Je suis le père de Chip.

Je suis le père de Chip.

Chip Chihuahua,le chien de ma famille.
Nous l'aimons beaucoup.
Nous voulons vivre avec lui pour toujours.

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今年の6月でチップは13歳となった。

人間で言うと立派な後期高齢者とのことだ。

足もとはヨロヨロでおぼつかない。

おしっこやうんちの場所も定かでない。


パパと一緒に水上バスに乗ったり、古町で一生懸命走っていた頃のあの元気はもうない。


一日中、部屋の中をウロウロして疲れては横になって寝てしまう。そんな毎日の繰り返しだ。

パパやママを見てもシッポをフリフリなんてこともなくなった。


チップは物言わぬ小型犬に過ぎないが、わが家には饒舌にいろいろなことを教えてくれた大切な家族。


私たちとともに過ごした、あのきらめいていた頃よりも今のチップは手のかかる老犬になってしまった。それでも、こうしてパパもママも変わりなくチップと一緒にいる。


これからもずっと一緒だよ。





前回ここに投稿してから、もう2年もの月日が流れた。

ピークの頃は毎日のように更新していたのだが、

持病持ちのチップの体調が安定しなくなってからはその意欲も萎え、

政治ネタなどで何とか誤魔化してきたのが正直なところだ。

 

今となっては、パパのネットとのつきあいは、

TwitterなどのSNSに取って代わってしまっている。

それと、仕事の環境の変化と趣味がいくつか増えたこともあって、

このブログは長い間放置状態となってしまった。

 

その間、大学生だった娘は社会人となって巣立ち、

今は県外でひとりコロナ禍の閉塞感と戦いながら暮らしている。

そのせいか、ママとのホットラインは連日busyのようだ。

ママを介して娘の様子が伝わってくるので、それもまた良し。

 

チップはというと、相変わらずわが家の癒し犬としての地位は不動で、

この子がいてくれるおかげでどんなに救われているか。

飼い主家族を和ませてくれる愛犬の神通力が萎えることは無い。

 

ただ、12歳半と既に老犬の域に達しているせいもあり、

体調の起伏は以前にも増して大きくなっている。

今は長い距離を散歩することが難しくなったため、

ママが町内をゆっくりと歩かせたり、

抱っこをしたまま散歩するようになった。

 

チップはもともと外の景色を見ることが好きで、

以前は、信濃川ウォーターシャトルに一緒に乗ってみたり、

いろいろな場所をチップと散歩していた頃が懐かしく愛おしい。


あと何年一緒にいられるか。

考えたくなくても考えてしまう。

これまでと変わらぬ生活をと思う今日この頃。


 

最近ハマっているのがコールスローサラダ。

今回も面倒なので画像はないよ(笑)

なくても作れるところが簡単レシピたるゆえんかな。

 
材料はとてもシンプル。
キャベツ適宜。
市販のコールスロードレッシング適宜。
要は全て目分量。キャベツが多いなと思えばドレッシングも多めにすれば良い。ただそれだけ(笑)
ちなみに、面倒なのでキャベツ以外は何も入れない。
 
ドレッシングの容器に書いてある調理方法は、食べる30分前にドレッシングをかけて冷蔵庫に置いておく。凝ったことは絶対しない無粋な男料理。ただこれだけ(笑)
 
ここで気をつけることは、キャベツの分量にもよるが、時間と共にキャベツから水分が結構出てくるので、ドレッシングが薄まることである。そんな場合は、食べる直前にでも改めてドレッシングをかけて味を調整すると良い。ポイントは、最初はドレッシングを薄めにして食べる直前に味を調整するということかな。
 
彩りなど関係ない。
キャベツの淡い緑とドレッシングの白い色さえあればそれでよろし。食卓が爽やかな彩りとなる。インスタでよく見かける茶色だらけの料理にもいいアクセントになると思うよ(笑)
 
ビールを飲みながら作っていると、コールスローが出来上がった頃にはビールを飲み干してしまっているなんてこともある。これが男料理の最大の難点(笑)もしかしたら....醍醐味でもある。
 
ドレッシングは、キューピーとケンコーマヨネーズの2種類を試してみた。
パパとしては、ケンコーの方がスキっとしていいかなと思ってる。まぁ、どちらでも美味しく作れるのだけどね。そこは自分の好みということで。
 
