お寺のお手伝い | 鶯梅院 住職のブログ

鶯梅院 住職のブログ

岡山市東区鶯梅院の住職のブログ

{7577F376-58C2-43CB-819F-8AF8AE91C119}
今日から、24日まで、岡山市内のお寺さんの大祭のお手伝いです。
色々なお寺さんに、お手伝いで使っていただきます機会があります。
40代になり、体力等は以前より、ずっと衰えています。しんどさを感じる事も増えました。
私は仕事が出来るタイプでは無く、失敗ばっかりしてる口ですが、しかしながら今年あたりから、お寺さんのお手伝いに楽しさを感じる事が増えてきたように思います。

体調を一時崩し、「引退」という事も一時頭をよぎった事もあります。
その時、お寺さん同士の付き合いでは無く、引退後、こうやってお祭りを手伝っていたとしたら、僕はどう感じるだろう、と頭の中でシュミレートしてみました。
「楽しい」
が答えでした。

私の仏教徒としてのスタートラインは、日蓮宗の檀家としてでした。お寺さんはロクでもない存在、という意識でした。
中学時代に唯識に出会い、仏教が好きになりました。しかし、葬式仏教は嫌いでした。
高野山で死者を弔う事の必要性を学び、それに携わる事への誇りも持ちました。
しかしながら、岡山でお寺に入り、「僧侶」としての理想(というかあるべき最低限の姿)と「お寺」の現実のギャップに、悩む事が増えました。

「お寺」というものは本当に必要性があるのか。仏教は滅びないが、ぶっちゃけ寺院は要らないのではないか、と考えていた時期もありました。

仏教は好きだが、お寺は長い間悩みの種でした。

しかし色々考えつつ、日々を過ごすうちに、いつの間にか「お寺」というものが本当に好きになっていたんだなあ、と最近実感しています。

お手伝いさせていただき、ありがたく思います。