※最終話から数えて3つ目のストーリーです。杏莉のノンフィクション、あと3回お付き合いください…!

 

 

 

実家ではじゅうぶんに甘やかされたものの、夫は甘やかしてくれなかった。

 

 

 

このストーリーを長きに渡って読んでくださっている読者の皆様はご存じの通り、私はけっこう甘やかされて育ってきた。『北風と太陽』で言うなら、『太陽』にぽかぽかと温めらなければやる気を出せないタイプ。当然「太陽」ベースで接してくれると思っていた夫が、このときは「北風」一択だった。

 

 

 

たとえば、入院から引き揚げてきた荷物は、ぜんぶ自分で片付ける。頼んで取ってもらうのではなく自分で移動して取りにいく。重い荷物も持つ。壁登り(腕を上げる練習)を怠らない...etc



 

私がスムーズに社会復帰できるように愛のムチが強い夫のおかげで、多少はしんどいと思ったけれど、日に日に体の回復を感じるようになった。(ちなみに、この頃のことを番外編の「ごあいさつ2017」に書いています。大晦日にイオンへ行った時の出来事です。)



 

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2016年1月1日。
元旦が良い天気だと、なんだか心のすみずみまで新たな気持ちになる。
傷口の痛みはほとんどなくなりかけていて、だいぶ歩けるし、笑っても平気になってきた。ただ、手術した左胸と左腕に、ジーンと痺れるような違和感が生じるようになった。

 


 

初詣は毎年行っている「吉備津彦神社」へ。

まだ普通のペースで歩けなくて、人ごみの中、ヨタヨタ、クルクルしていたところ、タイミング良く獅子舞に頭を噛んでもらえてラッキー!(すかさず夫がパシャリ)

 

 


 

 

 

 

じつは、乳がんだと分かった2015年は、私たち夫婦ふたりともが「本厄」の年だった。ついでに私の父と母も「本厄」。あまり普段から占いや星廻りの類いを信仰しているわけではないけれど、こういうこともあるのだなあと思う。でも、偶然半分、神さまからの「これからも注意しなさいよー」っていう気配り半分だということにしたい。今後、とらわれすぎるのはイヤだから。

 

 

 

おみくじは「中吉」だった。「自分を貫きなさい。迷いは禁物です」と書いてあった。乳がんの闘病において私は「迷い」だらけだった。今ではそのことがよく分かる。今後の私にも、ぴったりのアドバイスだ。

 


 

 

 

 

そして、実家から自宅に戻ってから初めて自分でするガーゼ交換。

ドキドキしながらガーゼを取り、自分の目で胸とお腹の傷口を見た時、瞬時にして胸が熱くなった。

 

 


 

母と姉はガーゼを取り換えている作業中、「うん、思ったよりはきれいな傷口だよ」とか、「さすが田辺先生、うまく縫い合わせているね」などと言っていた。それは、決してウソじゃなかったのだと思う。でもその傷口は「思ったよりきれい」でもなければ「うまく縫い合わされている」と思えるようなビジュアルではなかった。

 


 

私が傷つかないように言葉を選んでくれていた母と姉に申し訳なさと感謝の気持ちが込み上げてきて、ガーゼを持つ手がちょっと震えた。



 

上半身の左側は、ずっと、ジーン…としている。今はまだ動かせなくて当たり前だけど、「リハビリを続けたら動かせるようになる」と尾田平先生もリハビリの先生も言っていた。私もそれを信じて家でリハビリを続けている。でも、もし、もし、このまま動かなかったら…?

 

 

 

いや、この傷口は、私自身だ。
こんなときこそ、「自分を貫く。迷いは禁物」
きっと良くなる。

 





 

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