“探検と登山の世界では、マロリーとアーヴィンに何があったのかという疑問は、いまだに解けない最大の謎だった。”

“ぼくは何があったのか知りたかった。その謎を解きたかった。そう、だから、それを取り憑かれていると言うなら、まさにその通りです。”


( ̄ー ̄)v- 本書の著者(共著者)ヨッヘン・ヘムレブの言葉。


『そして謎は残った/伝説の登山家マロリー発見記』


ショッキングな表紙ですが、これが1999年5月1日にエヴェレスト北面の標高8160mで発見されたマロリーの遺体。今もそこで眠っています。


本書は前回紹介した『エヴェレスト初登頂の謎』の著者トム・ホルツェルはじめ、何度も派遣された英国の捜索登山隊にも成し得なかった「マロリーの遺体発見」を果たした米国隊の活動記録です。


名前から分かるようにヨッヘン・ヘムレブはドイツ人で、子供の頃からヨーロッパ・アルプスで鍛え上げ、大学で地質学を専攻するかたわら、アルプスの4000m級の山を45座も登り切り、海外にも登りに行ってるつはものでした。


( ̄ー ̄)v- まだ26歳で、部屋には「地質学の資料はごくわずかで、あとは全部エヴェレスト関連」というコアな人。


その彼をマロリーとアーヴィン捜索へと誘ったのが、1987年、彼が16歳の時に両親からクリスマスプレゼントに貰った『エヴェレスト初登頂の謎』でした。


( ゜д ゜) ……2人のことは前にも読んでいたけれど、なぜかあの本に夢中になった。


『エヴェレスト初登頂の謎』を書いたトム・ホルツェルは、本を出版した後の1986年に自ら捜索隊を率いてエヴェレストに登りましたが、悪天候のため捜索できる高さまで到達できませんでした。


( ̄∀ ̄)v- この時まだ少年だったヨッヘン・ヘムレブは、後に先達トム・ホルツェルの悲願を果たしたんですな。


ヘムレブは1924年の英国隊の詳細な記録を集め、彼らが撮った写真を細かく調べ、エヴェレスト北壁と北東稜の地図を見比べます。それは登山家の目線で「新しいルートを探す」ことで、彼はそうして調べた内容をインターネットに発表しました。


その時はまだ安楽椅子探偵の感覚で、「論として書いた」くらいの気持ちでした。しかし1998年の6月に、米国に住むラリー・ジョンソンという人物からEメールを受け取ります。


ヾ( ゜□ ゜) あなたの研究報告を読みました。私もエヴェレスト北面の、とくに戦前の英国の遠征隊に興味があります。

( ゜д ゜)/ 読んで下さってありがとうございます。


ヘムレブは形式的な返信を送りますが、その時にふと「いつかマロリーとアーヴィンを探しにエヴェレストへ行きたい」と書き添えました。-----それがわずか1年後、意気投合してスポンサーを募って現地に行くことになる。


(; ̄∀ ̄)v- 人生、分からんもんですね。


こちらは先の『エヴェレスト初登頂の謎』よりはるかに読みやすく、とっつき易い印象です。謎解きも丹念になされており、映画的でさえある。



まずは先の『エヴェレスト初登頂の謎』から引き継がれるミステリーから、ボチボチまいります。