パパとむすめの処方箋。

パパとむすめの処方箋。

2人のむすめの成長と妻に翻弄される
1人のパパの物語。
共働き家庭
女の子育児スタイルのひとつの形。

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早起きは何時から? ブログネタ:早起きは何時から? 参加中


アメーバのね

「ブログネタ」を1年ぶりにチェックしたんですよ。

今はどんなネタが配信されてるのか、と。

そしたらなんと

どこかで見たようなネタが

いくつも

配信されてるじゃないですか。

もうね

たった1年程でですよ

ネタを使いまわしてる時点で

「ブログネタ」という

記事のネタに困った人に

ネタを提供するっていう趣旨のシステムも

限界を迎えたわけですね。

そこで

かつて同じネタで書いた記事がですね

再度評価を得られるのかどうか

試してみよう

そうしよう。

特に加筆・修正もせずに

そのまんまで公開してみようと思うんです。

ちなみに違反行為ではないようなんですね。

読んだことのある方はスルーで結構なんです。

ちなみに、その記事というのは、コチラ

早起きって何時起き?



僕は、「早い」という言葉が世間一般的に
良イメージを持たれていることには
疑問を挟み込む余地はないと思っているんですが
あまりの早さに残像を見てしまうほどになると
さすがに
「働きすぎで疲れているからこんな現象を見てしまうんだ。」と
認知的不協和を避けようとしますね。
天下一武道会でジャッキー・チュンと戦って
残像拳にひっかかったクリリンも
最初はそう思ったに違いないんです。

でも、西部劇で見るようなガンマンの対決を例にとれば
「早い」=「生き残る」なので、「早さ」は生命に関わるほど
重要なアビリティと成り得るんですね。
OK牧場で死にたくなければ
2発撃っても1発の銃声にしか聞こえないほどの早さで
ホルスターから抜けばいいんですよ。
いくら「カウボーイ」といっても
ホルスタインと戯れている場合ではないんですね。


銃も持たずに毎日ヘラヘラと愛想良く振る舞っていれば
平穏無事に生活できる現代。
世紀末にヘラヘラしてたら
ラオウ様に殴られてあの世逝きですよ。
そんなシーン、ありましたよね。

ちょっと前に遡りますが
「早さ」はむしろ時代にそぐわない行動だと
スローフード、スローライフ、スロートレーニングなどという
「遅い」行動様式が
もてはやされるようになったこともありましたね。

だからと言って
そうそう「遅い」という心理主義的言語観は
払拭されるわけもなく
遅ければ遅いほど時代に取り残されていく感は
もはやパソコンの起動の遅さにイライラして
エンターキーを無意味に叩く僕のように
滑稽な姿を晒すわけですよ。

「早い」「うまい」「安い」という有名な三拍子、知ってます?
いや、正確には「うまい」「安い」「早い」なんですけど
これは単に韻を踏んで「うまいこと言った。」的な
褒め言葉をもらうために発したわけじゃないんですね。
吉野家のスローガンにうまく丸め込まれたキン肉マンの
王子としての尊厳を
低く見積もってしまうことになりかねない要素を
孕んでいるわけでもない。
80年代の牛丼ブームをうまく表現したフレーズとして
認識する必要があるんですね。

少々、話がそれました。
物事の優先順序としての
言葉の並びに注意しないといけない
ということを強調したかったんです。
大抵、大事なことは最初に話しますよね。
僕のように論点をひきまくって
結局オチがなかったりするような
読者の反感を買うような記事は
お引き取り願いたいわけなんですよ。

十七条憲法で聖徳太子様でも一番重要な事を
「一に曰く、」として持ってきていることからも分かるように
「うまい、安い、早い」で言えば、「うまい」が
最重要事項ということになりますよね。
ということは、3番目に位置する「早い」ことは
それほどの優先順位を
期待されているわけではないんですね。
吉野家の理論でいえば。

