私が全作品を読破するつもりでいる日本の作家が二人いまして、それが筒井康隆と司馬遼太郎です。
他にも著作の4割以上を読んでいるのではという作家もけっこういますが、全作品をとまで思う人はなかなかいない。
今回も敬称は略させていただきます。
世に100冊以上著作を出している作家は何人もいるでしょう。しかし、どうしてもその作品は同工異曲、大同小異になりがちです。
西村京太郎や池波正太郎のような作家にしろ読者は大いなるマンネリを愉しんでいるわけです。
平清盛がテレビを視たりはしないのです。(忘れてください。)
ところが筒井康隆の場合、100冊あったら100の顔と扉を有しているという、まったくもって稀有なる天才です。
日本文学に「我輩は猫である」以前以後という分け方があるように「筒井康隆」以前以後という分け方もあると考えています。
日本文学の様式や着想方法から、言語感覚まで変えてしまった。しかも面白い。
筒井康隆がいなければ乙一、三浦俊彦といった作家は登場しなかったでしょう。
50代以下の作家は皆間接的直接的に筒井康隆の影響を受けた筒井チルドレンだといってもいいくらいです。
これはさすがに暴論か。
世にある「推理小説」「時代小説」などというジャンルに加えて「筒井康隆」というジャンルを確立したのです。
だから筒井康隆に限っては1~2冊読んだ程度では象の尻尾の毛の一本に触れたようなもので、彼の本質を把握するにはほど遠いということになります。
反面、司馬遼太郎なら“取りあえず”は「竜馬」「坂の上」でOK。だということは同意していただけると思います。
日本語の「言語姦覚」によって真価のわかる作家ですから、ノーベル文学賞は対象外ですが、欧米圏で活躍していたらきっと受賞していたと思います。
北杜夫からの続きということで、絶版点数を見てみましょう。
紀伊国屋書店BookWebで検索してみます。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosc.wb
あくまでも文庫に関する調査です。
単行本は絶版になるのが当たり前なので、ある作家の人気や評価は文庫が指標になると考えています。
調べてみたところ全155点中、絶版が112点。編集版とかアンソロジーを除けば90点。
複数文庫から出版された重複を除いて73作品が絶版でした。
そのうち2点が電子化移行にともなう絶版。
この点数が多いのかどうか。他の作家と比べてみないと判らない。という微妙な結果です^^。
中には信じ難い絶版もいくつかあります。
「敵」(新潮文庫)などは主人公の老人の精神が徐々に崩壊していく過程を追った、老人文学の傑作として今最も読まれなければならない作品です。
なにやっとんねん新潮社。と関西弁でツッこんでおきますが、すぐに復刊するでしょう。
ついでに絶版文庫をリスト化しておきましたので、ご参考にどうぞ。
■筒井康隆文庫本絶版リスト
新刊書店ではさか立ちしても買えない名作がある限り、古本市場というのは絶対不可欠なのだなあと再認識させられました。
筒井康隆のようなカリスマ的アーチストには画家の横尾忠則がいますが、筒井と横尾の共通点ってわかりますか?
二人とも、
1960年代初期から第一線で活躍し、人気の下降しないスーパー長距離ランナーである。
固定した様式を持たずに次々とスタイルを変貌させる。
その変貌がときに世間で大きな話題となり、若き追随者を生む。
などわかりやすい共通点がありますが、二人のカリスマ性を現す共通点として
継続的に日記を出版している。
という点が挙げられます。
メインの作品以外に日記まで出版され注目されるというのは、それだけのカリスマ性と偶像性を持っているということです。
こんな作家が他にいたら教えてください。
読みます。
筒井康隆と横尾忠則奇跡のコラボといえば「美藝公」。私はヤフオクで入手しました。
ただ、内容的には筒井康隆らしさMAX ! というわけではないので、この一作のみによる評価はちょっと待った。
という感じですね。
美芸公/筒井 康隆
¥2,752
Amazon.co.jp
敵 (新潮文庫)/筒井 康隆
¥540
Amazon.co.jp
軽々とSFの枠を超えた筒井に対し、SF界もう一方の巨匠でありながら最期までミスターSFという牙城を守った人が、昨年亡くなった小松左京です。
小松左京は本当のところ筒井康隆の大活躍をどう思っていたのでしょう…。
筒井に比べてもこの人は絶版が非常に多そうです。次回は小松左京について考察してみましょう。
ではまた。
セールスページに今までより情報を多く盛り込んでみました。
ビームせどりより圧倒的に速く、電脳せどりよりもかなり早い。パンドラ・メソッド。
http://pandoramethod.greater.jp/pandora_sublime01.html