どうも。


今日も今更感満載だが、西野カナのトリセツについて書く。

しかも、トリセツについて書くのは、2回目である。

井口は、トリセツに対して、何か恨みでもあるのかと言われそうだが、ご安心を。

別に恨みなんてない。

ただ、個人的にこの歌は、凄く印象が残っており、さだまさしの関白宣言の女性版という感じがしたのだ。


すぐに忘れ去られてしまうような歌が多いなかで、このようにまだ、印象が残っているのは凄い。

恋愛ソングに、新たな風を吹き込んだのは確かだと思われるので、そういった意味では、西野カナの功績は、大きいと思う。

西野カナは、複数の女性にアンケートを取り、それを元にして、歌詞をつくるらしい。

言わばこの歌は、女性の夢と理想とエゴがたっぷり詰まった歌なのである。

この歌を容認出来るか否かで、その男性が、恋愛や結婚に対して、適性があるかどうかまでも分かってしまうような、そんな恐ろしい歌なのだ。



恋愛や結婚に、適性があるかどうかを検査する曲、もう「恋愛(結婚)適性検査曲」と呼んでしまってもいいのではないかと思う。

恋愛に適性があるかどうかを検査する、言わばリトマス紙的な役割を担った歌を生み出した、西野カナの功績は、やはり偉大である。


トリセツの歌詞の女性は、

「重い・面倒・怖い」の三拍子が、見事に揃っており、女性のエゴの塊のような歌ではあるが、同様に、さだまさしの関白宣言だって、男性のエゴの塊のような歌である。



「恋なんて いわば エゴとエゴの シーソーゲーム」

そんなことを、ミスチルが歌っていたけど、まさにその通りで、恋愛や結婚においては、男女どちらもが、お互いに、エゴとエゴを、日々ぶつけあっているのである。


お互いにエゴをぶつけあっているならば、それはある意味、対等な関係なので、別にいいと思うが、一方的なワンサイドゲームならば、しんどいだろうなとは思う。

まあ、この歌を聴いていて思ったのだが、男であれ女であれ、どちらも、褒めて欲しいという欲求を、大いに持っているということだ(笑)

トリセツは、恋愛したり、結婚したりするためには、広い心と深い愛を持ってして、

女性のエゴを大いに受けとめる力が必要なのだと、そんなことを教えてくれる「教訓歌」なのである。


包容力、寛容力、経済力、信用力・・・。

男が備えないといけないものは、これらの他にも、多く存在すると思うが、なんやかんやと結構多い。

なので、男性たちは大変だと思われるが、

これらを備え、西野カナのトリセツをしっかり聴き込んで、いざ準備万端、女性の言うことなすことを聞きまくる、女性にとっての都合の良い男になった瞬間に、

「何でもかんでも私の思い通りになるけど、なんかこの男、つまんない。」とか女性に言われたら、それはそれで最高だな(笑)

「オラオラの部分と優しい部分の両方の要素が入っていて欲しいの♪」とか言われるのがオチならば、それはもう、悲劇を通り越して、喜劇である(笑)

まるで、ブロック肉のような、エゴの塊を見せられる度に、俺は思うのである。

嗚呼、恋愛って、ホント素晴らしいなと(笑)

おしまい。