阿字観指導者研修を終えて | 鶯梅院 住職のブログ

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高野山にて、阿字観指導者研修を受けてきました。一度受けた研修でしたが、フォローアップと言いますか、聴講をお誘いいただきましたので、受講してまいりました。

今回の参加目的は、自分自身を見つめなおし、
それと共に、阿字観について深く知見を得る事でした。

この度の研修は朝6時30分〜19時30分まで。
高野山の大師協会に籠ります。


半分は座学です。
事々無碍 。一念三千 。五大渉入。
三世十方全てのものは重なり合い、とけあっている。
そう言った言葉が今は響いてきます。
「私」という存在は、それを仮に区切ったものに過ぎないんでしょう。

実践においては、阿息観を中心に教えていただきました。

阿息観とは言っても、色々なやり方があります。
「ア」の音を発声し、音にひたすら集中するもの。
「ア」と胸に集中するもの。
「ア」の音が十方に遍満し、生きとし生けるものを救うとするもの。

色々なやり方がありますが、今回は
「地面からアの振動が体を上昇し
    自然と声になって前方に流れ遍満し
    ア音が地に入り
     地にア音が遍満して
     またア音が体を上昇して声になり・・・」
というものでした。(前回もそうだったのかも知れませんが忘れてました💧)

音が微細になるにつれ、背中を上昇する意識も微細になります。
身体感覚としては、センタリングを目的とした各種瞑想に近いでしょうか。
非常に素晴らしいものでした。

胸に集中する、阿字観などの瞑想との関係や、双方の感覚の勝劣についてお尋ねした所、
「この阿息観で軸を整えた後に、胸に集中する阿字観を、すれば良い」
というお答えでした。

なるほど。

次回の自分の所の座禅会から取り入れていきたいと思います。

個人的に色々あって、深く瞑想に入るのに、今回しばらく苦労しました。

やはり普段の鍛練不足によるもので、
「行法をもっともっとするべき」
「口だけで阿字観指導をしてはならない」
と、非常に厳しいお言葉をいただきましたが、それも当然かと思います。

とにかく、供養法の実践が全く足りてないないのは、実感としてあるので、出来たら1日2座ペースでいけたらなあ、と思います。

今回、僧侶だけの瞑想も非常に良いものだと改めて実感しました。
普段の自坊の座禅会とは、空気が全く違いました。

また、うかがえるのを楽しみにしています。
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