二幕。


◆◆◆

3年後。怪物に追われる悪夢に襲われるビクター。ビクターは怪物が着ていったコートのポケットに入れたままだった実験日誌を取り戻すため、3年間怪物を追いましたが、見つけることができません。そこへ叔父シュテファンが行方不明になったとの知らせが入ります。[♫ 행방불명 (行方不明)]

2幕冒頭は再演で大きく変更が入った部分です。初演でのビクターとジュリア婚礼のシーン《平和の時代(リプライズ)》と2人が永遠の愛を誓う曲《あなたなしでは》が再演では削除されました。怪物の逃亡以降3年間のビクターの行動とジュリアとの関係はざっくり言うとこんな感じに。  

[初演]エレンやシュテファンと和解。ジュリアと結婚。
ビクター:「君なしでは生きられない、君だけが生きる理由」  

[再演]ひたすら怪物の捜索で国中を回る。一週間前にジュネーブに戻ったばかり。
ジュリア:「そろそろ私の傍にいてくれてもいいじゃない」  

この変更は正しかったと思います。初演版の歌詞を読んでいて、ビクターのジュリアとの結婚は腑に落ちない点でした。ここが違うだけで作品全体の印象がかなり変わる気がします。初演版のようにジュリアと心が通じてしまっていては、ビクターが生命創造に固執する理由がわからなくなります。「君と共に呪われてもいい」というほど他人を愛し一体感を覚えることができたのに、なぜ死んだ人を蘇らせることにこだわり続けるのだろう?と思ってしまいます。2曲とも削られちゃってジュリアの影がものすごく薄くなったけれど、ビクターに多少なりともジュリアへの思いがあることは「私の傍にいれば君も」という言葉から充分伺い知ることができるし、実験日誌への執着心も強調されてビクターのキャラクターに芯が通った印象があります。

◆◆◆

村人達とシュテファンを捜索する中、1人になったビクターの前に怪物が現れます。「一体叔父に何をした?」と冷たい言葉を放つビクターに「これまでどうやって生きて、誰に世話をしてもらったのか、そんなことを聞くべきじゃないのか?」と怪物。ウンテ怪物は静かに淡々と。チサン怪物は怒りを必死に抑えながら。ウヒョク怪物は嘲笑的に。

ビクター:アンリ!
怪物:そんな風に呼ぶな!アンリ…その名前は私の名前ではない。私には名前が無い。私が生まれた時、いや、私が誕生した時、創造主であるあなたは私に名前さえつけてくれなかった。

怪物:なぜだ?私をアンリと呼べば、お前の罪悪感が少しでも慰められるのか?

怪物は「アンリ」という名前に反応して激昂します。特にウンテ怪物は落ち着いた話し方をするから、急な感情の爆発に気圧される…。差別を受け迫害される者にとって、名前を奪われ属性名で呼ばれることはものすごく屈辱的なことだと思います。「怪物」でもなく「被造物」でもなく、ただ個として存在を認められたいという切実な願いを感じます。

前に読んだインタビューによるとチサンさんの怪物は脚が不自然に接合されていて、努力すれば普通に歩くこともできるけど、本来は脚を引きずる歩き方が楽だという設定なのだとか。普段は本来の怪物としての野性を抑えているという感じで、感情が昂ぶるとコントロールが効かなくなり、誕生の時のような動物みたいな鳴き声が出てしまうようでした。ウヒョク怪物も基本的にこの路線です。獣の種類は違うけれど。

怪物はビクターに実験日誌を投げます。やっと探し求めたものを取り返したと狂気じみた笑いを抑え切れないビクターを侮蔑の表情で見つめる怪物。

怪物:利己的な人間よ。お前は自分の野望のため、お前のために献身していた友が犬死にするのを傍観した。
ビクター:違う!
怪物:では、その実験日誌は誰が書いたんだ?