そんなこんなで、11月に入ってから、コールスローだけでキャベツを3玉食べてしまった(笑)

ご無沙汰していました。

たまに更新したかと思えば、いつも画像も映像もない不愛想なブログ(もはや、そんな体裁も調っていないかも)で申し訳ない。

 

チップは今年6月に10歳を迎え、既に老犬の域には達しているけど、何とかグズグズのバカ犬っぷりを発揮している。まあまあ元気かな。とはいえ、ママにとってはかわいい我が子だったのが、今や介護老人ならぬ老犬の扱いに人間と犬の寿命の違いを実感し始めたというのが近況か。愛犬にも健康寿命を意識した毎日を送らせたいと思うのは我が家だけではあるまい。

 

いささか長い前置きになってしまった。

 

最近、インスタインスタと訳の分からぬ画像や映像を見せつけられることが立て続けにあった。しかも、「どうでした?」と感想を言わせることで閲覧強制。そんなもの良いも悪いも無かろうに。批判的なことなど言えるはずもない。余計なやり取りは時間のムダなので、「とっても美味しそうですね。毎晩食卓が華やいでご家族がとても羨ましいです。」的な感想で逃げ切ったことが複数回あった(笑)

 

パパもこの歳になると、ハイカロリーな食事はむしろ避けている。というよりも、見ただけで満腹になってしまうのである。おうちごはんとかというと、渾身の力を込めて作っている方々の何と多いことか。パパとして興味があるのは、むしろ、その御仁がインスタに載せていない時の食事がどうだったかということかな。意地悪と言われそうだけど(笑)

 

いくらインスタ映えとか言われて、栄養バランスが良いとしても、さつまいもなどの極端に甘いものや、ブロッコリーなどの具材がたっぷりの味噌汁なんぞ、パパにとっては何もそそられるものがない。頭の古い人間なのだろうが、パパにしてみれば禁じ手の具材をいきなり味噌汁に使うなどもってのほかなのである。

 

私頑張っていますと言わんばかりのインスタ大公開なのだろうが、興味のない人間にはことのほか苦痛にしか思えない。自分のインスタの紹介をすることはあっても感想など求めないで欲しい。ということで、インスタやフェイスブックのアカウントは削除した。さりげなく、拒否とスルーの対抗手段としてだ(笑)

 

しつこいようだが、インスタのおかげでレシピや彩のバリエーションを増やした方も多いことだろう。だが、味噌汁に合う具材は思いのほかたくさんあるはずなのに、あえてブロッコリーを入れてくる神経は理解しかねる。いかにもおもてなしの心溢れる画像なのだが、要はインスタ映えが主目的なので、キレイ・スゴイ・おいしそうのコメントやいいね!があればインスタの主としてはミッションコンプリートなのだろう。

 

子供にまで「お母さん美味しかったよ」のコメントを入れさせているとは、何ともほのぼのとした家庭ではないか(笑)実際はどんな家庭なのか、むしろ別のところで興味がわく。家族の有様もインスタ仕様ではなく、コメント通りの仲の良い家族であらんことを願う(笑)

 

たくさんの品数を揃えて良い奥様、ご主人様になり切りたい気持ちもわからんではないが、公開するならさりげなくなんだろうね(笑)むしろ、一品一品を極める方が料理そのものの腕前も上達するのではないかと思うが、どうだろう。おもてなしの心にも持続可能性を問うとするならば、こちらの方が確実だと思う。

 

インスタで画像を見て不味そうともコメントできないので、あえて場所を変えて思いのたけをぶちまけてみた(笑)

 

まぁ、ブログもインスタも載せるのは勝手、だが、それが自分にとって気合いを入れたものであればあるほど、誰かに戦慄を与えてしまうこともあるからご注意を(笑)

 

こんなことを書くことができるのも、アクセス数が少ない炎上もほぼない耐火ブログだからだろうね(爆笑)

ジャズが好き。若い頃からそう言って憚らなかった。

でも、今思うと背伸びしていたのだと思う。

自分が好きというよりも、

ジャズが好きだと言っている自分に酔っていたのかも。

でなければ、ちょっとカッコ良さげな無難な想定問答といったところか。

 

