如露亦如電 應作如是觀 -10ページ目
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「松平右近」小考。

とりあえず、このカテゴリーにしておきましたが、見方によっては時代劇ネタだったり歴史雑話だったり。

 

唐突ながら、「松平右近事件帳」と言うテレビ時代劇をご存じでしょうか?
それほどメジャーな作品ではないので、ご存じない方が大半だと思いますが、三十年ほど前に、日テレ系列で放送された作品。
あらすじは、里見浩太朗さん扮する徳川十一代将軍家斉の弟・松平右近が活躍する勧善懲悪もの。


この主人公の右近は、幼少時代は江戸の町人の中で育ち、普段は江戸城を離れて市井にて医者として生活し、最後のチャンバラの時だけ身分を明かして三つ葉葵の紋所の着いた着物で登場するのですが。

まあ、同じ里見さんが演じる「長七郎江戸日記」シリーズの姉妹編みたいな感じ(放送時期は「右近」の方がやや早いですが)で、「長七郎」同様、ただひたすら里見さんが格好良い時代劇です(笑)。

 

この物語の中の松平右近は架空の人物なのですが、恐らくモデルになる人物が存在すると思うのですよね。
それが、六代将軍家宣の弟である上州館林(現・群馬県の館林市)藩主の松平清武。
彼の通称は「右近将監」、すなわち「右近」であり、時代こそ違え将軍の弟である所、また彼も幼少時は家臣の子として育ち、家宣の弟として認知されたのは成人になってからなので、このあたりもドラマの「右近」と似ているわけで(ただし、彼が「右近」に任官するのは家宣の死後)。
まあ、これは当時の日テレのスタッフにでも問い合わせないと真偽の程はわからないですが、私は勝手にそう思っています。

で、ちょうど二年くらい前に、東京にある右近清武の墓に行ったことがありまして、その写真が出てきたので本稿を書くことを思い立った次第です。
山手線の日暮里駅からほど近い「善性寺」と言う寺が、その右近の眠る寺でして、↓がその右近の墓。

 


如露亦如電 應作如是觀

 

墓の手前の線香を供える部分には、三つ葉葵の紋所が着いていますよね。

見づらいので確認してみましょうか(↓)。


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一度は臣籍の大名の家に降った右近ですが、彼一代だけは葵の紋の使用を許可されていた、と言うことなのでしょうか、そうなるとよりドラマの「右近」に近づきますけどね。

まあ、このお寺の墓地は、戦火の影響で区画整理が戦後になされてしまったせいか、本来この地にあった松平家歴代の墓は今は墓碑銘が残るのみで墓石はなく、この右近の墓も形式からして後代に建て直された可能性がなきにしもあらず。

ですので、この三つ葉葵は、後で勝手に(?)つけたものかも知れません←

 

最初に右近が預けられた旗本・越智家の紋所は揚羽蝶で、同寺の松平家の墓碑銘の傍らに立つ灯籠の方には、ちゃんと揚羽蝶の紋が刻まれています(↓)


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まあ、紋所の話はさておくにしても、 この右近の経歴、一旗本から認知されて将軍の弟になった全半生も劇的ですが、なかなかその後もすごい。
一説によると、七代将軍の家継(前出の家宣の子で、右近には甥にあたる)がわずか八歳で死去した後、八代将軍の候補として家宣夫人の天英院が彼を推したこともあるらしく(ウィキペディア情報で恐縮ですが、『人物事典 江戸城大奥の女たち』なる本にその説が紹介されているらしいです)。
これには諸説あって右近を候補者としない説もありますが、専門家でない私は面白そうな話としてこの説を採っておきます(笑)。


もっとも、彼は血縁的には前将軍に近いとは言え、身分的には御三家のような徳川ファミリーではなく、臣下であるの諸侯の席に列していて格式的に問題があることと、当時五十代と高齢であったことを理由に本人が辞退したために、周知の如く「暴れん坊将軍」でお馴染みの吉宗が紀伊藩主から出て将軍となったのですけどね。
こんな具合ですから、彼を主人公にしたドラマでも作れば、面白そうな気もしますけどね。
地味な題材ではありますけど、中央の政治に絡んできますし、正月の二~三時間の時代劇あたりでどうでしょうか(笑)。

 

所で、この善性寺の門前には、「羽二重団子」と言う老舗の和菓子屋さんがあって、その名の如く名物は羽二重団子。

たれとあんこの二種類があるのみとメニューはシンプルで、値段も団子にしてはやや高めですが、味は確かに良いですし、かの正岡子規もこの近辺に住んでいた縁か、この団子を題材にした句を詠んでいます。

店内には喫茶スペースもあって、団子を食べることも出来るのですが、この時、私がそこで注文したのがあんこ団子とお茶のセット(↓)。


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抹茶の場合は追加料金がかかりますが、煎茶の場合は純粋に団子二本だけの値段でお茶は実質無料なので、ある意味喫茶コーナーで食べた方がお得かも知れませんね(笑)。

善性寺は右近が隠居した寺とも言われていますので、あるいはこの団子を彼も食べたのかも、なんて言う妄想も浮かびますが、残念ながら「羽二重団子」さんは創業が文政二年と、右近の時代よりもずっと後になりますので、流石にそれは無理があるでしょうか(笑)。

 

右近の話から大きく脱線した感があるので、このあたりで終わっておきます。

 

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