隣で主人が泣いてる。彼が目をぬぐったり、静かに涙をふいてるのが伝わってくる。

でも私の方は、涙が出るのを止められないながらも、それ以上に心の中に湧き上がってくる憤りの方が強い。

「アウンサンスーチーを、国内からも国外からも忘れさせてやる」
その言葉が実現したかのような、映画館のまばらな人数。
大阪ですら、たった一つの映画館が期間限定で上映するような扱い。

もちろん、楽しくて派手な娯楽作品を楽しむのが悪いとは言わない。
そういう楽しい作品や家族で和やかに見られる作品も必要だと思うし、私達もそういう映画を楽しむ時も大切にしている。

けれどもこの名画にたいする扱いや、yahooのレビューの少なさから、日本人の興味のなさを見ていると、
心の中にどうしようもない悔しさが押し寄せてくる。
五輪の時期と重なったのも要因の一つかもしれないけど、それでも人気のある映画とはあまりにも違う。
それがなんとも悔しくて、憤りのような気持ちを押さえるのに、しばらく時間がかかる・・・

そして、アウンサンスーチーさんが、15年間という長い長い軟禁生活から本当に解放された!!と知った時の、
心から安堵した日を思い出す。


彼女が、様々な暴動や暴挙に抗議するため、何度か断食を行なってる・・・・・・と新聞で読むたび、
スーチーさんは、本当に生きて、あの美しい姿を見せてくれる日が来るのだろうか?
と不安に思った事が何度かありました。

だからこそ、彼女がヨーロッパに行って遊説したり、21年たってのノーベル平和賞での演説をご自身で
行なえたことは、とても嬉しいニュースでした。


けれども、度重なる軟禁から彼女が本当に解放されることが許可されたのは、
「アウンサンスーチーには、もうかつてのようなカリスマはない。父親のアウンサンに命をかけた民衆達も
もはや年を取りすぎてるか、この世を去っていている」と判断されたからだ・・・・とも聞く。

膨大な血で、恐怖で国を牛耳ってきた、軍事政権の判断はあまりにも残酷で狡猾。
ただ、悔しいけれども、その判断がまるで当たっていない・・・・・とは言い切れないのも事実だ。
日本の若者達も変っていくように、ビルマの国民も若者も変っていった。
もちろん長い年月の間で時代が変り、若者の意識が変化するのはどうしようもないことなのかもしれないが・・・・・

だからこそ、危険を承知で、この脚本を読みアウンサンスーチーという人物の半生の映画を創りたい!!と
熱い情熱を持って訴えた、主演女優を演じたミシェル・ヨーには心から拍手と感謝を贈りたい。

最初こそ、違和感を感じましたが、スーチーさんの映像を200時間も見たり、彼女のことを調べたりしたり
ミシェルにとっては大変なイギリス英語やビルマ語をスーチーさんと同じように話せるようになるまで練習を繰り返し、
熱演されていた成果は素晴らしくこの映画で現れていた。
映画が進むにつれ、、だんだんスーチーさんの姿とかぶってくるように見え、時にはドキリとさせられる程にスーチーになりきっていた姿を見ていると、もはや演技を超えたものを感じさせられた。


彼女は、この映画の製作を実現させるためにリュック・ベッソンに助けを求め、プロデューサーになってくれないか
と依頼したそうです。
脚本を読んだベッソンもまた心打たれたようで、この映画の監督を自分でする!と決めたそうですが、
それはまだ危険を伴う時代のこと。
この2人の勇気を讃えたい!!

それに、上映された今ですら、映画の中でも出演者の名前などを控えたりしないといけない状況でしたし、
まだまだビルマでは、政治犯として2100人以上もの人数が刑務所に入れられたままだそうです。

そんな状況下で、この映画を製作されたことは、英断だと心から讃えたいです。

『The Lady アウンサンスーチー、引き裂かれた愛』を見てきました。

公式サイトです。予告動画も見ることができます。
http://www.theladymovie.jp/ 




日本では、今はビルマの国名は「ミャンマー」と呼ばれるようになっていますが、スーチーさんがこの呼び方を
拒否されてるので、あえてこのブログでは「ビルマ」という国名を使わせて頂きます。