あるショッピングサイトの会員を何年も続けている。

その会員向けに無料視聴できる音楽サイトがあって、

ほんのたまに聞くことくらいはしていた。

 

松任谷由実とか、今井美樹なんて

一流どころの楽曲も聞くことができるのだが、

残念ながらサザンオールスターズは聞けない(笑)

 

暇つぶしでスマホからその音楽サイトを久々に覗いてみた。

課金すれば何でも聞けるサイトとは違って

ほんの冷やかし半分で覗いただけでしかないなのだが、

いろんなジャンルの曲があることに今さらながら驚いた。

 

平山美紀の「真夏の出来事」や

いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」とか、

いかにもパパの歳がわかってしまいそうな曲もあった。

 

もちろん、ジャズもたくさんの曲があった。

BGMでジャズが流れている店は多い。

和食の店でもジャズなんて新潟にある。

この曲聞いたことがある。

ジャズの定番なのは判っているのだが、

不思議と曲名を知らないというのがジャズなのかも。

 

今にしてみれば、何やら胡散臭い自称ジャズファン。

ふと取り出したスマホでジャズを聴いてみる。

結構知っている曲ばかりだ。

あれ以来、安いBluetoothの機材を買い込んで、

ヘッドホンや車の中で聴く日々だ。

 

マイルス・デイビス、ウィントン・マルサリス、

ビル・エバンス、アート・ブレイキー等々。

ここのところ、ジョン・コルトレーンがお気に入り。

パパもそういうものがしっくりと来る歳になったのかな。

 

たまに、イーグルスなんてのも聞いているけどね。

ホテルカリフォルニアではなくて、

ラスト・リゾートの方が好きなんだけどね。

相変わらず、プロコルハルムはずっと聴いている(笑)

いよいよ今日で平成の時代が終わる。

世の中は10連休ということで何やら浮かれ気分という向きもあるようだが、どうにもパパはそんな気分にはなれない。この時代の変わり目にあたっては、カウントダウンとかそうしたお祭り気分とは別な場所に自分を置いておきたい心境なのである。

 

時代。世相。確かに、憲政史上、わが国が武器を手に取り戦争に手を染めた時代ではなかった。東日本大震災をはじめとした天変地異も多かった。

 

こうして平成の時代を回顧してみると、幸いにして、そうした戦禍や災難は我が身には降りかかりはしなかったが、自分なりにこの上ない幸福を享受した時代でもあり、どん底の思いをした時代でもあった。

 

天皇皇后両陛下は即位以来国民の安寧を祈り続けてこられた。

国民ひとりひとりの安寧はそれぞれの心の中にある。だが、75年前の大戦の犠牲者の鎮魂と幾多の災害の被災者に心を寄せ続けることで、この祈りは国民に届いたのではないか。

 

手を合わせるとか宮中祭祀といった形式的なものではなく、両陛下自らの強くたゆまざる思いがほかならぬ祈りだったのではないだろうか。その祈りが国民に心を寄せる発露になってきたのではなかろうか。

 

各地を訪問するにしても、御製や皇后陛下の御歌を拝見しても、市井の人々に心を寄せるぬくもりを感じることができる。

 

国民を暖かく見守る父と母。平成は両陛下の慈愛に満ちたお心を感じ取ることができた時代でもあった。

 

新潟市長選候補、みんな頑張ってる・・・と言いたいのだが。

 

若干1名だけ違う候補がいる。

 

パパは基本的に保守系支持なのだが、それ以前に「人として」のフィルターを大事にしたいと思っている。

 

野党統一候補の小柳。

一見クリーンなイメージなのだろうが、西村智奈美とか秘書の行いが不良な議員はボツ。オモテでは良いことを言っておきながら、かなりヤバいのが西村である。部下のしつけはボスの大事な責務である。それができていない上司に天下国家を語る資格はない。せいぜい抵抗勢力として頑張ってくれたまえ。西村君へのはなむけの言葉である。

小柳の政治家としての限界はここにあるが、パパとは主義主張は異なるが、若さも相まって好感の持てる人物であると思う。変なものとくっついたのが致命傷だろう。

 

前市議吉田に言うべきことは、「頑なになるな」である。

まだBRTのことをああだこうだと言っているようだが、BRTをリセットするにもカネがかかるということをわかっていないのだろうか。集票目的だとしても、青山以西の西区の票だけ集めて何になる。

