71. 哲学 島田紳介 松本人志  幻冬舎 | 地域に笑顔を! 日向亭葵のエアリハ講演会

地域に笑顔を! 日向亭葵のエアリハ講演会

おしゃべりテーションの会 全国の高齢者に介護予防を笑いで伝える専門家 日向亭葵

2年ほど前に古本で100円で買って、

ずっと置きっぱなしになってました。
 
読みやすい本ですが、、、
 
 
どんな指南書より、
どんな専門書より、
 
 
私に必要だったのはこの本です!!
 
 
 
今の自分の立ち位置や、ここに至った気持ちの変化が、整理できました。
 
 

 
今でこそお笑い理学療法士として活動していますが、
まだ私が理学療法士と社会人落語家の二つの顔を持っていたころ。
 
とにかく理学療法士の世界で上を目指すことは自分には無理だと気付いてました。
勉強は誰にも負けない程やりましたし、社会経験もありましたから、スムーズに理学療法士としてスタートをきれました。天職だとも感じていました。
でも上を目指すということは、知識や技術のさらなる習得ではなく、この世界で周りに気を遣いながら生きていくことが窮屈でストレスで、敗北感の連続になることが私の性格から簡単に見えていたからです。同級生の中でも理学療法のセンスは無かったと思います。現役生のような柔軟な発想が壁でした。だからそこ人の何倍も努力してセンスの穴埋めをして…センスの無さを隠して…背伸びしてました。
この世界は凄い人ばかりですから、同じ土俵に立つことははじめから避けていました。しかも何十年のベテランでも今日入った新人でも、同じ時間リハビリをすれば、同じ料金です。理学療法さえできれば、売上的には人件費の安い人間の方が経営側には都合がいいのです。
 
どうやってこの世界で生き残っていくのか。大きな課題でした。
 
私の結論。
理学療法しかできない理学療法士にはならない。
 
自分が信じる理学療法士像を一人追いかけ、目の前の方々から頂く感謝の言葉で自分の成長を確認していました。
 
 
一方、趣味ではじめた落語では、初心者にしてはセンスがあることは、口にこそしませんでしたが自覚してたと思います。
だからこそ自信を持って大会で日本一を目指せてましたし、実際に人前で落語をする機会を自分で企画して行動もしていました。
でも、プロの落語家になろうとは思ったことはありません。アマチュアの会に積極的に出ることもありませんでした。落語はプロの噺家さんのもの、その意識が落語を学ぶごとに強くなっていきました。
 
 
でもなぜ私はセンスの有無に気付いたのか?
 
 
負けず嫌い、指示されるのが嫌い、人前で目立ちたい、わがまま、内弁慶、お山の大将、言うことは大きくても気が小さいので何もできない。
そんな自分勝手な人間が組織や集団で生き生きできる訳がない。
居心地のいい一人になって、漫画を読んだり、アイドルのDVDを見たり、お笑いのテレビ番組を見て笑ってることが好きでした。
 
 
今から思えば、笑うツボをいっぱい仕入れてきた人生なんだと思えます。勘違いしてもらいたくないのは、あくまで自分が笑うツボであって、人を笑わせるツボではないということです。
 
 
だからそこ、人を笑わせるために、自分が面白いと思ったネタをコピーするかのように自分のストーリーにはめ替えて、友達の前で話をしていったんです。人と話す練習です。そしたらめちゃくちゃ笑ってもらえたんです。こんな嬉しいことはありませんでした。
 
高校〜大学時代で私は、笑う側から、笑わせる側に移りたいと決めていました。でも気が小さいというコンプレックスはなかなか私に2歩目を踏み出させてくれません。
 
そこで、色んなことにチャレンジして、強い男になりたい、そのために勇気を出す練習をしました。それが海外武者修行、一人で一年海外ボランティアです。気分はプロレスラーです。
 
 
他にもたくさんチャレンジしました。本もたくさん読みました。自分が少しずつ変わってきていることも実感できていました。
 
 
落語をすることが楽しくて仕方がない、でもその落語の世界でも、理学療法士の世界で感じたように、自分の心地よい居場所がありませんでした。
まだ理学療法士は「狭い」というとで居場所を感じられなかったのですが、社会人落語に携わっている職種が「とても広い」ので、居場所がない感じでした。
だから落語でも一人で活動する方が気が楽でした。
 