この映画は、かつて「ビルマ建国の父」と呼ばれ、当時占領されていたイギリスからの独立のため、
闘っていたいた中で殺されてしまった、アウンサン将軍の娘であり、ビルマという国の宿命を背負った
アウンサンスーチーの半生を描いた映画です。

スーチーの偉大な父親、アウンサン将軍。


スーチーの偉大な父が虐殺された時、彼女はまだわずか2歳。
当然、父についての記憶のないスーチーに父親の偉大さ、そして父が祖国独立のためにどんなに尽力したか、
命をかけてきて闘ってきたかについて教え、その娘にふさわしい教育をしてきたのは、インド大使をつとめた
彼女の母親キンチーさん。
スーチーさんも、インドのデリーの大学で政治学を学び、その後イギリスのオックスフォード大学で学士号を取得されますが、
ここで彼女は運命の魂の伴侶と巡り会います。

その人は、同じ大学でチベット研究をしていたマイケル・アリス。
(その頃だと思われる、スーチーさんとマイケルさん。スーチーさん、美しい!!)




マイケルさんと結婚し、男の子2人にも恵まれ、イギリスで主婦としていながらも偉大な父についての
回想録を書いたりしながらも、ビルマの情勢に心を痛めていたスーチー。

彼女は、ビルマ以外の国で過していても(日本の京都大学の客員教授もつとめていらしたそうです)
いつもどこかで心は祖国のビルマから離れてはいなかったようで、家ではビルマ料理を作り、
ビルマの民族衣装を着て過されていたそうです。

そして、この映画を通じて初めて知ったのは、心が痛くなるほどに圧倒された、スーチーの夫、
マイケルさんことマイキー(スーチーは、彼を「マイキー」と呼びます)のスーチーへの無償の深い愛。
恐怖も自己犠牲もいとわない深い愛、そして彼女の使命を果たしたいという強い思い、ビルマへの思いを
心から理解して、自分の思いを押し殺し、スーチーと共に、ビルマの恐怖の軍事独裁政権と闘い続け、
それはイギリスで仕事を続けている中も変らず、そして・・・・余命いくばくかの癌になってもその姿勢を貫き通す。


家族での平和な生活が変ってしまったのは・・・・
スーチーが、ビルマに住んでいる母の危篤の知らせで、急遽ビルマに戻ることになった時からの事。
まるでビルマが、彼女を祖国に呼んだかのようなタイミングでした。

スーチーが病院の母に付き添ってると、激しい銃弾の音と共に、次々に運びこまれる血まみれの若者達、
そして、目の前で失われる命を目の当たりにし、命がけで兵士達の銃弾に向かう若者達が掲げていた肖像こそ、
40年前に殺され、スーチーも尊敬し続けていた、自分の父の姿。
この祖国の現状の姿を見た時から、彼女の中の何かが目覚めてきたのではないでしょうか・・・・
だんだんと、祖国のために命をかけた父親の血が、少しずつ目覚め始めていったように思えました。

もちろん、まだ12歳と16歳の息子もいたので、民衆に「この国のリーダーとして父親の後を継いで欲しい」
と懇願されても、さすがにすぐに二つ返事をすることはできないが、でも彼女の中では何かが確実に確実に
動きつつあるように思えました。
そして最終的にビルマに残り、祖国のために闘う覚悟を決めるスーチー。

結婚前、マイキーはスーチーからの、「私がビルマのために働こうとする時には、壁にならないで下さい」という
約束していたそうですが、彼はその約束を最期まで守り通しただけでなく、その約束以上の行為で彼女を守り、
文字通り、命がけで彼女を支え続ける。

初めての演説の直前に、「私、人前で話すのは初めてなのよ」と、ためらいがちに打ち明けるスーチー。
「誰にでも初めての時はあるのだよ」と、励ますマイキーの優しさが彼女にいかに力を与えたことか!