言っておくが、BRTは市政としての既定路線である。それをリセットするということは、財政状況厳しい市政にあってさらなる財政負担を強いるものだと言わざるを得ない。政治家として何を言っても自由ではあるが、BRTリセットによるさらなる財政負担は避けて通れないだろう。市財政困窮を厳しく批判している吉田のかたくなさは命取りになる。言うのは自由だが、結果責任がついてまわる。それが政治家というものだ。西区以西の票を集めてもどうなんだろうね。BRTが定時制を確保していることは否定しようがない。彼もその恩恵に浴している中央区住民のひとりなのだ。高級車を乗り回している彼には所詮集票のための道具でしかないのだろうね。

中央区も、東区も、江南区もBRTを争点だとは誰も思っていないというのが正直なところだろう。偏狭な対立思想なんぞバランスの取れた市政の運営には邪魔なだけ。

 

飯野。はっきり言ってよくわからない。だが、若さゆえの真面目さには共感するものがある。篠田市長の後継指名もあった。積極的支持というほどではないが、彼の動静にはしばし注目といったところ。

 

さてさて、問題の中原であるが、若さが感じられない。旧態依然とした選挙姿勢で何を目標としているのか、彼の言動を見ていると理解不能。彼の限界は県議どまりといったところだろう。参議院議員になったのは出来過ぎなのだ。改選定数2が1になった参院選で森ゆうこに負け、翌年の衆院選で落選。

国会議員であったことの経歴を強調したいようだが、落選慣れした人物を我が市長に仰ごうとは思わない。当の本人はそんなこともわかっていない相変わらずの上から目線の物言いだが、その様があまりにも滑稽でならない。彼の政治生命が残っているとすれば、参院選で森ゆうこを破って初めて実現できるのではないか。この市長選で落選したら、次回参院選にも立候補するのだろうか。彼ならするだろう(笑)

だが、彼では勝てないとわかっている自民党にしてみれば、別の若手を擁立するに違いない。やさぐれた落選候補は政党としても扱いに苦慮するといったところだろう。今となっては引き際が大事とも言えない局面に突入した。見苦しい泥仕合を繰り返すのは止めろというのが彼へのせめてもの言葉だ。政治家の矜持とは何か。敢えて彼に問う。

 

 

新潟市長選は10月14日告示、同28日投開票だ。

 

今のところ、4名が立候補を予定しているとのことだが、今回の選挙の焦点は保守系2候補吉田と中原(以下、敬称略)の一本化ができるかどうかであった。どちらを自民党が推薦するか注目されたが、どちらも立候補への意思は硬く自民党の推薦は見送られた。これで保守系は分裂選挙となる。

 

新潟市長選だけでなく、すべての選挙には被選挙権を持つものであれば誰もが等しく立候補する権利がある。それを踏まえた上で、保守系2候補の選挙戦略を中心に考えてみたい。

 

候補予定者同士の意地の張り合いは漁夫の利を与えてしまうということは誰もがわかっていることなのだが、なぜ、かくも愚かなことになったのだろうか。特に新潟は形勢次第では野党系議員が当選する土地柄だ。新潟市に限って言えば、保守安泰ではない。前回知事選の新潟市の得票数を見てみても決して楽勝ではない。ましてや、現職ではなく新人候補予定者という実績のない者同士のどんぐりの背比べの様相なのである。4候補乱立の中で僅かでも得票が多い者が選挙戦を制する。この二人は前々回の新潟知事選や前回の参院選の結果をわかったうえで臨んでいるのだろうか。

 

確かに、我こそは次期市長選保守系候補と満を持して準備を進めてきた吉田には同情の余地がある。

参議院1期6年を務めた中原は、一昨年定数見直しで改選2から1に減った参院新潟選挙区で森ゆうこに敗れたばかりか、昨年の衆院選でも落選している。行き場を失った中原は、参議院から衆議院そして新潟市長選と手あたり次第立候補している。ついこないだまで国政の場にいた中原が新潟市長選に立候補する大義はあずかり知らぬところだが、吉田にしてみれば誠に迷惑な話である。

 

