おはようございます。
カンパニー感想の続き…なかなか続きませんでして…
というか、この記事自体は結構前に書いてはいたんですけど。
読み返してみると、なんか「楽しめてないこと」ばかり書いちゃってるなぁ~、これ公開するのどうかな~、って迷ってました。
でね!
昨日、私のアイドルニコライ少尉さまの記事を読んでたら、なんかモヤってた気分が晴れまして。
あー!あのウィーンのカフェのとこ、私も見た見た!めっちゃ楽しく見てました!!!って思い出して楽しくなってきたんですよね。
(ニコさま、いつも楽しく拝見しておりますありがとうございます)
なので、この記事はこの記事で、その時の本音で書いた記事に変わりはないので一応アップして、続けて昨日書いた別記事もアップしまーす。
結果的にものすごい分量になってますが、気が向いたらお付き合いくださいませ。
(以下、不満を読みたくない場合は読まないほうが賢明です!)
■瀬川由衣(海乃美月)
「『努力、情熱、仲間』。この三つがそろえば無敵って」
由衣といえば、観劇して一番最初におい、ダーイシてめぇ…(^∇^)」ってなった、「お前が孕ませたんだろうが!」っていうセリフ。
原作を読み返してたら、このワード自体は原作にも出てきてたんですね。(石田先生、誠に申し訳ありませんでした…)
ただ、原作では、そういう「思いをこめて、由衣はスミトをにらみつける」「胸ぐらをつかみたくなるのを抑え、由衣はこぶしを握る」シーンだったのを、宝塚版では実際に胸ぐらをつかんで怒鳴りつける演出にしてたわけで。
小説の舞台化って、ほんと難しいねぇ…
原作読んだ身としては、由衣には胸ぐらをつかんでほしくなかったし、怒鳴ってほしくなかったわけです。正直ね。
ただ、あの“広い宝塚大劇場で観客に伝える”ことを考えたら、そういう表現にすることは受け入れなきゃ、なのかもしれませんね。
しかし、チョコレートケーキは原作どおり食べて欲しかった…(ごめんやっぱり原作厨だった)
公演プログラムに掲載されている、原作者の伊吹有喜先生のメッセージでも「二人の主人公、青柳と由衣」と明記されているように、原作ではまさに「もうひとりの主人公」である由衣。
宝塚での舞台化にあたり、最も扱いが難しい役なのかな、なんて思いました。(宝塚は男役と娘役の比重とか、番手とか、色々考慮する事項があるので)
私ですね、演出家インタビューで「青柳は設定を変えて文武両道の人物にしている」と知って、原作では由衣が“かつて競技者だった経験とともに語る「努力、情熱、仲間」にまつわるエピソード”を、宝塚版では青柳に語らせるのかな?なんて予想してたんですよね。
(全く当たらんかったけど…)
サブタイトルになってるから絶対重要なシーンとして出てくるやろ!と思ってた原作の「努力、情熱、仲間」エピソード、全然出てこなくって(笑)、舞台では高野さんに「努力、情熱、仲間が揃えば希望が見えてくる」みたいなセリフをさらっと言わせてハイ終了~って印象でした。(それとも実はもっとちゃんと描かれてた?私が見てなかっただけ?)
あ、そうそう、これは言っておきたい。
「新解釈・白鳥の湖」上演中、紗良が怪我をして、高野も足を…ってなった場面。
公演はどうなるの!?とドキドキさせるとこですかね。
皆の不安を払拭するかのように、「俺は不死身の悪魔、ロットバルトだ」と再び戻ってきた高野悠。(ひゅー!!さすが高野さん!!)
でもね、原作ではもっと素敵なシーンが描かれてるんですよ!!!!!!!!!!!(全力の訴え)
舞台へ戻る前、楽屋で、由衣と高野のシーンがあるんです。
ここ、まさに「努力、情熱、仲間」について語るところ。
仮に高野と由衣が主人公とヒロインだったら、ここの場面は絶対入れてほしい~もうホント好き~めっちゃドキドキする~
原作既読の方にはこの気持ち、伝わるかなぁ~
■高野悠(美弥るりか)
「すべてそろってるよ」
「だから無敵だ」
…(私の)高野悠ドリームが壮大すぎて、消化不良感が否めない。
ナウオンでありちゃん(暁千星さん)が、手を合わせてくねくねさせるような不思議な動きをしながら「あたし、、高野悠が…(原作を)読んだときもほんとに好きで…ずっと考えて…読み終わったあと、あーほんとカッコいいなーと思って…」って話してるのを見て、
(ありちゃん、それわかるめっちゃわかる)
って前のめりになったのは私です。
ありちゃんのしぐさ、好きであるが故に話す声のトーンまで高くなっちゃうとこ、、、こりゃガチだな、って思いましたね。
そんな、未来の宝塚歌劇を担うスター・暁千星さえもときめかせる高野悠さんですけども。
見たいシーン・聞きたいセリフがたくさんありすぎて!!
語りつくせないよ!!
