出産日の日記
1年間見返す事のなかった(怖くて)日記を忠実に転記してみます
お腹の張りが10分以内の間隔であり、深夜2~3時頃からは5分間隔になって病院に電話をした。
折り返しかかってきて、入院する事になった。
夜中に近所のコンビニまでパパと散歩したのが効いたのかも。
どうしても生クリームが食べたかったし、行ってワッフル食べておいて良かった。
病院に着くとすぐに車椅子に乗せられLDR室へ。
内診してもらうと子宮口がまだ「ちくわくらい」しか開いてなくて、『早くて夕方、まぁ深夜になるでしょう。』と言われ、凹んだ。
結局パパは仕事へ行き、早めに帰って来てくれる事になった。
私は帰るに帰れない状態とのことで、病院内をひたすら散歩しながら過ごした。
途中、先生の内診で子宮をグリグリ刺激されてとても痛かった。
でもそのおかげで広がりかけてた張りの間隔が縮まり痛みも増してきた。
それでもまだ廊下を行き来する余裕はあった。
19時頃やっとパパが到着した。この頃にはすでに陣痛はかなり痛くなっていた。
朝との私の表情の違いにパパはびっくりしていた。
でも陣痛と陣痛の間はまだまだ余裕だった。
ほぼ丸一日病院にいてかなりの疲労感と、どんどん強くなる痛み、そしてまだ数時間かかるという不安・・・頭はパニックだった。
赤ちゃんに早く会いたい、でも今置かれている苦しい状況から早く抜け出したくて仕方なかった。
腰は砕けて飛んでいってしまいそうな程の痛み、それはお尻の骨にも進んで、必死でパパにテニスボールで押してもらっていた。
けものだった・・・自分がこんなに根性なしの弱虫だったなんて・・・
子宮口4cmの時に言われた麻酔を断ったこと、後悔しながらひたすら耐えた。
どうしても無理で泣けてきて、少しだけお尻の痛みを神経ブロックで取ってもらって力が戻った。
麻酔を扱える先生に当たって心底ラッキーだと思った。
やっといきめるようになった時、2~3回で出るもんだと思ったら大間違い。
何回いきんでも反動で腰骨に激痛が走るだけで産まれない・・・本気で私はこのまま死んでしまうのかと思うくらいだった。今すぐお腹切って出してくれ!と思った。
後何回この痛みに耐えれば赤ちゃんに会えるのか。
「もう耐えられないよ、私には赤ちゃんを産む力がないの?」と泣けてきた。
そんな私に呆れもせず、パパはずっと傍にいて励ましてくれた。
痛いところを手が痺れて感覚がなくなるくらいにさすってくれた。
本当にありがたかった。
そしてやっとその時はやってきた。
「あと3回陣痛が来たら産まれるよ。」と先生に言われた時、私は正直もう一回しか耐えられないと思った。
もう限界だった。そしたら何と1回の陣痛の3いきみで頭が出てくれた。
神様そして赤ちゃんが私を助けてくれたと思った。
股の熱い感覚と共に何かが出てフッとお腹から下の感覚が消えた。
赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえた。
皆に心の底から感謝した。
こんなに情けない私を助けてくれて、赤ちゃんを産ませてくれてありがとう。
初めて息子を抱っこした瞬間、涙が溢れて止まらなかった。
パパも涙ぐんでいたようだ。
その後、胎盤が出たが、何か出たくらいにしかわからなかった。
10針ほど縫った。内側の傷は少し痛んだ。
やっと終わったという安堵感。
しばらくLDRでパパと休むことになった。
少し大きめのカワイイ赤ちゃんの誕生。
とっても幸せだけど、私の体は限界を超えていたようだった。
終わったのに痛む腰・お尻の骨、疲れているのに痛くて眠れない。
痛み止めにもらったロキソニンも全く効かない。
どんどん不安になり、だんだん息苦しくなって、ついにはうまく息が出来なくなった。
本気で死んでしまうと思ったし、余りの苦しさに窓から飛び降りたくもなった。
過呼吸だったらしいが、2時間程苦しくて苦しくて・・・
ずっとパパと看護婦さんの手を必死で握っていた。
少し呼吸が落ち着いた後、デパスを飲ませてもらったら1時間程眠れた。
赤ちゃんは新生児室、私はシャワー付きの個室に入った。
疲れすぎたためか、手がしびれ言いようのない不安感で息苦しくて眠れない。
もう1錠デパスをもらったが、母乳もあげる予定のため飲まず、
結局電気もテレビも付けたままで一晩過ごした。
こんなに出産が大変なものだとは思わなかった。
甘くみていた。
でも終わって元気な赤ちゃんに会えて本当にホッとしている。
以上が出産当日の日記です。
この時は何が何だかわかっていなかったのですが、
過呼吸や言いようのない不安感は後にパニック発作だったという事がわかりました。
これから育児と病気と闘う生活が始まりました。