◆◆◆

怪物はこの3年間で経験したことをビクターに語り聞かせます。人間に追われ、わけもわからず逃げたこと。独りきりで泣き叫びながら走ったこと。怪物は食べるものを求めて人間の村に降り、熊に襲われた女性カトリーヌを助けたときに格闘場の主人に捉えられます。[♫ 도망자 (逃亡者)]

熊を薙ぎ倒した怪物の力を見て、格闘場の女主人エバは「こいつは金になる」と怪物を連れ帰ります。

[♫ 남자의 세계(男の世界)]
https://www.youtube.com/watch?v=pM6S3rO0sxg

しかし闘いはしても相手を決して殺そうとしない怪物に、エバはこれでは商売にならないと苛立ちます。格闘場の投資者フェルナンドから巨人チュバヤと怪物との競技の提案を受けたエバは、夫のジャックに怪物に気合いを入れさせるようにと言いつけます。

金への執着が激しく残酷な女主人エバと、エバに尻を敷かれる享楽主義者ジャックの夫婦は、ディズニーヴィランズみたいにキャッチーで憎めないヒールで、アドリブも満載で(まぁほとんど言葉は理解できないんですが)楽しいです。愛すべき悪役がいるといないでは作品の楽しさって随分変わると思うんですよね!

そして面白いのは、この夫婦をエレンを演じる役者とビクターを演じる役者がそれぞれ役を務めるところ。フランケンはこの他にもメインキャストは皆一人二役を演じていて、ルンゲとイゴール、シュテファンとフェルナンド、ジュリアとカトリーヌと、全く違う種類の二役を一人の役者が演じるところを観られるのが楽しいです。

ジャックは怪物を挑発し闘志に火をつけるために、怪物のコートのポケットから見つけた実験日誌を読み上げ、怪物は自分の出生の経緯を知ります。

ジャック:この実験日誌の最後のページに何と書かれているか知ってるか。「私の友アンリの頭を最後の材料にして生命を創造しようと思う」お前はな、お前の創造主が自分の一番親しい友の首をもいで作ったむごたらしい怪物なんだよ。この野郎!

怪物を鎖で縛り上げ、「お前は人間が面白がって作っただけのゴミだ、人間のふりはやめて残忍になれ」と焼きごてを使って拷問するジャック。[♫ 넌 괴물이야 (お前は怪物だ)]

ジャックは「カムサハムニダ、カムサハムニダ、サンキュー、グラシアス、メルシー、ダンケ、スパシーパ!!」とか言いながら登場するすんごいゴキゲン野郎なんですが、特にドンソクくんはジャックを演じるのが楽しくてたまらないって感じで、ノリノリです…。基本的にかなり初演のリュ・ジョンハンさんに影響を受けているらしく、ここでもドラアグクイーンのようなジョンハンさんのジャックを踏襲しているようです。2オクターブくらい高めの猫撫で声で怪物をいたぶります。ステップ弾んでるし、片足をぴょんとあげてキャピるし、「ぷrrrrrrrrrrrらんけんしゅたいん」だし、エバには「アイラービュ♡アイラービュー♡♡」言うし、なんかもう、こういうのやりたかったんですね!?基本ハッピー男なんで、いつキレるのかがわからない不気味さがあって良かった。ふああ、と欠伸をしながら怪物の胸に焼きごてを当てて、「ソーリー♪アイムソーリー♪嘘だよ~ん♪」って。あまりに強烈なドンソクジャックを2回観たあとだったので、コニョンジャックは普通の人に見えてしまったなぁ…

そしてドンソクジャックで一番好きだったのは、実験日誌を読むくだりで急にフェミニンな高い声から男の声になるところ。ビクターの書いたものをジャックが読むという設定でありながら、実際にビクター本人の声で発声されるわけですよ。これは一人二役の妙だなと思いました。怪物は自分をいたぶりゴミだと罵る男に創造主の姿を重ねて、さらにビクターへの憎悪を深めていくんですね。というよりこの頃の怪物はジャックの言葉でしか創造主を知らなかったのではないかと思います。

◆◆◆

ジャックたちが行ってしまったあと、傷つき倒れている怪物のところにやってきて「熊から助けてくれてありがとう」と介抱する女中のカトリーヌ。カトリーヌは「私は人間が怖いから、人間ではないあなたのことは怖くない」と言い、怪物の身体を拭き、挨拶を教えてあげます。

「あんにょん」と手を振ってみたり、カトリーヌとじゃれあう怪物がかわいすぎますのでくれぐれもキュン死にお気を付けください。特にチサン怪物の子犬ぶり…どこのペットショップへ行けばこの子飼えますか? 