この二人の政治姿勢は今期で引退する篠田現市長に対しては概ね敵対的である。篠田市長にしてみれば、この二人を自らの後継候補にしたくはないだろう。現職在任期間中の市財政の悪化に対しては批判が多く、それを立候補予定者として声高に指弾するのも理解できる。だが、現職が次回市長選に立候補するのならともかく、引退する現職を相手に刀を振りかざしたところで自らが当選するための集票には素振り程度の効果しかないのではないだろうか。もっとも、今さら現職に対して無節操に「よろしく」とも言えないのも事実だが。

 

現職の市政執行には賛否両論あるにせよ、引退する現職の後継候補として現職支持票をごっそりいただいた方が選挙戦術的には優っている。現に北区長だった飯野が現職の後継との指名を受け、一部地元財界の支持を集めていることは注目すべきだ。件の保守系2候補にしてみれば痛手としか言いようがない。

 

自民党県連の調整力の無さが今回の保守系分裂選挙をもたらしたのは事実だが、自民党にしてみれば新人4候補乱立の中で突出した知名度を持つ者がいない現状においては、無理をしてでも推薦しようという動機が乏しいというのがホンネなのかも知れない。さらには、推薦されなかった候補の支持者が自民党離れを起こすなど組織的に禍根を残す懸念さえある。

 

野党統一候補である小柳が当選すれば話は別だが、残りの3候補のうち誰が当選しても後からそっと歩み寄って勝ち馬に乗った方が現実的とも思える。そんな自民党の姿勢が透けて見える選挙になりそうだ。自民党の影響力行使は当選してからでも遅くはないということだろう。今の段階で推薦を決め込んだ候補が仮に落選したとしたら、それこそ自民党にとっては今後の国政選挙にも影響しかねない。

 

 

話は変わるが、BRTについて。

各候補、BRTの廃止や見直しに言及しているが、その代替となる案がいまひとつ見えてこない。

 

新潟市は郊外の宅地化が進み、それに伴いバス路線を延伸してきた。1路線の運行距離が伸びれば、公道を走るバスは定時性が損なわれるのは当然の結果である。多少の雪でも市内バス路線はそれこそマヒ状態になっていた。

 

BRT運行開始前の古町は乗客もまばらな郊外からのバスがひしめいていた。これを解消するために、西地区では新潟駅と青山の間をピストン輸送することで、少なくともこの区間の定時性の確保は以前よりも改善されたと思う。青山以遠へは乗り換えが必要ということになるが、今は冬場の乗り残しも減ったように思える。

 

BRTで議論の余地があるとするならば、各停で運行できない連節バスではないだろうか。高いカネを出した割に当初見込んだ効果がどれほど実現できているものなのか。

 

いずれにせよ、バス路線は随時見直しをしながら、定期的にダイヤ改正で対応していくしかないのではないだろうか。

 

政策の重点は、少子高齢化に対応した市民レベルの施策の実行と市財政の再建にある。いつまでも、BRTにかかずらって市政の停滞を招く愚は避けたいところだ。

 

 

ラーメン通というほどでもないが、パパはラーメン好きではある。

だが、ラーメンにはひどい目にも遭っている。

 

数年前に魚介系で有名な某店で食べたラーメンは酷すぎた。

この店はバブル景気全盛の頃から飲み会の後の定番のラーメンとして新潟古町界隈では魚介系スープでは有名な店だったのだが、久々に立ち寄って往時を懐かしみ定番のラーメンを食べたところ大変な思いをした。

 

〆のラーメンのつもりで食べたラーメンが締まらないどころか、就寝して朝までグッスリのパパがこの日は夜中に起きて朝まで眠れなかった。喉が渇いて目が覚めたのだ。あんなことは何十年も生きてきたパパにしてみれば初めての経験であった。あの店はまだ営業しているようだが、あれ以来行っていない(笑)バブル全盛の頃は何度も行っていた店なのだが、今にしてみれば二度と行こうとは思わないが、いまだに営業しているところをみると、それなりの需要があるのだろう。まぁ、がんばってくれたまえ。もはや、この店、通好みの店ではなくなっているのは確か。

 

