自分に還る、自分を生きるというのは
 

今ここでどうしたいのか

 
という問いを
 
自分の中に(世界に?)投げかける
 
これを続けることなんだと
 
最近改めて思う。
 
 
 
20年くらいずっと続けてきたのは
 
結局それだったんだと。
 
 
 
最初のうちは問いかけても
 
答えらしきものが湧いてこなかったり
 
ちなみに答えらしきものは
言葉として
身体感覚として
イメージとして
以前の記憶として
など内から湧いてくることもあれば
 
他の人から聞いた何か引っかかる言葉
何かふと目についた言葉やもの
出来事
匂いから思い出した記憶
など外から伝えられることも
 
 
湧いたような気がするけど
自信が持てなかったり
 
湧いたけど怖くてないことにしたり
 
分かってても現実の行動に反映できなかったり
これは今もよくある(笑)
 
そのことを責めてしまったり
今は責めないで怖いからしょうがないよねと開き直る
 
という感じだった。
 
 
 
やってるうちにだんだん上手く?なって
 
気付けるようになってきたし
 
気付きをより信じられるようになってきた
 
これを自信と言うのかもしれない。
 
 
 
結局自分でやることは
これも自分でやってるかは分からないとこもあるけど
 
問いかけること
 
 
気付くこと
 
だけなのかもしれない。
 
そしてそれでいいのだと思う。
 
 
 
でもその先には
 
問いかける
 
 
気付く
 
すら意識しないステージも
 
あるように感じる。
 
 
 
問う主体も
 
気付く主体もない
 
ただある
 
というのはそんな感じなのかもしれない。
 
 
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