カトリーヌに北極という人間のいない、束縛のないところがあるのだと教えて貰った怪物は、北極への憧れで胸をいっぱいにします。

[♫ 그 곳에는 (そこには)] 
https://www.youtube.com/watch?v=AgG3HO_74ZQ

ウンテ怪物は愛しそうにカトリーヌの頬を撫で、ほのかに恋心を抱いているように見えます。チサン怪物は飼い主に甘える子犬のよう。ウヒョク怪物は一緒に同じところを夢見る同士という感じ。

カトリーヌと怪物が会話しているところを見つけたエバとジャックは「怪物が言葉を話すなんて。今度喋ったら舌を引き抜いてやる」と怪物を独房に入れてしまいます。[♫ 인간행세(人間のふり)]

男達に凌辱され傷ついたカトリーヌのところにフェルナンドが近づき、これを怪物に飲ませたらお前を自由にしてやる、と水薬の瓶を渡し取引を持ちかけます。カトリーヌは苦悩し自分の人生を呪いますが、結局は怪物の食事の器に薬を混ぜて渡します。

[♫ 산다는 거 (生きるということ)-アン・シハ]
https://www.youtube.com/watch?v=aSGm6l1CoMo

明日になれば 抜け出せるはず
明日になれば 自由を勝ち取る
明日になれば 他の人のように
生きるということが有難く感じられるかもしれない
こんな私に誰が唾を吐くの 私はただ生きたい
明日になれば


ほのぼのかわいい「あんにょん」に希望できらきらした《そこには》から、一転…カトリーヌは生きるための選択に迫られることになります。いや、選択肢なんてものはなくて、もうはじめからやらなくちゃいけないことは決まってる。選ぶことすらできない悔しさと自嘲が痛いくらい伝わってくる壮絶な曲です。自分の人生を「毛虫のよう」と言い、不幸に生まれた自分を呪いながらも、明日を夢見るため、ただ生きたいと歌うカトリーヌ。怪物にオーロラの夢を見せてくれた優しいカトリーヌがこんな醜い欲望を曝け出さなくちゃいけないなんて悲しい…。この動画のアン・シハさんを2回観たのですけどほんっと良かった。他の作品に出てるところも観てみたい。

◆◆◆

夜が明け、競技が始まりますが怪物は薬のせいで力が出ず巨人チュバヤに歯が立ちません。怪物の異変に気付いたエバとジャックに責められたカトリーヌはすべてを白状し、慈悲を乞うて怪物を蹴りつけます。[♫ 남자의 세계 reprise(男の世界-リプライズ-)]

カトリーヌ:あんたはただ 狂った人が作りだした怪物なんだ。獣以下なんだよ。あたしは生きたい。あたしは生きたい!この怪物、そんな目で見ないでよ。あたしはあんたみたいな怪物にやる慈悲なんかないよ。ご主人様助けてください…!どうかお慈悲を…

エバとジャックはフェルナンドとチュバヤを殺し、独り打ち捨てられた怪物は創造主を呪って格闘場に火をつけます。

[♫ 난 괴물(私は怪物)- パク・ウンテ]
https://www.youtube.com/watch?v=uAXkI1qo6yo

[♫ 난 괴물(私は怪物)- ハン・チサン]
https://www.youtube.com/watch?v=sG8BRb7LuZQ

なぜ私は一人ここで泣いているのか
ここに捨てられたまま
きっと私には生まれた理由がないんだ
私の創造主よ 何か言ってください
なぜ私は皆に怪物と呼ばれなければならないのか

昨晩初めて私夢を見た 
誰かが私を抱いてくれる夢
暖かい胸に 顔をうずめて寝入る私
その夢の中で生きることはできない私


「冷えきった地面」「鉄のベッド」という歌詞で始まるこの曲は、最後に「暖かい胸」という真逆のイメージで締め括られます。このフレーズが怪物の感じてる冷たさや硬さをより深くするんですよね...「暖かい胸」を夢見ることさえなければ、自分がいる場所がどんなに酷いところなのかを知らずに済んだのに。

「その夢の中で生きることはできない私」はアンリの「君の夢の中で生きたい」という言葉と対になっています。私は、怪物が夢に見た「暖かい胸」はやっぱり創造主であるビクターのものだと思います。

怪物はこの時まで、自分が誕生した時の記憶が曖昧だったのだと思います。とにかく生き延びるための本能で実験室から逃げたけれど、その時に何が起こったかははっきりと認識していなかったんじゃないでしょうか。言葉を話せるようになったのもカトリーヌに話しかけられてからだし、周囲に影響されて急激に記憶を取り戻したのかもしれません。ビクターは怪物が誕生した時、よろよろと歩いてきた怪物を一度しっかりと抱きとめ、コートをかけてやりました。その時の記憶が夢となって出て来たんじゃないでしょうか。

