♪1993/ぼくたちの失敗/森田童子 | 「今できること」を8年も綴っちゃったw (ぬ∀す)b

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今日は一日、ささやくように話したいと思います。

ぼくたちの失敗/森田童子


↑森田さんご本人の動画が無いので、
 12才の天才少女から拝借ですm(_ _ )m

1993年1月25日リリース、5thシングル。
(作詞・作曲/森田童子 編曲/石川鷹彦)

オリコンチャート最高位5位(93年2月8日付と3月1日付)。
89.4万枚を売り上げ年間チャートでは93年の20位となったが、
森田本人はその10年前の1983年から音楽活動を休止している。

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【↓うぃきコピ】

1952年生まれの森田童子は、学園闘争が吹き荒れる時代に高校生で、東京教育大学の学生運動と交流があった。高校を中退し気ままな生活を送っていたが、20歳の時、友人の死をきっかけに歌い始める。
(この亡くなった友人をモチーフにした曲が、デビュー曲「さよならぼくのともだち」)

75年、アルバム「グッドバイ」、シングル「さよならぼくのともだち」でデビューし、以後主にライブハウスを中心に活動した。もともと「ぼくたちの失敗」は、76年に発表された2ndアルバム『マザー・スカイ』に収録されていたものである(同年にEPでも発売されている)。

レコーディングの編曲、演奏はアコースティックギターの第一人者・石川鷹彦(元六文銭)が担当し、アルバム7枚・シングル4枚をリリースしたが、1983年の新宿ロフトでのライブを最後に、引退を宣言することなく活動を休止した。

カーリー・ヘアにサングラスというスタイルで、コンサートはもちろんレコードのジャケットなどでも素顔を見せることはなかった。また、本名は非公開、実生活についてもほとんど公表せず、作詞した歌詞の内容も「ありのままの実体験ではなく、願望を投影したものである」としており、普段も寡黙で、独特の世界観を表現した作品に自分の生活感を滲ませることを避けていたとされる。

一部ではカリスマ的な人気を博しつつも、森田のファンは全国的に見れば少数で 、森田本人がメジャー化を望んでいなかったこともあり、その作品はマスコミなどに表立って紹介されることもなかった。

しかし93年、テレビドラマ「高校教師」の主題歌に「ぼくたちの失敗」が使われ、一躍脚光を浴びる。このドラマで、森田の作品を世に広く紹介することになった脚本家の野島伸司は、高校時代同級生に誘われてライブハウスで歌う彼女を知り、強い印象を受けたという。

「ぼくたちの失敗」のヒットに伴い、森田のベスト盤が発売される。さらにほぼ同時にオリジナルアルバムがCDで再発売(初CD化3枚)され、新たに多くのファンを獲得した。

しかし、本人はこの騒ぎに対し「現在は主婦業に専念しており、音楽活動を再開する気は全くない」とだけ発言し、以降は完全に沈黙を守る。

2010年5月に記事が掲載された朝日新聞の取材の際には、現在は近しい人物の死去による精神的ショックと自身の持病により、活動が困難な状況であるとしている。

現在までに様々なアーティストによって「ぼくたちの失敗」「たとえばぼくが死んだら」などの楽曲がカバーされている。