かつては真っ白なとんこつスープだった新潟では有名な九州ラーメンの店。古町発祥の人気店で新潟市内に支店を出すなど、地元では元祖とんこつラーメンのチェーン店であった。新潟に定着したあの店スープの色は真っ白ではないのである。あの古町店を始めとして店を閉じるなど、かつての勢いはもはやない。

 

過日、他の地区で細々と残った店に行ってみたが、昼時はそこそこ客の出入りもある。スープに関しては文句をつけたい部分もあるのだが、まあ、そこは個人の好みということもあるのでここでは言及しないでおこう。

 

元々、ここの店の麺は、新潟市内の某製麺会社の麺を使用している。この道何十年の製麺屋の麺は、いつも変わらぬ食感で安定感がある。パパの舌がどれほどのものかはわからないので美味いとは敢えて言わないが、自家製面を謳っているヘタなラーメン屋の麺よりも秀逸であると言いたい。それと、県内某所で食べたラーメンも良かった。共通しているのは食感だと思う。

 

パパがここで言いたいことは、自家製麺がラーメン屋の売りではないということなのだ。

店主こだわりの製麺も、そこいらにある製麺所の麺には、やすやすとは勝てないということなのである。今は製麺所もコンサルティングのようなことをやっている専門家である。何十種類もある麺の中からスープに最適な麺を提供している。さらには、業務用にカスタマイズしている。

 

新潟はラーメン激戦地とはいうが、大した修行もせずいきなり店を開く職人も少なくないと聞く。

彼は、こってりスープと言う。だが、パパに言わせてみればギトギトのごまかしスープでしかない。そんな職人が自家製麺とこだわったところで、この道何十年の製麺所に勝てる訳がないだろう。

 

自家製麺にこだわるのなら、ラーメン屋ではなく製麺所で修業した方がよかろうに。

親方の技を見よう見まねでレシピは分かっても、それでいきなり開業というのは、あまりにも親方と世間をバカにしてはいないか。そう考えると、潰れる店が多いのは激戦だからなのではない。素人が無謀に出店した末路が悲惨なだけの話。

 

古町の魚介スープの店の劣化甚だしいこととも併せて、新潟のラーメンには腹立たしく思えることが少なからずだ。

 

新潟市長選に4人が立候補するという。

 

この4候補には新潟市への土着性にこだわりたいと思う。

中原…西区、小柳…北区といっても旧豊栄、吉田…群馬出身、あと誰だっけ飯野とかいう流れ者。

 

純粋な新潟といえば、かろうじて中原だけではないか(笑)

賛否いろいろあるけれど、やっぱり篠田市長は生粋の新潟なんだよね。

 

篠田市長との対立軸をつくるために、特に吉田は廃止、中原は見直しとBRTを目の敵にしている。

 

だが、新潟市内や近郊のバス路線は一部のコミュニティバスを除けば新潟交通という私企業が担っている。確かに、BRTは郊外の人間にとっては不便この上ないだろうが、そのバス路線は新潟交通が握っている以上、集票のためにBRT廃止などと勝手なことを言っていいものか。BRT廃止は赤字路線の復活以外の何物でもない。となれば、新潟交通は赤字路線廃止を打ち出さざるを得ないだろう。

 

いくら選挙に勝ったからと言って、私企業に赤字を垂れ流しさせる道理はないのである。だとすれば、市が公的資金を投入しで赤字路線を維持させるか、赤字路線を廃止するしかないのである。手ぶらで新潟交通にガンバレもないだろう。公的資金投入は愚の骨頂というのは誰にでもわかる。そのためには、赤字路線の運賃値上げは不可避である。仮に、廃止後の路線に市がコミュニティバスを入れるという手もあるかも知れないが、パパとしてはそんなもの絶対に許さない。

 

BRT廃止は主要交通機関であるバス路線をズタズタにするだけでしかない。結局、BRTでいいからバスを走らせてくれという結論になるのではないか。不便だけれども現状がベターということになる。

 

むしろ、新潟島に住む人間としては、ドカ雪になるとバスに乗れないことがある。郊外から来るバスばかりでみんな超満員なのである。何度古町まで歩いたことか。

 

赤字路線維持のために財政資金投入は大反対である。

あくまでも、BRT廃止というならば、相応の運賃値上げは受け入れるべきだろう。BRTならまだマシという感覚になぜなれないのか?

そんなものを集票の道具にして欲しくない。