私の神よ 私の創造主よ
私が苦しんだ分 あなたにお返ししてやろう
世界で一人きりになるという絶望の中に陥れてやろう


ウンテ怪物は自分から呪いの言葉が出たことに驚いたように座りこんで茫然とし、ゆっくりと首の傷を確かめて子供のように泣きます。怪物は、この時やっと誕生してすぐにビクターが自分を鎖で絞殺しようとしたことを思い出したのだと思いました。昨晩、抱きしめてくれた人がいたことを夢に見たのに、その人が自分を殺そうとしたことを知ってしまった。呪われた存在である証拠が自分の首に残っていることに気付いてしまったんだと感じました。

チサン怪物はよく「子犬」と形容されますが、怪物の野性を解放して本能で鳴いてるみたいな、母を呼ぶ赤ちゃんみたいな印象で、カトリーヌとの関係からの流れもあって切なかったです。ウンテ怪物とはまったく違うアプローチですが、どちらの解釈も好きです。ウヒョク怪物は誰かを呼び、怪物の身体から出たいともがくように動き回り、首の傷に触って、「なぜ!」と叫び、自嘲的に笑って、どこへともなく「あんにょん」の手、という流れでした。ウンテ怪物の解釈も取り入れているけれど、迷子の獣の子供ようなそぶりがチサン怪物に近いのかなと思います。

私はカトリーヌと怪物は擬似母子関係だと思ってます。なので《そこには》ではチサン怪物とシハカトリーヌの見せた関係が一番しっくりきました。創造主への復讐を願う怪物の姿は、幼いビクターが神に対抗する姿と重なります。ビクターが神を呪うことになるきっかけは「母を奪われたこと」でした。怪物も同じだったんじゃないかと思います。幼いビクターと怪物の経験がリンクするほど、終盤の怪物の心情の変化に説得力が生まれる気がするんです。

◆◆◆

怪物の回想が終わり、舞台はまたシュテファン捜索中の森の中に。

ビクター:では、私に復讐するのが望みか?
怪物:そうだ。私は不幸だから凶悪なのだ。凶悪だから復讐を望む。
ビクター:それなら今ここで終わらせろ。
怪物:急ぎはしない。ゆっくりとだ。
ビクター:何だと!?
怪物:空を見て。風が吹く…もうすぐ稲妻が鳴るだろう。


怪物が姿を消し、シュテファンが遺体で発見されたとの連絡が入ります。そしてシュテファン殺害の犯人としてエレンが捕まったとの話を聞き、ビクターは「これは怪物の陰謀だ」と止めに走りますが、エレンは広場で処刑されてしまいます。[♫ 살인자 reprise (人殺し-リプライズ-)]

ビクターは幼い頃、人々が忌み嫌う中でエレンが味方でいてくれたことを思い出します。ビクターは「自分が近くにいたら皆が危険になる」とエレンやジュリアを遠ざけていましたが、結局エレンを死に追い込んでしまいます。幼い頃に、自分の強い味方でいてくれたエレンの姿を回想し、「姉さん、行かないで」ともう届かない言葉を子供のように泣きながら言います。

[♫ 그 날에 내가(その日に私が)]
https://www.youtube.com/watch?v=-FFpKQwxCTg

ビクターはエレンを蘇生させようと遺体を城に運びますが、実験室はすべて怪物に壊された後でした。ビクターは絶望し「すべて自分の失敗だ、これ以上生きられない、殺してくれ」と怪物に懇願しますが、怪物は「復讐はこれからだ、お前は最後まで生きて私の苦しみを味わえ」と言い、満月が裂ける時に戻って来ることを予告して去ってゆきます。[♫ 절망(絶望)]

フランケンのプログラムによると、このビクターの実験装置は『バベルの塔』をイメージしてデザインされたものだそう。『バベルの塔』は、神の世界に近付こうと天まで届く塔を建造しようとした人間に神が怒り塔を崩してしまったという神話で、まさに神の領域を侵そうとしたビクターの上昇欲求と傲慢さそのものが表現されていてなるほどなと思いました。左右非対称で色んな部品が取り付けられたディテールはビクターの歪んだ内面を表したものだそう。その芯となる部分に砂時計みたいなガラスケースが立ってるのも、考えてみるとすごく象徴的ですね。そしてバベルの塔を壊す怪物は、ビクターの被造物でありながら神の役目を果たしてるんですね…。

