別に陸上競技をやってたわけではない。
特に陸上競技が好きなわけでもない。
でも、
何故かしら、この箱根駅伝だけは見ていて面白い。
そして、感動する
それには、いろんな理由があるのだが…。
一番は、
「ひたすら走って襷をつないでいく」
という単純明快さである。
人間って、
万物の霊長であると驕り高ぶって、他の動植物を食い物にしているだけでは?
自然をどうにかしてやろうなどというのは、
最初から負けるとわかりきっている無謀な戦いなのだ!
なのに、浅知恵の大義名分を掲げて環境を破壊し、自然を攻撃し続けている。
おっと…、
突然、話が違う方向へ進みだしたので、元へ戻します。
まっ、要するに、「走る」ことに関しては、人間より勝っている動物がたくさんいる。
なのに、動物より劣っているところで、がむしゃらに競い合う姿がとても素敵だ
何事にも当てはめることが出来る、人間にとって必要な姿勢だと思う。
車や宅配業者を使うのでなく手(足?)運びで「たすき」を届ける。
決められた区間を選ばれた只一人の責任で。
途中で新しい「たすき」を用意するのは簡単だし、その方が綺麗だ。それなら、届かなくても大丈夫。
でも、それでは駄目…。
繋がってきた一つの「たすき」だからこそ意味があるのだ。
繋げなければならないのは「たすき」その物じゃなく、
それに込められたもの。
自然という大いなる生命は、遠い過去から繋がってきての「今」である。
それは同時に、遠い未来へ繋がっていくであろう「今」でもある。
いや、未来へ繋げていかねばならない「今」である。
私たちは、その「一区間」を与えられているのだ。
過去から繋がってきた「たすき」を次に繋げていく責任がある。
私利私欲にまみれた「偽たすき」
社会の歪みや心の弱さから生まれた「偽たすき」
僕は、どんな「たすき」を掛けて走っているのだろう…。
未来へ繋げてはいけない「偽たすき」を掛けて走ってないだろうか…。
いや、「走る」ことそのものを止めてしまってはいないだろうか…。