲代は刀を抜いて上から振りかざしたところを、三船は右手で刀を抜きつつ左手の甲を使って振り抜く。
その間は一瞬だ。
三船は素晴らしいし、黒沢の演出も見事。

なんて、批評にはならない批評を書くのは恥ずかしいが、黒沢について書くのは難しいってことで。

それじゃ、あばよ。

評価 ★★★★☆ (4)

ふう

ふぅ


今日は正午前まで寝ていた。
昨夜遅くまで起きていたから仕方がなかろう、そう思って、起きてからも30分ほどベッドで布団をかぶって何やら考えていた。
外の天気は良かったけれど僕の元気はそんなに良くなかったので、吉祥寺にコンタクトを買いにいくのを止すことにした。
家にいよう、そう思った。

それから6時半までナベトモの家にカレーを食べにいくまでの間、パソコンに向かって就職サイトをめぐった。
イタリア語ができるからフェラガモとかいいんじゃない?
事実今日の日曜版にフェラガモの流通スタッフ募集の広告があったから、そそられてるし、今でもそそられてる。

ナベトモの家に行ったらサザエさんがやっていた。
自分がまだひとりだったときには熱心にみていたが、今はそれほどでもない。
カレーはコジコジ用に甘く作ってあったので胡椒を削ってガラムマサラをふって辛くした。
いなげやで買ってきたカリフォルニアのワインのシャルドネpapioがやけに上手くてうれしかった。
三人でやけに複雑なハナシをして、少し寒くなったところでナベトモの家をあとにした。

そして、、、いま僕はこのパソコンに向かっているという次第だ。
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