◆◆◆

怪物が予告した夜が訪れ、ビクターは怪物が自分を殺しにくるものだと思い警戒します。しかしビクターが怪物を捜しに行った隙を狙って、怪物はジュリアを殺害してしまいます。[♫ 오늘 밤엔(今夜には)~줄리아의 죽음(ジュリアの死)]

怪物:私は北極に行く。人間のいない…。私を殺したいなら地獄のような寒さに耐えて来い。北極の最も高いところでお前を待っていよう。


ビクターはジュリアの亡骸を抱きしめ、もう自分のために泣いてくれる人はいなくなってしまった、と嘆きます。あれだけ神を呪っていたビクターが遂に独りになって「神がおられるなら聞きたまえ」と縋るんですね…。なんて弱い人なんだろう。

[♫ 후회 (後悔)-ユ・ジュンサン]
https://www.youtube.com/watch?v=USF8d3-oEtU

[♫ 후회 (後悔)-チョン・ドンソク]
https://www.youtube.com/watch?v=dyougQsh18Q

◆◆◆

森の中。一人で泣いている迷子の少年に怪物が近づきます。怪物は湖のほとりに座って少年に「1人の人間の話」を聞かせてやります。

この湖のシーンは、製作中に何度もスタッフやキャストから「カットすべき」との声があがったそうで、驚きました。私は、このシーン無しにラストを理解することは不可能だと思います。一言一句たりとも欠かすことができないくらい重要な場面だと思っています。

メアリー・シェリーの原作小説には、ビクターの弟・ウィリアム少年が湖畔で怪物に絞殺されるシーンがあります。ミュージカル版の『傷』の場面がこれをモチーフに作られていることは明らかですが、原作版とはまったく違う意味を持って挿入されています。この少年は幼いビクターで、つまりこの場面は怪物の心象風景であって現実に起きていることではないのです。この森は、ビクターの母親の遺体が焼かれたあの森なのだと思います。

「道に迷った」と言う少年に「私も道に迷ったんだ」と独り言のようにつぶやく怪物。アンリの記憶が戻っていることは明らかで、ひとつの身体の中に、怪物としての創造主ビクターへの想いと、アンリとしての友人ビクターへの想いの両方が宿っているのを感じます。もしくはそれすらも既にひとつに溶け合っているのかもしれません。もう怪物の顔に憎悪の色は一切なく、怪物はビクターのことを「私の友人」と呼び「ただの弱い一人の男」と表現します。

一人の人間がいたんだ ただの弱い1人の男
あの神に憧れ 自ら神になろうとした
自分に似た生命を作った

だけど気づいた 準備をしていなかったんだ
どのように成長して どのように幸せを感じて
どのように愛して どのように死ぬのか

神になりたかったけど 無責任な凡人だっただけ
人間はなぜ この世が自分の物だと信じているのか


少年:おじさんが、人間が作った生命なの?
怪物:どうして分かった?
少年:首の傷
怪物:そう、私には傷がある。君も大人になれば 人間のふりをするだろう?そうはならないで…

怪物は少年を水に突き落とします。原作のウィリアム少年のように首を絞めるのではなく。

『フランケンシュタイン』の大きなテーマのひとつになっているのが【憎しみの連鎖】です。怪物の創造主への憎しみは、生まれた時に鎖で首を絞められたところから始まりました。

怪物:私が生まれた時、いや、私が誕生した時、創造主であるあなたは私に名前さえつけてくれなかった。私の首を絞めたのだ。まるで機械を止めるように、何の疑いもなく、私の首を絞め、私の命を消そうとした。

ビクターが怪物の首を絞めるのに使った鎖は【憎しみの連鎖】を象徴するものとして劇中に登場します。ジャックが怪物を拷問するのも鎖。怪物とカトリーヌが逃れたいと願ったのも鎖。