壇上に上がる前こそ、ご主人の支えが必要だったスーチーですが、話し始めるた途端のオーラ、気迫、率直な言葉がどんなにか、民衆に力を与えたのかは、写真を見ても理解できるようにも思える。


山奥や森林に住む民族達もビルマの国民だからと訪問するスーチー。
(この写真は映画からです)↓


人気の高まる彼女の集会を阻止しようと、集会場に向かうスーチーは、兵士達に銃弾を向けられるが、
少しももひるむことなく、静かに穏やかに、でも臆することなく近づいてゆく。
このエピソードは有名だそうですが、彼女の静かでありながらも鋼のような強い信念に圧倒されました。

(これも映画からの写真ですが、このアングルは特にご本人にとてもよく似てるので、ドキリとさせられました)↓


恐怖の軍事政治に押さえつけられてきた民衆にとって、丸腰の女性がこの銃口に向かって静かに
向って行く姿は、民衆の中で伝説になってゆき、スーチーの人気は高まる一方。


スーチーは、尊敬するマハトマ・ガンジーの非暴力を貫いたのだ。

しかし、怒りに震えた軍事政権は、狡猾だった。
スーチーの集会に出ている若者達をトラックに拉致しては、犬死させるような労働をさせたり、
地雷の上を歩かせては、ビルマの将来を担う若者達を殺していくのだ。

この恐ろしく、許しがたい事実を知ったスーチーの衝撃。
その上、彼女の唯一の心のよりどころのマイキーとの電話も盗聴されていて、すぐに切れてしまう・・・・

マイキーの方も彼女を守るため、ビルマを救うため、彼女をノーベル平和賞としてふさわしい人物である事を
証明できるように膨大な資料を集めたり、慣れない母親代わりをつとめようとしては、子供達が
辟易するような料理を作ったりする大変な日々を過していた。

しかし、彼らの努力も届かず、ついにスーチーに軟禁命令が下される。
軍事政権は、彼女が殉教して父親のようにレジェンドになることを恐れていた。
そして、
「アウンサンスーチーを国内からも国外からも忘れさせてやる」というのは、この時に使われた
許しがたい言葉だ。

マハトマ・ガンジーの非暴力主義を心から尊敬し、「誰の命も失われてはいけないのです」
繰り返していた彼女は、この理不尽な命令に対してもすみやかに従う。
一緒に闘ってきた仲間は全て帰宅させられ、電話線も彼女の目の前でばっさりと切られる。
この日から、彼女の長い長い長い孤独の日々が始まるのだ。

自分の演説に感銘し、ビルマの民主化のために闘ってきた同士達が監獄で拷問にあってるのを知り、
ハンストを続け、命が危うい状態にまでなるスーチー。
この時の彼女の要求は、「私も彼らと同じ、その刑務所に入れなさい」なのだ。
危険を冒してやってきたマイキーが、軍部と交渉しなければ、彼女の命は危なかっただろう。

マイキー達の努力が実り、スーチーがノーベル平和賞を取った時ですら、受賞した本人は停電した暗い部屋に
閉じ込められて、ラジオを通じて、出席できない自分の代わりに演説する長男の声を聞く事のが精一杯。

「かつてノーベル平和賞が、こんなにも孤立した人間に贈られたことがあったでしょうか・・・
彼女が軟禁されてから、もう3年もたちます。家族ですら彼女の様子を伺い知ることはできません。
しかしながら、この章を与えられたことで、彼女の肉体的、精神的な状況が改善することを願います。」
というマイキーの言葉が、悲痛に響く。

国民総選挙でスーチーが圧倒的に勝利し、民衆が「アウンサンスーチー!!」と熱狂して集まってきても
彼女に挨拶もさせないどころか、銃で集まった民衆を追い払う。

こんな状況下であってもスーチーは、マハトマ・ガンジーや尊敬する人の言葉、時には自分の言葉を大きく書いては、
家のあちこちに貼り付けたり、ピアノを弾いたりもする。
(この写真も映画の中のものです。↓)



スーチーが弾くパッヘンベルの「カノン」の演奏を聴いた兵士達が驚く場面があるが、ビルマ人の多くは
上座部仏教なのだという。
戒律が厳しく、音楽を聴いたことがない兵士もいたそうですが、あのメロディーの美しさに癒されていた兵士の姿が
彼らも人間であることを思い出させ、国の情勢さえ違えれば・・・・・と思わずにはいられない。

そして、祖国のために命をかけても闘おうとする意志の強い若者を犬死させていく様相を見ていると、
中国の文化革命をも思い出させる。
勇気ある、将来ある尊い若者達の命がいったいどれほど、この時に殺されてしまったのだろうか??

