昨今のオペラ演出雑感 | ブッチャー山のブログ

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オペラ演出、という枠ぐみだけではなく、オペラ、というジャンルの問題でもあり、強いて言えば、クラシック音楽という、不自然なカテゴリーに括られた不思議な音楽ジャンル全般にも通ずる問題かもしれない。だいたい、クラシック音楽というカテゴライズがなされたのが十九世紀後半であったので、良くも悪くも、その時代の感性が土台となっており、その時代に、ある種のピークがあったことは間違いないところだし、ある種のバランスが成立していたことも間違いないだろう。しかしながら、カテゴライズが定着し、音楽界の産業化もインターナショナルな規模で成立した二十世紀前半、ほぼ百年前から、レパートリーの核がほぼ同一で、それを、演奏家の特権化と神話化が促進した状況で反復していき、さらに、録音技術、複製技術の促進も重なり、生演奏のアウラの変化や環境の変化も重なる中、スター演奏家を主体とした反復が成されて、それなりに、「伝統」の威光もあり成立してきたわけだが、同じようなレパートリーの反復によって、作品ー音楽ーの持つ時代性と、作曲当時に帰るオーセンティックと称するスタイルが作る時代性ーつまりは現代ーとの間の乖離は如何ともし難く、みるに耐えない、頭の悪い河原乞食が、これまた頭の悪い大学初級編のような蘊蓄を並べ立てた音楽界御用達学者の口車に乗り悪乗りしたかのような演出が増加しているさまは悲惨としか言いようがない状況と思う。歌手たちの自己陶酔的な十九世紀的なポーズと、頭の悪い大学初級編の蘊蓄の共存は、音楽抜きでもチグハグだが、新作や現代音楽のジリ貧状況からして、クラシック音楽やオペラの解体、あるいは空洞化が促進していくように思う。個人的に、アマチュアですらプロと勘違いしてオペラ歌手もどきが増加しているので、一度解体して、メジャーではない形で細々と営まれた方がかえって蘇生するかもしれない。世界的にクラシック音楽は一度壊滅的ダメージを受けるべきかもしれない(笑)