あの空の鳥のように遠く ここのこの束縛から逃れて 
歌を歌いながら暮らしたい
私を閉じ込めているこの世界の鎖を跳ねつけて立ち上がり 
そこへ行きたい

《そこには》

鎖が巻き付いているようにも見える怪物の首の傷、これは怪物にとってビクターに絞殺されかけた時の記憶と直結するものなんだと思います。

私はなぜ祝福の代わりに呪いを首にかけ 生まれなければならないのか
《逃亡者》

ビクターの神への憎しみは怪物の憎しみを生み、結果的にエレンやジュリアを殺すことになりました。

怪物:そうだ。私は不幸だから凶悪なのだ。凶悪だから復讐を望む。

怪物の本当の望みは、ビクターを苦しめることではなく【憎しみの連鎖】を断ち切ることにあったのだと思います。怪物を修羅に落とすきっかけになったカトリーヌの裏切りも、負の感情の連鎖の結果でした。怪物がエレンやジュリアを殺したのには、ビクターがいなくなることで悲しむ人がいないようにしておく目的もあったのではないでしょうか。

そしてもう一つ【憎しみの連鎖】を表すものとして出て来るのが、火です。焼かれた母の遺体、恐怖に陥って火をつけた村人、焼死した父親…。エレンを死に追いやられ、実験室を怪物に壊された時にビクターはこう言います。

私を焼き殺すのか いっそ私を引き裂いて殺せ
《絶望》

酒場で「何かに飲み込まれるようだ」とうなだれたビクターは、ずっと両親を焼いた火に追いかけられていたんじゃないでしょうか。焼くということは憎しみを広げていくことなのだと思います。ビクターを飲み込もうとしていたのは、ビクター自身の抱える憎しみです。

『傷』の場面に戻ります。

『私は怪物』で格闘場に火を放ったときの怪物は、ただ復讐だけに心を捕われていました。ジャックの刷り込みによって、創造主は自分をただ面白がって作ったと思っていたのです。しかしアンリの記憶が戻り、怪物はビクターもまた自分と同じように憎しみに囚われてしまった同情すべき存在なのだと知ったのではないかと思います。怪物の心を埋め尽くしていた憎しみの炎は消え、『傷』では怪物の心は広く静かな湖、火と相反する水として表現されます。

怪物として生まれ変わり、アンリが知った孤独と疎外感そして理不尽な創造主への憎しみは、母を森で焼かれた日のビクター少年と同じ感情でした。アンリの何よりの願いは、あの日ビクター少年の中に宿った憎しみの炎を消してあげることだったんじゃないでしょうか。そうすればすべての悲劇は生まれることがなかった。エレンの回想の中で、転んだビクター少年に差し伸べ、むなしく振り払われたアンリの手を思い出します。『傷』はそんなアンリの願いが具現化したシーンなのだと思います。

怪物は首の傷に気付いた少年の頭を優しく撫で、水に突き落とします。だけどそれは殺害や苦痛を与えるためのものではなく、憎しみからの救済と癒しの行為なんだと私は受け取りました。そこには確かにアンリのビクターへの想いを感じます。

一人になった怪物の頭上で一つの星が大きく尾を引いて落ちていきます。そして怪物は、少年に語った「あの星になりたがっていた友人」と最後の決着をつけるために北極へ向かいます。

私はこの作品を「背中ミュージカル」だと思ってます。こんなにも役者が背中を向けて歌うことの多いミュージカルって他にないと思うのです。『君の夢の中で』でビクターの手を握りながら力強く歌うアンリ、『そこには』で憧れの北極に向かって手を伸ばす怪物とカトリーヌ、『生きるということ』で明日を渇望するカトリーヌ、そしてこの『傷』で、怪物はまるごと1曲を客席に背中を向けて歌います。とても重要な歌詞を、表情が見えない状態で。だけど、だからこそ震える息づかいがぐっと身体に染み込んで来て、胸を締め付けられます。3人の役者たちは一体どういう表情で北極のシーンを迎えているんでしょうか。

◆◆◆

怪物は、「北極の最も高いところ」でビクターを待ちます。

舞台において、上の立場にある役の者がより高い立ち位置にいるのはよくあることですが、ビクターとアンリ/怪物、二人の人物の関係性をメインテーマにした『フランケンシュタイン』ではその手法が至る所でかなり意識的に使われています。『たった一つの未来』では橋の上に立つビクターをアンリが見上げる形から始まり、ラストで同じ高さまで登って握手を交わすことで2人の関係が対等になったことが表現されます。酒場では、落ち込んだビクターをアンリがテーブルの上に引き上げます。そして一幕ラストでは怪物がバルコニーに駆け上り、二幕では常にビクターの頭上に現れることになります。