スーチーが邪魔で仕方のない軍部は彼女の心を、信念を、そして魂を破壊しようとして、あれやこれやと画策する。
執拗に精神を攻撃されていた時期、彼女がどうやって耐え抜いたのか・・・・私にはわかりませんが、
スーチーの祖国への燃えるような強い信念、そしてコミュニケーションこそできなくとも、愛するマイキーの存在は
間違いなく大きかっただろう・・・・と思うのですが、
それなのに、現実は、あまりにも残酷だ。

軟禁から一時解放され、家族とも再会できた時期もあっても、軍部はまたすぐに厳しくなり、まるで
鎖国状態にしてしまい、ますます彼女を孤独にする。

一時期、解放された時に「タイム」では、スーチーのことを「女性版マンデラ」「ビルマの星」などと表現したそうで、
マイキーは、それを誇らしげにスーチーに伝える。

それでもスーチーは、「もしもあなたが独身に戻りたいなら・・・・」と、あまりにも長い別離の状態から
彼を解放する事を考えていたように切り出すが、マイキーのはきっぱりと否定する。
「ビルマは2人の夢ではないか。その夢は何より深い君との絆だと思ってる」と。
スーチーの「あなたのように寛容で心の広い夫はこの世にいないわ」と、彼の優しい胸の中で疲労した心身を
預けるのだが、映画が史実通りならば、彼らがこの世で会えたのは、2人が抱擁できたのは、
この時が最期になる・・・・

(これも映画の中の写真です↓)


そして、残酷なスーチーの軟禁は、再び始まり、そして・・・・まだまだ続けられるのだ。

スーチーを心配しながらイギリスで暮らすマイキーが、体調不良で病院で診察を受けに行くと、
ドクターはあまりにもあっさりと彼に宣告する。
「残りは5ヶ月か、5年か、身辺の整理をする時間には十分でしょうか?」

「奥さんに連絡して、迎えに来てもらった方がよろしいのでは?・・・・」と。

マイキーの「それが出来ればいいのですが、妻はビルマにいるので・・・」と、力ない返事が痛々しい。

実際、マイキーが自分の病気についてスーチーに伝えるのは、かなりギリギリになってからのようです。
マイキーからの手紙の内容に衝撃を受け、大使館から電話するスーチーに安心させるように
「僕には君に会いたいという目的があるから、頑張れる」
「きっと病気に同情してくれて、ビザが降りるさ」と
安心させようとするものの、スーチーを帰国させ、二度とビルマに入れないつもりの軍部は、マイキーが
どれだけ申請しても彼にはビザを許可させない・・・・

ダライ・ラマ達の協力を得て、マイキーの入国を要求するスーチーに、
「あなたも妻なら帰国されたらどうでしょう。明日にはご主人に会えますよ」と、鬼の首を取ったかのように嘲笑しつつ、
スーチーに出国を迫る軍部。
「そして、二度と私を再入国させないつもりなのでしょ」と、見抜いたように厳しい表情で答えるスーチー。
「あなたたちはそれを自由と呼ぶのね」と厳しく答える彼女の決意は、揺らがない。

ただそんなスーチーであっても、辛そうな声のマイキーとの短い電話の声には心を痛め、
「私・・・帰った方がいいかしら・・・」と、ついに言葉にしてしまうが、それを強く否定するのがマイキー。
「ここまで何もかもを犠牲にして闘ってきた。そしてどれだけの血がこの闘いのために流されたことか。
今帰国したらこの闘いは無駄になる」
彼の否定の中には、たくさんの思いがこもっていたように感じさせられるが、イギリス人の彼ではあるが、
それ以上にスーチーの夫として、ビルマに、そしてなによりスーチーに命を捧げる覚悟ができているのがわかる。

病状が悪化して、ホスピスにうつってから、次男のキムがスーチーに
「もう時間がない。父さん死んじゃうよ」と訴えるが、その言葉にこたえる時の彼女の心はどんなに辛かっただろうか。
「どうかわかって。今ここを出ると、長い父さんとの闘いが無駄になるの」としか返事できない・・・・

そしてマイキーは、自分の生まれた日にホスピスでこの世に別れを告げる。

スーチーは、自分の夫の死去をラジオを通じてしか知ることしかできない・・・・
この頃、電話は再びできなくなっていたから。
「マイキー、マイキー、マイキー・・・・」床に倒れ落ちて泣き崩れるスーチーの姿を見ているとどうしても
涙が止められない。
止める必要もなかっただろう・・・・・・