 
落語は趣味。
本職は理学療法士です。
 
 
理学療法士界を変える!
新しい生き方を見つける!
誰の言いなりにもならない!
でもこの世界でテッペン取っても、社会からはそれほど認められない、それだけ理学療法士は社会に認知されていない。
 
私は掟破りな理学療法士だと思います。理学療法士でありながら、いち早くこの世界から距離をあけたからです。
運良くたまたまエアリハという、落語と理学療法の融合から生まれた武器を持つことができましたが、
相当もがき苦しみました。
 
 
数年掛けて、試行錯誤して、今があります。
ここにはたくさんの方々が関わって下さり、めちゃくちゃ辛い思いもしてきましたが、今回は割愛。
 
 
自分のキャラもよく分からなかったのですが、
私はボケではなく、ツッコミということも、この間に確立できました。
 
 
ここでやっとこの本ですが、
「ツッコミは努力で上達するものだが、ボケは生まれつきのもので、努力は一切関係ない」と紳助さんが書いています。
 
そして松本さんは「芸人はそれぞれ山を持っていて、そのてっぺんに君臨して守ろうとしている。人の山に登ることは絶対にないし、誰かを自分の山に登らせようともしない」と言ってました。
 
 
私は見様見真似で磨いてきた話術やセンスで、
特に人をツッコむことで、会場に一体感を作り出し、講演会場に笑いを生み出すことに成功しました。
なので、面白いことで笑わせてるんじゃないんです。
一緒に楽しい講演を作ってる感じです。

 
 
理学療法士という山に登らず、そしてお笑いという山にも他の療法士は入れないでしょう。
たとえ入れたとしても、リハビリと笑いという2つをやっているだけで、融合させた新たな山を作ってないので、1+1=2にしかならないんです。
 
 
エアリハ講演という私だけの山が見え、しっかり手入れをしています。
たくさんの高齢者が私の山を選んで、笑顔で「登山」をしてきて下さいました。
だからこそ、何かに特化した理学療法士の中でもしっかりと存在感を出せているのだと思います。
エアリハは地元高齢者に始まり、社会福祉協議会・市役所・県庁など全国の行政から求められ続けているんだと自信へと繋がりました。
 
 
医療・介護専門職からは
「お笑いを取り入れた視点はマネできない」と言われます。
 
講演ご依頼先からも、
「皆さんの笑顔を見れることが本当に嬉しい!」と言われます。
 
 
好きなことをすれば成功する、そんな容易い話ではないです。
簡単に自分の山は見つかりませんし、チリも積もれば山…なんて話でもないです。
 
コンプレックスに隠れた自身の光るセンスを見つける!
 
負けたくない。この一心。
何に負けたくないのでしょう(笑)
 
 
 
よく、全員から好かれようと思うなとか、全員を笑わせようと思うな的なことが言われます。
 
 
でも、私は会場の方全員から良い講演やったと言ってもらいたいですし、全員を笑顔にしたいんです。
この気持ちを今でも持ち続けていることが、私がここまでやってこれた秘訣だと自信を持って言えます。
 
地元広報にはじまり、地域新聞、出版、ラジオ、ローカルテレビ、数千人規模の講演、全国ネット出演まで、憧れていた夢は全て叶いました。
 
大したものは買ってませんが、DVDとか服とか趣味のコレクションとか欲しいものは買いました。
でも物欲が満たされると、、、気付いたことは孤独をどんどん背負っていることでした。
 
とにかく寂しい。何をしても虚しい。
 
遠い世界の話ですが、この先、もし、、、高級腕時計、高級車、豪邸、自家用ジェット機・・・
欲しいものを次々と手に入れても、それで世間から目立っても、心の寂しさは埋まらないだろうな。。。
 
きっとお金持ちは、寂しいに違いない!って思えるんです。
 
 
このまま歳だけとってどうなるんやろ…
そんな時のコロナでした。
 
 
最初はコロナ禍で仕事もなくなり、貯金も減り、投資で大損もし、元の生活が奪われて悲しかったですが、
でも新たに得たこともあります。
 
家族といる時間が増え、笑顔が増え、自分から積極的に関われる心身の余裕ができていました。
絆を紡ぐことができたことです。
人との繋がりこそ、生きてる実感です。
 
 
今は時間がたくさんあります。
元日から良い読書ができました。
 
 
今年は新たな気持ちで講演を周れるに違いない。
ますます幸せが分かち合える気がしますウインク