『ベストハウス123』 記憶と人生のリセット | パンデモニウム

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※何度かのブログフォーマット変更により改行ポイントがずれてしまい、ほとんどのページがガタガタになっております。
読み難くて申し訳ないです。

23日の 『ベストハウス123』 は、

茂木健一郎プレゼンツ!奇跡の脳SP

でした。


驚愕!赤ちゃんに戻った青年と家族の壮絶な日常



坪倉優介さん、1970年生まれの40歳。

18歳の時、優介さんは大学からの帰宅途中、不慮の事故で頭を強打。

脳から大量出血し、運ばれた時は意識不明の重体だった。

10日後、優介さんは奇跡的に意識を取り戻したが、目の前の家族が誰なのか、

全く分からなかった。

1ヶ月後、重度の記憶喪失を抱えたまま優介さんは退院。

弟にも、妹にも見覚えがない。

だが、それだけではなかった。

久し振りの家での食事だったが、優介さんは信じられない言葉を口にする。

「食べるって何ですか?」・・・食べる。

それが、何をどうすることなのかが、優介さんには分からなかった。



パンデモニウム-坪倉優介


記憶は、大きく2種類に分けられる。

先ず、陳述記憶。これは、人の名前や物の名前。英単語の暗記など学習し

知識として覚える記憶のこと。

もう一つは、手続き記憶。食事の仕方や服の着方など、体験し、体で覚える記憶

のこと。

一般的な記憶喪失は、知識として覚えた陳述記憶が失われる事が多い。

だが、優介さんは陳述記憶、手続き記憶の両方を失っていた。


記憶を失ったのは、食事に関わることだけではなかった。

排泄はトイレでする、お風呂はお湯で入る、それも忘れていた。

優介さんは、一日中 部屋の中でじっとしたまま、喜怒哀楽などの感情を表す事

も無かった。
一瞬で全てを無くし、また一から覚え直す苦痛。

そんな我が子を支えてきたのが、母・慶子さんだ。

母は、決意した。「優介をもう一度、育てなおす。」

ものの名前とその使い方、全てを言葉にし、丁寧に教えた。

だが、優介さんには目の前にいる母の存在も、その言葉の意味も分からな

かった。

それでも、母は一つずつ教える事しか方法は無かった。

だが、この献身的な母の行為が、優介さんの脳を再生させる奇跡に繋がる。

1ヶ月後、優介さんは質問攻めをするようになった。

一つ教えるたびに、とめどなく質問を返す。

子供は、母が教えることを見よう見まねで覚えると、次にその行動の意味を言葉

して尋ね始める。

こうして、日常の些細なことについて、記憶を蓄積し、成長していく。

献身的な母の努力が、優介さんの脳に成果となって現れ始めていた。
優介さんの脳は新しく成長を始めていたが、事故前の記憶は何一つ戻っては

いなかった。

そこで母は、優介さんに幼い頃からの膨大な写真を見せた。 勿論、懐かしい

という感情は無い。

しかし、1枚の写真が彼の脳を動かした。

母に抱かれた幼い頃の優介さん。

この時、失われた記憶の中から、掛けがえのない母のことだけが蘇ったという。

優介さんにとって、「お母さん」は「人間」「男」と同じ言葉でしかなかった。

しかし、アルバムの写真と目の前の人が優介さんの脳の中で一致。

母親が特別な存在であると認知した。

母を理解したという事は、同時に母にとっての自分の立場を優介さんが客観的に

見られた瞬間だったと云える(メタ認知)。


3ヶ月後、日常生活にも慣れてきた優介さんを見た母は、優介さんを大学に復学

させた。

しかし、かつての同級生を覚えていない。

講義に出ても字が読めない優介さんは、黒板の文字をを記号の様に写し取る

だけ。

同級生にからかわれて、胸は苦しくなった。

だが、悲しさ、悔しさなどの感情の表現方法が優介さんには分からなかった。

心配する母は、大学でのことを聞きたがった。

しかし、母の心配が優介さんをどんどん追い詰めていた。

優介さんの頭の中には、あらゆることへの疑問が渦巻いていた。

そして、ついに疑問の矛先を自分に向け始めてしまう。

「僕が生きてる事に何の意味があるのだろう?」 自分の家に居ても、そこが

居場所だと思えなくなった。

優介さんは、昼間は部屋に閉じこもり、夜になると家を飛び出そうとした。

その時、ある物が優介さんを釘付けにした。母の涙。

それを目にした途端、胸の奥が苦しくなった。

これは、他人の気持ちに共感する回路の働きを促したと考えられる。

母の涙を目にした時から、優介さんは変わった。

事故から半年、何事にも前向きになり、自分から学ぼうと積極的に取り組むこと

で、知識は確実に増えていった。

番組は事故後初めて、優介さんの脳を最新のMRIで診断。

解析の結果、通常の症例よりはるかに回復していた。

優介さんの再生した脳は、記憶を失ったかわりにある個性を手に入れていた。

それは、常識にとらわれない色彩感覚。

優介さんは、現在、草木染め作家として、工房を開いている。

自ら染料を抽出し、着物などの色を付ける。

彼は今更なる新しい色を追い求めている。




不思議だったのは、食べることや眠ること、感情の処理など、本能に関わる部分

まで「忘れて」しまっている点です。

(何を食べたら良いのか分からない、ではなく、食べる行為自体が分からない)

これらが記憶にも影響を受けるのか、視床下部に障害が残っていたのか・・・

そんな状態なのに、話す言葉は(恐らく、18歳当時のまま)覚えている・・・


もう一つ、印象的だったのが、気持ちを表すのが「胸」だったことです。

「お母さん」が特別だと思い出した時、「胸からふわぁっと広がっていった」

大学に行った時、「胸が苦しかった」

お母さんの涙を見た時、「胸の奥が苦しくなって、これは絶対しちゃいけないこと

だと思った」・・・


ある領域で、赤ちゃんの段階までリセットされた様なもので、その後22年掛けて

成長してきた、ということだと思いますが、彼が失った18年を取り戻した時、

その後の22年とバランスを取ることが出来るのでしょうか?


なお、坪倉優介さんは、2000年に手記 『ぼくらはみんな生きている』 を出版

2002年にはオダギリジョーさん主演でドラマ化されています。




パンデモニウム-胎児01








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