去る7月25日、イタリアの偉大なテノール歌手のカルロ・ベルゴンツィ氏が逝去なさいました。
1950年代のイタリア・オペラ黄金時代から活躍し、近年まで衰えない歌声を披露しました。

マリオ・デル・モナコ、フランコ・コレッリ、ジュゼッペ・ディ・ステファノ、
フラヴィアーノ・ラボー、アンジェロ・ロ・フォレーゼといった猛者たちとともに
イタリア・オペラ最高のテノールとして歌劇黄金時代を築いた巨大な獅子が倒れました。
彼らの中で現在まだ存命なのはアンジェロ・ロ・フォレーゼのみでょうか。



キラキラ矢印左:指揮者オリヴィエロ・デ・ファブリティス 右:カルロ・ベルゴンツィ


カルロ・ベルゴンツィといえば、デル・モナコやコレッリの華やかさに及ばないものの
端正な歌い口による気品ある歌唱が、特に音楽学者が評価する「理想的なテノール」でした。

中でもヴェルディの歌唱に関しては、もっとも理想的なテノールだったとされます。
デル・モナコやコレッリに比べると「ケレン味」がなく、それゆえに
「イタリア歌劇」の醍醐味であるアクの強い歌が聞けないベルゴンツィは
あまりに端正な歌い方が「教科書的」として、何かと地味に見られます。

しかし、ヴェリズモならまだしもヴェルディのオペラに関しては、ことさらに
ケレン味を強調するよりも、激しいテンポに支えられた音楽を端正な歌い口で
流麗に歌い上げるベルゴンツィの歌唱が、実はもっとも理想的な形だったのでしょう。


かくいう僕自身も、実はデル・モナコとコレッリの強烈な歌いっぷりに心酔するあまり
ベルゴンツィの「地味すぎる」歌唱には強い愛着を抱けない想いをいまだに持っています。

しかしながらヴェルディの音楽をもっとも純粋な形で聞くということであれば
やはりベルゴンツィが理想的であり、この他にはわずかに偉大なエンリコ・カルーソと
過小評価されたフラヴィアーノ・ラボーの3人だけと言えるでしょう。

ケレン味のあるスリリングな歌の魔力を堪能するならデル・モナコ、コレッリ、
ディ・ステファノがBEST3とするならば、歌本来の純粋なメロディを楽しむなら
カルーソ、ベルゴンツィ、ラボーがBEST3と言えるのではないでしょうか。

ベルゴンツィのような贅肉をそぎ落としたしなやかな歌い口は
真摯に「歌」と向き合ったからこそなのであり、近年の
スキャンダラスな過剰演出に汚された歌手には絶対に歌えない……
というより歌わせてもらえないストイックな歌い口なのでしょう。



キラキラ矢印『アイーダ』といえば個人的にはやはりコレ、1959年カラヤン指揮版『アイーダ』


ベルゴンツィのレパートリーの中で最も印象的な役を挙げるならば
やはりヴェルディの『アイーダ』におけるラダメスにとどめを刺します。

ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮で録音したDECCAの『アイーダ』
レナータ・テバルディのアイーダ、ジュリエッタ・シミオナートのアムネリス
という理想的なキャスティングで、ラダメスはベルゴンツィでした。

カラヤンのイタリア・オペラ解釈に大いなる違和感を抱いている僕ですが
この1959年に録音された『アイーダ』に関しては細かな文句を言うなど
はばかられる位に理想的なキャストと、ヴィーン・フィルの立派な演奏でした。

個人的には1953年にDECCAでテバルディのアイーダ、デル・モナコのラダメス、
アルベルト・エレーデの指揮で録音された『アイーダ』も名演だと思いますが
やはり1959年という時期にテバルディ、ベルゴンツィ、シミオナートが
その最も脂ののった美しい時期の歌声を響かせているという点で
カラヤン嫌いの僕でさえ『アイーダ』と言えば1959年のカラヤン盤を推します。

凛とした張りのある強い声の中に繊細な女心を感じさせるテバルディのアイーダ、
テバルディを凌ぐほどの威厳ある歌声の中に女性心理の複雑な綾を歌い上げる
シミオナートのアムネリスが素晴らしいのはモチロンのこと、2人の偉大な
女声歌手にはさまれながら、気高い英雄の歌声を端正に歌うベルゴンツィの
ラダメスもまた、ヴェルディが描き上げる重厚な音楽を真摯に奏でました。

本当はラダメスには、デル・モナコかコレッリのほうが……という想いも
少なからずあるのですが、徹底して重厚な『アイーダ』の演奏を目指すなら
ケレン味の強すぎるデル・モナコやコレッリよりも、地味ながらも
堅実で端正な歌声のベルゴンツィという選択もまた、オペラの一つの
理想形なのでしょう。



キラキラ矢印左:カルロ・ベルゴンツィ 右:ピエロ・カップッチッリ


特にベルゴンツィが驚異的だと思うのが、そのレパートリーの広さでした。
セラフィンの指揮で録音したプッチーニ『ラ・ボエーム』では
レナータ・テバルディを相手にロドルフォを歌い、端正な歌い口で
若き芸術家の繊細な心理を歌い上げていました。

また、ヴェルディ『椿姫』ではジョーン・サザランドの相手役として
アルフレードを歌っていましたが、これらはいわゆる
「リリック・テノール」のレパートリーです。

いっぽうでベルゴンツィは『イル・トロヴァトーレ』のマンリーコや
『アイーダ』のラダメスといった激しい役柄も歌っており、一般的には
こちらの方がベルゴンツィの本来の魅力が引き出された役柄と言えるでしょう。


これらのレパートリーを両立させるのって意外と難しいことで
アルフレードやロドルフォを歌いながら、マンリーコやラダメスも
歌うといったレパートリー選択をしていたら大抵のテノールは
発声がおかしくなって早くに声が荒れてしまいます。

二期会や藤原といった日本のテノールは大抵こういう無茶なレパートリーを
組む歌手が多い印象があるのですが、そういう歌手はすぐに声が荒れますね。

『ラ・ボエーム』を歌っても『イル・トロヴァトーレ』を歌っても
常に気品ある端正な歌い口で聴く者を納得させ、なおかつ発声のフォルムを
崩さずに長らく歌い続けることができたベルゴンツィは、派手さはないものの
音楽と真摯に向き合い続けた稀有な歌手だったと言えるでしょう。

90歳という高齢を思うと天寿を全うしたと言うべきなのでしょうが
不世出のテノール歌手の訃報は年齢を考えても寂しいものがあります。

今ではオペラ歌手というと南米と東欧の歌手に席巻されてしまい
イタリアの歌手が素晴らしい歌声を聴かせてくれる機会は減ってきています。
今はただ、ベルゴンツィ、デル・モナコ、コレッリ、ラボーたちが
美声を競っていたかつてのイタリア・オペラ界の華やかさに
想いを馳せるばかりです。