ムスメ、保育所の卒園式を迎えました。
保育所、なのに卒園?
でも卒所とは言わないよなぁ。
だいたい、式をしたって31日までは今までどおりお世話になるんだしなぁ。
なんて、一人ツッコミしながらも、絶対卒園式は泣くだろうから、ハンカチは4枚、ポケットティッシュは3袋とゴミ袋を用意していきました。
保育所生活は6年間でした。
生まれた時からよく泣き、ミルクも母乳もうまく飲めず、体重が増えずに悩み
育児書に、赤ちゃんは寝てばかり…なんて書いてあるのに、この子は寝ないし泣いてばかりで、どこかおかしいんだろうかと悩み
育児書は育児書。ムスメはムスメ。育児書に合わせるんじゃなくて、ムスメを見て、ムスメに合わせればいいんだと気づいて、育児が気楽になったのもつかの間
育休は終わり、ムスメは9ヶ月で保育所に入りました。
ムスメもその頃には、ハハの存在を認めてくれていたようで、保育所に預けると大泣き。
最初の頃の慣らし保育は、たったの2時間くらいだったと思いますが、ずっと泣いて、保育所の先生ですら心配してました。
いつの間にか泣かなくなり、ずり這いだったムスメはハイハイができるようになり
立った、歩いたのも、保育所。
遊んで、食べて、お昼寝して、遊んで、という生活リズムを整えてくれたのも保育所。
トイレを教えてくれたのも保育所。
そしてももたろが生まれて、まさかのダウン症+心疾患+喘息。
ももたろの療育に、病院に、入院もあり、ムスメに時間をかけたり、構ったりしてあげられなかったこと
あまりに早い成長と、ちゃんと母親らしいことをしてあげられなかった後悔と
この6年、ムスメが幸せになるような人生の土台を、私は作ってあげられたのか
感謝、後悔、喜び、切なさ、希望…
いろいろな想いが私の中で渦巻き、式の間、というより保育所に入る時から涙が出てたのですが…
もうずっと泣き通しでした。
先生のお話、保育証書授与、歌や花贈呈…
もうずっと泣き通しでした。
先生のお話、保育証書授与、歌や花贈呈…
もう、全部泣けた泣けた。
なんで保育所、卒業なんだろう。
まだまだ私にとっては、保育が必要なムスメなのにな。
退場は、子どもと親が手をつないで会場を一回りしてから。
その時の歌が
「今、歩き出すムスメちゃんに、拍手を贈ろう」
と歌う。
と歌う。
あぁ、新たな一歩を、ムスメは踏み出すんだな
と、思い、また涙。
これを書いていても泣ける。
仕事をしている以上、ムスメにも負担をかけてしまうことはたくさんあって。
朝、保育所へ出かける時、いつの間にか彼女が「お仕事がんばってね」と言うようになっていた。
朝から夕方まで保育所。
なぜか大きくなってきてからのほうが罪悪感のようなものを感じてしまいます。
ムスメにも気を遣わせているのか…と。
だけどこれは私の生き方で、我が家のスタイル。
朝、保育所へ出かける時、いつの間にか彼女が「お仕事がんばってね」と言うようになっていた。
朝から夕方まで保育所。
なぜか大きくなってきてからのほうが罪悪感のようなものを感じてしまいます。
ムスメにも気を遣わせているのか…と。
だけどこれは私の生き方で、我が家のスタイル。
共働きは、ムスメにもわかってもらわなくてはならないこと。
母親として、足りないところはいっぱいで、育児の時間的にも内容的にも、保育所におんぶにだっこの私でした。
保育所にはムスメを温かく育ててもらい、悩み多きハハを助けてもらい。
そんな包容力たっぷりの保育所を出て、ムスメは小学校という新たな環境へ。
ハハのあまり知らなかった保育所での生活。
小学校ではきっともっと複雑なことが起きてくるでしょうけど…
ムスメよ、経験を楽しもう。
そんな包容力たっぷりの保育所を出て、ムスメは小学校という新たな環境へ。
ハハのあまり知らなかった保育所での生活。
小学校ではきっともっと複雑なことが起きてくるでしょうけど…
ムスメよ、経験を楽しもう。
がんばりすぎず、自分のペースで。
ハハも不安いっぱいだけど、ムスメが不安になった時、道案内を必要とする時、力になってあげられる存在でいたいです。
ハハも不安いっぱいだけど、ムスメが不安になった時、道案内を必要とする時、力になってあげられる存在でいたいです。
保育所と、その先生方
本当に、本当に、ありがとうございました。
もう何度言っても、足りないくらい。
ありがとう!
ありがとう!
にほんブログ村