はじめての瞑想の師匠 | 鶯梅院 住職のブログ

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◆はじめての師匠の思い出◆
最近、最初についた瞑想の先生の事をたまに思い出します。
最初に瞑想を教えていただきましたのは、仙道の先生でした。

中学の時に突如として精神に変調をきたしてから、ひたすらそれを治すために瞑想しました。
oshoの瞑想や、軟酥の法は、その頃特によくやっていました。最終的には「日月神示」をひたすら毎日唱える事で、高校2年の時に治すことが出来ました。祝詞の効果は絶大でした。

その頃は、大本教に深い関心をはらっていました。その縁で、ある日雑誌にインタビューが載っていた、笹目秀和先生に、関心を向けました。
笹目先生は、大本教にも深く関わる仙人、つまり道士でした。

雑誌には連絡先が載っていました。
勇気を奮って電話してみると、オダさんという方が電話に出て、お話を聞いてくれました。オダさんは、笹目先生のお弟子さんでした。
 とても爽やかで、親切にお話をして下さいました。

それから、何かあったらすぐにオダさんに電話する日々でした。電話はお仕事先らしく、事務員さんがお電話に出られる事も多々ありました。
「社長、北さんから電話です」
昼間でも夜でも構わず、一回30分~長い時は60分以上相談の電話を週に何度もかける高校生の相手は、本当に大変だったと思います。
しかしながら、いつでも快活に私の悩みや相談を聞いていただき、また、励ましてくれました。
オダさんには本当に感謝しています。

オダさんの師匠の笹目仙人は、深い心の境涯と、瞬間移動などの不可思議な神通力で知られていました。
笹目先生とは生前は結局会えませんでした。
死後になりますが、10年程前、瞑想ばかりしていた時に、一度訪ねて来て下さいました。
応身というのか、仙人らしく、透明な身体で来てくれました。見つめても空気が人型に濃く揺らめいているだけで、身体を突き抜けて向こうにある洗濯物が見え、非常に驚きました。

オダさんには、色々な事を尋ねました。
出口王仁三郎や大本教とのつながり。
悟りの境涯の素晴らしさについてお話を聞き、それに対する興味と憧れも募りました。
「悟りというものは、誰でもその境涯に入れるものですか?」
「入れる。その世界には移行出来る。私は達磨大師や釈迦の十大弟子にはよくお目にかかるよ。」
達磨大師や十大弟子は、何か同じ精神的フィールドにいる、との事でした。

道教なのに達磨大師?と当時は思いましたが、達磨大師の面壁九年が、道教の陽神法をしていたのだ、という説を後に知り、なるほど、と思いました。

「そのような境涯に至るにはどうすれば良いんですか?」
「坐忘、という道教の瞑想を教えよう。道具も贈るよ」

オダ先生は、無償で瞑想の為の道具(シンボル)を送ってくれました。
坐忘は、イスに座って行う瞑想でした。
壁に漢字の「天」に似た縦3センチくらいの図形を貼り、それをひたすら見つめる、というものでした。
「これをすれば悟れるのですか?」
「悟れる。達磨大師や十大弟子に会う意識の世界に行ける。 物が発している声も聞こえるようになる。物にも気持ちがある。」
「へえ」
「息子が部屋を片付けてないと、物が悲しんでいる事を教えてあげるんだ。そうしたら、すぐに片付けてくれるよ。」

それからしばらく、部屋で坐忘の瞑想をしていました。なかなか進展が無く、色々相談しながら行をしました。
しかし、効果を感じられず、また興味が儒教や他の神秘主義思想に移り、いつしか電話もかけなくなりました。

 今だとわかるのですが、視線を一点に集める瞑想技法は、ヨガ等では「トラタク」と呼び、一時的に精神的な安定をもたらし、集中力を高めます。
 続けると、色々な変容意識状態に入っていきます。粘り強く続ければ、必ず効果はあったはずで、勿体無い事を私はしたなあ、と思います。

 しかし、初めて独学では無く、人に瞑想や宗教を教えていただけた事は大きな糧になりました。
また、自分が人の相談を聞く立場になり、当時私がオダさんに、いかに良くしてもらっていたか良くわかるようになりました。
本当に感謝しています。

今でもたまに、Googleで名前を検索したりする事があるのですが、引っかかる事はありません。
今もご健勝であればと思います。