花組公演『はいからさんが通る』のカーテンコールの時みたいに、みやるりさん(美弥るりかさん)が原作の名台詞を抽出して言ってくれないかな!?!?!って思わずにはいられない。
もっと掘り下げてほしかったなぁ…、と感じたところもありました。
それは、高野さんが「王子ではなく、悪魔ロットバルトを演じたい」と言った部分。
その理由ですね。
宝塚版では「古傷の影響もあって王子役は難しい。無理すれば踊れなくはないが、役の幅も広げたいし、中途半端なものは見せたくないから」みたいなことになってましたかね?(ごめんなさい、観劇したの2週間以上前だから間違えてるかも)
なんか、石田先生脚本ではラーメン屋のオヤジが…っていう謎の例え話をしてましたが、私は「高野さんそんな偏屈キャラにさせられちゃったん…?」ってさみしくなっちゃったんですよねー。
原作では、ここで高野自ら「僕が踊れる時間は、もうそれほど長く残っていない」って言ってて。
そしてさらに、続けて「現役最後に踊るなら、僕には踊りたい場所と演目がある」って正直に告白してるんです。
自分には目指すものがある→まだ最後にしたくない→だから、今は身体に負担をかけないようにしたい、っていう“本音”が語られるところかな。
この場面を含め、高野は“さらなる高みを追い求める情熱を内に秘めた人物”だと感じてたんですよね。私は。
だけど、宝塚版の脚本には、「役の幅を広げたい」という「~したい」っていうニュアンスより、「難しい」「無理をしたくない」「中途半端なものは見せたくない」っていう「できない」「~したくない」の意味合いを強く受けちゃったんですよね~。否定的というか、保守的な印象かな。(あくまで私の受け取り方ですのであしからず…)
少なくとも、「踊りたい劇場と演目があるから」っていう部分は描かれてなかったです(よね?)
…結局のところ、私は、高野さんとみやるりさんを重ねたかっただけかもしれません。
「時間はそれほど残ってない」なんてセリフ、正直今のみやるりさんの学年とか、何学年も若いトップスター率いる組で2番手であるとか、そういう状況を考えたら、ちょっとセンシティブな言葉にも聞こえるんですけど。
でも、異なる描かれ方をしていた宝塚版を観劇してみて、
「僕には踊りたい場所と演目がある。今回の舞台で僕の舞踊人生を最後にしたくはない」っていう言葉、私は聞きたかったんだ、って気づきました。
さらなる高みを追い求める高野悠の姿に、美弥るりかさんを重ねて見てみたかった、って。
…これに関しては、私が勝手に思ってたことで、願望というかワガママですね~。
あ、原作序盤では「今回の舞台で最後にはしたくない」って発言はありましたけど、「新解釈・白鳥の湖」を軽視している訳ではないですよ!特に、由衣の項で触れた舞台再開前の楽屋シーンとかね…高野さんもアツイわ…(原作読んでください)
高野さんに関しては、本当に見たい場面がありすぎて(笑)、見たいところをすべて舞台で見るのは絶対無理!と予想はしてました。あくまで主役は青柳さんなので。
青柳さんとのオセロの対角のコマの話とか~!
由衣とのウィーンの国際空港でのシーンとか~!!
あとはあとは…(そろそろやめます)
でもね、振り返るとやっぱり、東京オリンピックまでに都内全面禁煙とか落研とか、ラーメン屋、ウィーンでちゃんこ屋、50歳で現役サッカー選手、ライバルは幽霊、縁切り寺、外国人横綱、グーグル検索できない国では踊りたくない、だの…(こう考えると石田ワードは記憶に残るな…)
そういう、どうでもいいセリフ追加する尺があるなら、原作の素敵な会話をもっと舞台化してほしかったです。何度も言うけど。
そして、原作を読んでいない方には、「原作があるからこんな話なのか」だとは思わないでいただけると嬉しいです。
もう別物だと思うよ。
…はい、ということで、脚本演出に関する文句&文句で誠に申し訳ないです☆
夏祭り盆踊りもオリジナルだしね☆(「…ぼん、おど、り…?」ってなった)
だってねだってね、パフォーマンスが最高潮に盛り上がったところで、バンッ!と街頭の大型ビジョンに映し出される…と(観劇前)予想してたところが、まさかの盆踊り会場でバンッ!っと傘だよ!?アナログ回帰な展開にめちゃくちゃ笑ったわ!!(予算か!?予算の都合なのか!!?)
(私が衝撃を受けた傘演出↓)
(公式ホームページより)
石田先生も公演プログラムの挨拶文で「原案のような形になった」っておっしゃってますし、「原作の設定や展開をつまんだ石田作品」だと思ってご観劇なさったほうがいいと思います。
はい、ということでこんな文句ばっかりの記事にお付き合いくださりありがとうございました。
みんなー、原作読もうぜ!!!!(2回目)
ブログ村参加してます。が、今回はランキングバナーは貼りません。(不満ばっかり書きすぎてて、その記事に対して「クリックしてね!」って言うのもなんかアレなので…)
カンパニーを楽しんだ話もアップしてますので、もしよければ読んでくださーい!