鰐淵晴子という女優。

前回、松尾嘉代について書いた際に、『八つ墓村』(1978年)で
嘉代さんと共演した鰐淵晴子の名前が挙がりました。

70年代から80年代にかけての怪奇・サスペンス系の映画・ドラマにおいて
独特の存在感を示した女優として、両者とも特筆すべき存在です。



鰐淵晴子もまた「悪女」を演じて輝いた女優でした。
ただしその芸風は松尾嘉代とはだいぶ違っていた印象があります。

「硬」の松尾嘉代に対して「軟」の鰐淵晴子、あるいは
「動」の松尾嘉代に対して「静」の鰐淵晴子…とでも言えるでしょうか。
あるいは、「トスカ」の松尾嘉代、「マノン・レスコー」の鰐淵晴子と
言っても良いかもしれません。

松尾嘉代が「毒婦」を演じて天下一品だったのに対して
鰐淵晴子は「魔性の女」…これは似ているようで実は似ていないのです。

松尾嘉代が演じた悪女は多くの場合、愛欲と虚栄心の世界に生きています。
つまり松尾嘉代の悪女は狂人ではなく、あくまで悪意にみちた策略のもとに
罪に手を染めます。そしてそれがサスペンスを生むのが松尾嘉代の芸風でした。

しかし鰐淵晴子が悪女を演じるとき、その悪女は純粋な狂気の世界に生きています。
鰐淵の悪女は退廃と幻想の世界の住人であり、常人には理解のできないような
怪奇な宿命のために罪に手を染めるとき、悪女としての魅力を発揮します。


嘉代と鰐淵が共演したのは唯一、毎日放送の「横溝正史シリーズ」における
『八つ墓村』だったのは先述の通りで、鰐淵がヒロイン・森美也子を演じました。

ただしこの森美也子役は、松尾嘉代の持ち味でこそ生きる役であり
鰐淵晴子の美也子も悪くはないのですが、理想的とも言えないと思います。

鰐淵晴子の個性が最良のかたちで活かされたのが何といっても
東映映画『悪魔が来りて笛を吹く』(1979年)における椿アキ子役でしょう。

容貌、表情、まなざし、口調から陽炎のように漂うデカダンスの香り。
椿アキ子というキャラクターをこれほどの説得力で演じた女優は他にいません。

鰐淵晴子はデカダンスの女優であり、現実的な松尾嘉代の悪女とは対極にいます。

ちなみに鰐淵にしても松尾嘉代にしても、日本の数多い名女優の中で極めて
異質の存在であったと思っています。むしろ彼女たちはイタリア映画の
ヒロインに近い個性を持っていたのではないでしょうか。

鰐淵晴子と松尾嘉代は、ともに乱歩・横溝的な世界観の中で魅力を発揮しましたが
松尾嘉代が「怪奇映画」よりも「犯罪サスペンス」において本領を発揮したのに対し
鰐淵晴子は怪奇幻想色の強い作品においてその個性を輝かせた女優でした。



鰐淵晴子は1945年4月22日生まれ。
日本人離れした容貌でも分かるとおり、母親は名門ハプスブルク家の
末裔の一人であるオーストリア人でした。

イタリア映画音楽の名手ピーノ・ドナッジョと同様に、幼いころに
少女バイオリニストとして注目を集め、コンサートの舞台に立ちます。

1952年には、その美貌を買われて7歳で映画デビュー。
3年後、10歳で『ノンちゃん雲に乗る』(1955年)に主演して以降は
映画で「あんみつ姫」を演じるなど、美少女スターとしての
キャリアを築くのでした。

60年代までは清純派として活躍した点で松尾嘉代と重なるのですが
松尾嘉代が早い時期に妖婦女優としての才能を発揮したのに対して
鰐淵晴子は美貌だけが売りの役柄が長く続いてしまい、そのために
鰐淵に「美貌だけの大根女優」というレッテルを貼る向きもありました。

そんな鰐淵晴子が初めて「悪女女優」に挑んだ記念すべき作品が
1972年にNHKで放送されたテレビシリーズ『明智探偵事務所』(1972年)。
鰐淵は江戸川乱歩の最高傑作『陰獣』をドラマ化した『夏の恋』
妖艶なエロスの下に秘密を隠した小山田静子夫人の役を演じたのでした。