「最も高いところ」とはつまりもうそれ以上高いところの無い場所、二人が同じ高さにいられるところなんだと思います。怪物にとって北極とはもっとも火から遠いところ、憎しみの連鎖の断ち切られた場所で、さらに「人間」でも「怪物」でも「創造主」でも「被造物」でもない個としてビクターと対等に向き合える場所だったのだと思います。

カトリーヌ:そこへ行けば誰もいないから、自分自身が人であることすら忘れてしまうんですって。

そこには人間がいない
そこには欲望もない
誰も傷つけない そこには平和がある

《そこには》

怪物はかすかな笑みを携えて登ってくるビクターを待ちます。ビクターはナイフで切りかかりますが、揉みあいになり怪物に脚を刺されてしまいます。ビクターの手元から転がった銃を拾い、ビクターの頭につきつける怪物。しかし、その銃を持ちかえ、静かにビクターに手渡します。

ビクターは復讐のために怪物を追ってきましたが、銃を突きつけられると少しほっとしたような表情をみせます。このまますべてを終わらせてもらえるならそれでいいと思ったんでしょう。だけど怪物は撃ちませんでした。ウンテ怪物の構える銃は完全にブラフで、はじめから撃つ気はありません。ウンテ怪物にはほとんど完全にアンリが戻っていて、もうやるべきことは最初から決まっているといった雰囲気があります。対してチサン怪物とウヒョク怪物の中には怪物とアンリの二つの人格がせめぎあっています。銃を持つ手は震え、撃たなかったというよりは撃てなかったというように手を降ろします。ビクターに同情するならこのまま殺してやるべきだというアンリの理性と、復讐を全うしたい怪物との間で揺れているような印象でした。

銃を受け取ったビクターはすぐさま怪物を撃ち、怪物は最後の言葉を言ってこと切れます。

怪物:その片足では、この北極を抜け出すことはできない。周囲を見回して。君は一人になったんだ。一人になるという悲しみ、もう分かっただろう。ビクター、これが僕の復讐だ。

「ビクター」と呼び掛けられ、ようやく自分が誰を失うのかに気付いたビクターは驚愕の表情を見せます。独り残された北極で、ビクターは一番高いところに上り大声で叫びますが、その声は空しくこだまします。息絶えた怪物を抱きしめながら「むしろ呪え」と叫ぶビクターの声が響き、幕が降ります。

いっそ 私に呪いをかけろ
神に抗い戦った 私はフランケンシュタイン

[♫ 나는 프랑켄슈타인 (私はフランケンシュタイン)]

レポと銘打っておいて申し訳ありませんが、ラストシーンの芝居の詳細については書かないでおくことにします。肌で感じ取ったそのままにしておくのが一番良い気がするんです。 

私が実際にあのラストシーンを観て思ったことは、アンリ/怪物が行ったのは単なる言葉どおりの復讐ではないということです。

アンリは真っ直ぐで優しくて他人のために自分を犠牲にできる人でしたが、聖人ではなく人間でした。こう考えるのは、今思うともっとも人間臭いウヒョクくんのアンリを観た影響が大きいかもしれません。もしもウンテアンリのみを観ていたら、アンリ=ジーザスだと思ったままだったかも…。アンリが最初にビクターの研究に協力したのは、「人類の未来のため」でした。だけどその言葉はビクターの自己欺瞞なのだと、アンリのような聡い人が気付かなかったはずがないと思うのです。わかっていたけれど、身代わりになったときにはアンリの研究の目的もまたビクターの呪いを解くことになっていたんじゃないかと。そしてもちろんアンリはビクターが自分の首を生命創造に使うだろうことは知っていたし、それを望んだんじゃないでしょうか。惹かれてしまったがゆえに、ビクターをの心を救えればいい、ビクターの夢の中で生きられればいいと、人々を欺いて身代わりになったことはアンリの罪です。利己的な欲望はアンリにもあったのだと思います。

怪物は個人的な復讐心を満たしているようで、その実神に代わって人間の驕慢に罰を与える存在でした。ビクターを罰し、さらなる憎しみが人間に広がることを止めた。だけど「人間」も「怪物」もなくなる北極に来て、ただ一つの存在として願ったのはやっぱり自分の幸せだったんじゃないかと思います。