で、「早さ」について論じてきて
やっと本題に入ろうかと思うんですが
スロー極まりないライティングにうんざり
なんてことは言わないで欲しいんです。
なぜかって
安い割り箸みたいに真ん中でキレイに折れずに
無様な姿を晒してしまった挙句
「片方が短くて食べずらいんだよ。」と
早々に捨てられる運命に翻弄されてしまうんです。
でも、「宿命は変えることはできないが
運命は本人次第で変えることが可能だ」
とどこかの誰かさんが考えてくれていたおかげで
なんとか精神崩壊はまぬかれる、と。

僕の精神状態がどうとか、気にしてくれる人には
「今日が穏やかに過ごせますように。」と言っておきます。
明日はセレブな割り箸を使おうと思います。


その「早さ」を
睡眠からの覚醒という意味で考察してみると
どこからが「早く」て
どこからが「遅い」のかのボーダーラインを
まず見極めなければなりませんよね。
つまり、早起きの定義を確定させなければ
このテーマは個々人の勝手な意見のオーバーフローにより
ラピュタのように崩壊するんです。

では、その定義を決めましょうか。
まず
「朝に起き、夜は寝る。」という前提条件を設定します。
この前提により、夜勤という条件はデリートされますね。
僕の記事も早々にデリートされる危険性も考慮しないと
いけないんじゃないかと思ったりするわけなんですが
思うだけで行動に移さないのがNARUクオリティということで。

つまり、「問題は簡潔に説明される」ように設定したほうが
理解しやすいんですよ。
僕の個人的意見だったりしますが
本稿の記事の長さを引き合いに出して
「文章が長すぎて理解しずらいんだよ。」
という矛盾を突いてくるようなお子様は
お呼びじゃないんですね。

そもそも優先順位が3番目のワードなんです。
そこまで重要視する必要性も感じませんよ。
吉野家の理論でいえば。

要は、僕レベルにまで難易度を引き下げる
処置を施すわけです。

そして
「次の日に備えて起きなければいけない時間よりも
早く起きること。」
を「早起き」と定義します。
「明日は6時までに起きれば大丈夫だけど
早起きして4時に起きちゃうぞ。」
とハリキッテ10時に起きてしまった時に
「遅刻の言い訳を考えていて遅刻しました。」
なんていう
疑似パラドックスが通用するわけがないのは
僕だって分かります。

そんな言い訳をせずに平和な日々を送りたいと
平凡な僕は思うわけですよ。
だったら
「何時に起きればいいのか。」と考えた時
自分が何者なのかという自己同一性という概念から
答えを導き出してみようと試みたんです。
そしたら、エリクソンは散々悩んだようですが、僕は

2児のパパ

だということに気付いたんですね。
もう1人授かって
3時のオヤジ
とか言って世の淑女の興味をひくことも考えましたが
僕のアイデンティティーに反するのでやめておきます。

ということで僕は2じのパパなんですよ。
もう、こう公言した以上、2時に起きなければ
公約を踏みにじるどこかの政治家と一緒なんです。
それだけは避けたいじゃないですか。

で、結論としてどうなのかってことですけど
さっき考えた早起きの定義に当てはめてみると
「2時より前に起きれば、早起き。」ってことになりますよね。
せめて1時間早めくらいにしておきたい。
そうすると、12時から1時の間に起きれば
「早起き」として国民の共感を得られ
支持率もアップするって話ですよ。
妻やむすめたちに美味しいモーニングも提供できて
ブログ村のランキングの上昇も右肩上がりで
「僕の育児ブログでシュールな洗脳してYahoo!」
とかって話も現実味を帯びてくるって寸法ですよ。

じゃあ、試してみようってことで
実際1時に起きてみたら、出掛けるまでの3時までに
眠くなってくるわけですね。
で、2度寝の魔力に負け、結局6時に起きてしまうと。
時間は戻せないじゃないですか。
仕方ないので上司に電話して
「遅刻の言い訳を考えていて遅刻しました。」って言ったら

「今日は公休日だけど。」

ってオチなんですけど、いいですか?

サーセン。




その後判定結果が来たわけなんですよ。

どうなったかというと・・・

判定結果、★★★★★。


記事の使いまわしは可能という検証結果も得られた

というお話なんです。



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