夏木陽介が明智を演じたこのドラマは、NHKが映像を破棄してしまったため
27歳の鰐淵晴子が演じた静子夫人の演技は幻のものになってしまいました。

NHK製作、1時間枠という短すぎる尺に収められたドラマということで
松竹映画『江戸川乱歩の陰獣』(1977年)や、同じく『陰獣』を映像化した
『土曜ワイド劇場』の『妖しい傷あとの美女』(1985年)に比べれば
とうてい満足できる出来栄えではないだろうと分かってはいます。

しかしそれにしても鰐淵晴子の小山田静子…それを見るだけで
充分に価値があった筈です。
願いがかなうことなら鰐淵の小山田静子を、原作に忠実な
『陰獣』の映像化作品で見てみたかったと、思わざるを得ません。



『夏の恋』から2年後には日テレのサスペンス専門番組『火曜日の女シリーズ』の
後を継いだ『土曜日の女シリーズ』における『鏡の中の顔』(1974年)に主演。
原作はアンドリュウ・ガーヴの傑作ミステリ『遠い砂』

一目惚れの末、性急に結婚した明(関口宏)。
妻となった順子(鰐淵晴子)には京子(鰐淵晴子)という双子の姉がいた。
ある日、京子の恋人が何者かに殺され、明は京子を疑うが、双生児特有の
テレパシーにより順子は、京子にも危険が迫っていることを知る…。

このドラマを僕は見たことがないのですが、鰐淵晴子という女優の
適性をうかがわせるに充分なストーリーであるように思います。
営利目的の犯罪を暴く生々しい犯罪劇よりも、むしろ謎にみちた
幻想的な雰囲気の中で、ミステリアスに進行してゆく怪奇なサスペンス劇。

前年の『エクソシスト』(1973年)のヒットによるオカルト・ブームの渦中であり
それを受けた本作では「テレパシー」というオカルト現象を、殺人事件の
謎を追うミステリー・ドラマに組み込むという試みが行われていたようです。

テレパシーをもつ女…という奇異な性質の女に、鰐淵晴子という浮世離れした
容貌と個性をもった女優は、さぞかしハマりにハマっていたことでしょう。
そして鰐淵が演じるのは超能力で繋がれた双子の姉妹…これだけで期待が
ふくらみます。鰐淵晴子とはこうした俗世間から孤立したような、異世界を
感じさせるキャラクターを演じると非常にハマる女優でした。


そして1977年、一般的に鰐淵の代表作として題名が挙げられることが多い
『らしゃめん』(1977年)に主演したのですが、個人的にはこの作品は
鰐淵の妖艶な美貌をじゅうぶんに活かし切れたとは言えないと思います。
それというのも、当時の鰐淵の夫だった写真家・タッド若松が撮影に
過干渉を行い、牧口雄二監督の狙いからはかけ離れた作品になって
しまったのでした。

むしろ鰐淵の個性を引き出したのは、彼女の出演シーンは少ないとはいえ
同年に大林信彦が監督した『ハウス HOUSE』(1977年)ではないでしょうか。

思い起こせば『ハウス HOUSE』こそ、僕が初めて鰐淵晴子を目にした映画でした。
この作品での鰐淵の出番はほんの僅かであり、しかもラストでは意味も
分からずに鰐淵は炎に包まれて、わけが分からないまま終わります。

しかし『ハウス HOUSE』で僕が見た鰐淵晴子の面影は、その後も
ずっと僕の脳裏に焼きついたまま離れませんでした。
映画に登場した「美女」を思い起こすときに、名前も知らなかった
鰐淵の面影は、僕の脳裏にハッキリと現れることになるのでした。

凡百の美人女優では替えが効かない、鰐淵晴子ならではの役柄
だったと思います。まるで夢の中から抜け出してきたかのような
浮世離れした美女。
思春期の少女が、父親を奪われるという危機を感じるのも
無理はないと思わせるような、異世界の住人のような女。


そして翌年の1978年、ブームの只中にあった横溝正史のミステリを
毎日放送でドラマ化した『八つ墓村』(1978年)において
鰐淵晴子はヒロイン・森美也子を演じることになります。


つづく。