そんな悲劇の後も8年、スーチーは民主への道を進もうとデモを繰り返し、軟禁され続ける。
銃撃にも遭うが、それでも彼女の非暴力の態度は変らない。
ただ、彼女のハンストも過激化していた。
兵士達が証人となれるよう、庭に置いた車の中で10日以上もの長いハンストを続けるのだが、
この激しいハンストを繰り返すことで、彼女の肉体は痛めつけられていた。
もともと食が細い彼女の肉体はハンストのため、脊椎炎を患い、全身の痛みや発熱に苦しめられる事になる。
それでも、彼女の信念は崩れない・・・・・

スーチーの髪にいつも飾られている花は、再会できないまま、この世で別れた夫と、かつて誕生日に
贈りあった品種なのだという。
マイキーは、この世を離れることにより、彼女のそばにいるような気にさせられる。
いつか、彼女を迎えに来る日まで・・・・・・
(でも、まだまだ彼女がしなければいけないことは沢山あるでしょうから、ゆっくりゆっくりとその時までは
静かに彼女を守って下さい。優しいマイキー)



2007年、大きな動きが起こった。
映画の中でも実際の映像が使われていたのですが、中立の立場を取っていた僧侶達がスーチーの
家の前に向かって集まってきたのだ。
赤い僧衣に身を包んだ僧侶達は、仏教国では尊敬される立場。さすがの兵士達は僧侶達の群れを
銃撃することはできなかった。
スーチーは、この沢山の僧侶達に向かい、合掌をして笑顔で応えるのですが、その姿、その表情は
彼女の激動の苦しみの日々とは、あまりにもかけ離れた笑顔だ。

この写真は、僧侶達に挨拶された時のスーチーの笑顔のようです(もし、間違いでしたらすみません)

年齢を重ね、無理なハンストや体調を崩したりしたりした中、そしてなにより、孤独の闘いの中で、
どうしてこんなにも穏やかでやわらかい、美しい笑顔を見せることができるのでしょうか・・・・

スーチーが、本当の意味で自由に行動ができるようになれたのは、2010年。
2011年には、スーチーと軍事政権側との対談が実現し、ついにスーチー率いる国民民主連邦(NLD)が
政党として認められた。

この政権が認められるまで22年。あまりにも長い月日で、あまりにも苦しい日々は、彼女から多くのものを
奪っていってしまった。
ビルマの若者達も変化していただろう。国内でのかつてのアウンサンスーチー、そして父親の
アウンサン将軍への熱狂が失われてしまったのも民衆の意識の変化も彼女の解放の一因になったようですが、
あまりにも皮肉で厳しい現実だ。

そんな中、スーチーがついに出国を決意しノーベル平和賞のスピーチを行い、ヨーロッパを遊説したのは、
大きな意味があると思います。
けれども本来ならば、ここに彼女は21年前、家族と共に立っているべきだったのだ!!!!


嬉しいことに、来年の春には、アウンサン将軍の頃から縁が深く、若い頃に住んだこともある
日本にスーチーさんが桜の頃に訪問する!!というニュースが飛び込んできています。

http://ajw.asahi.com/article/behind_news/politics/AJ201207300120 


講演会などは、行なわれるのでしょうか??
京都大学に再びの訪問・・・などで、関西訪問にも来られたりされて講演されるような機会があれば、
できる事なら、行ってみたい!!と願っています。
(もしも、このブログを読まれて、何か情報をお持ちの方がいらしたら、教えて頂けたら有難いです!)

そしてどうか、長年痛めつけられた心身を大切になさって(マイキーもなによりもそれを願ってるはず!)
ご自身の使命が果たせるように・・・・・お祈りしています

この映画の上映期間は短いですが、できることなら、一人でも多くの方に見て頂きたいと願う映画です。

そして、この映画の原作本はとても読みやすくてわかりやすいので、映画をご覧になれない方で、ご興味ある方には、お勧めだと思います。

The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛 (竹書房文庫)/レベッカ・フレイン
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そして、今私が読み始めてるのはスーチーさんが書かれたエッセイ本ですが、意外にも明るく物事を捉える
快活で表現力豊かな、スーチーさんの魅力に触れることができます。

増補復刻版 ビルマからの手紙 1995~1996/アウンサンスーチー
¥1,575
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来年の桜の頃、笑顔で来日されるスーチーさんの姿を見られることを願っています