あの世界の果て そこに 幸せ そんなものがあるのだろうか…
《傷》

怪物はビクターに撃たれ絶命しますが、アンリ/怪物が渇望した至上の幸せは叶えられたと思います。

昨晩初めて私は夢を見た 誰かが私を抱いてくれる夢 
暖かい胸に 顔をうずめて寝入る私

《私は怪物》

アンリ/怪物は、ほんとは復讐よりもこれを望んでいたんじゃないかと…だから撃たなかった、だから「ビクター」と呼んだんだとしたら…怪物にアンリの人格が残っていることを知っていれば、ビクターは怪物を撃てなかったはず。ビクターをぎりぎりまで欺いて、息絶える直前にようやく「アンリ」を見せるというのは、アンリ/怪物にとって復讐と幸せの両方を叶えるための最善の策だったのかなと思います。そう考えるとあの哀しすぎるラストが少しだけ救われた気持ちになるから、私はそう思っておくことにします。

◆◆◆

長くなりましたが最後に、原作小説の一節を引用します。

私たちは、自分よりも賢くて優れた、もっと値うちのあるもの――友だちとはそうしたものであるはずですが――が手を貸して私たちの弱い過ちの多い性質を完全なものにしてくれないとしたら、まだ半分しか出来上らない未定形の生きものなのです。私にはかつて、人間としてもっともけだかい友人がありました。ですから、友情については判断する資格があるのです。あなたは希望と、眼の前にある世界とをおもちです。絶望なさるわけがありません。しかし、私――私は、いっさいのものを失い、生涯を新規にやりなおすことはできません。
《メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』青空文庫より》

原作のビクターが怪物を追ってやってきた北極海で船に救助され、冒険家ウォルトンに語ったものです。原作のビクターと怪物はミュージカル版とはまったく異なりますし、結末も違いますが、ミュージカル版の主題になったのがこれなんじゃないかと、改めて小説を読み返していて思いました。

共に心に空洞を抱えた二人が出会って、その出会いによって少なくともアンリは変わることができた。ビクターももう少し色んなもののタイミングが違えば、憎しみを捨てられたかもしれないのにと考えると本当に切ないです。

◆◆◆

フランケンのニクいところは、あんなに哀しいラストのあとにカーテンコールで少しだけ幸せになれるところです。

観劇していると、舞台上で哀しい運命を演じた人達がカーテンコールで和やかに笑っているところをみてホッとするということがよくあるのですが、フランケンは完全にこの観客の心理を突いたカーテンコールになってて、キャスト全員が出揃ったあとに、ビクター役と怪物役の俳優が舞台奥でハグするという演出があるのです。時にはほっぺにちゅーしたり、おんぶしたり、ハグ焦らししたりとそれぞれに仲良しパフォーマンスを見せてくれるのでオペグラの準備をお忘れなく。もちろんそういうのはそういうので萌えるし楽しいんだけど、やっぱりビクターとアンリが少し残っていることを感じさせて欲しいのでシンプルにハグしてくれるのが一番いい。チサンさんもインタビューで「カーテンコールでビクターと抱き合う時、舞台で叶えられなかったことが叶ったような気持ちになる」というようなことを言っておられましたが、そう、そうなんです…最後にそれさえ観られれば、ビクターとアンリが幸せに笑って生きている平行世界がどこかにあるのではないかと思えるんだ…それだけで充分自家発電可能なんだ、おたくというものは…

まぁしかし186cmの男が180cmの男の頭ホールドする映像すばらしすぎて溜息しかないっすね。(※私の推しペア、ドンソク×ウヒョクです)

しかも最後にビクター役とアンリ/怪物役が抱き合う時に流れるメロディ、《私は怪物》の「昨晩初めて私は夢を見た 誰かが私を抱いてくれる夢 」の部分なんですよ…?とことん泣かせる演出…

◆◆◆

本当に長々と書いてしまいまして、もし最後まで読んでくださった方がいらっしゃったら感謝しかありません。色々書きましたが、あくまでもこれは現時点での私個人の解釈ですので、納得のいかない部分がお有りでもご容赦ください。多様な解釈のできる素晴らしい脚本ですので、私もこれから観劇を重ねればまた印象が変わるかもしれませんし、まだまだフランケンを掘り下げていけたらいいなと思います。お付き合いありがとうございました!

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