今日は母の日。

最近母の事で思い出した事があるので書いておく。

 

先月、娘と恵比寿の姿勢調整に行った時

娘の背骨の状態をみていただいて

色々教えてもらい

私は、早く来れば良かった。治療しなきゃ!

という気持ちになってしまい

しばらく通おうね、と勝手に決めてから

娘に無理矢理承諾をもらおうとしていたんだけど

その時に、姿勢の先生が

親がだめって言って、通えない子もいるんだよ。

というニュアンスのことを言って下さって

そういえば、と自分の子どもの頃を思い出したのでした。

 

私は中学高校の頃、、まーー肩こりがひどくて(腰痛はなかった)

母が それはもう色んなところに連れて行ってくれたのだけれど

どこもあんまり効果がなく、最終的には、まあ我慢??みたいな感じで

大学進学と同時にうやむやになっていたのだけれど

整形外科、整体、カイロ、もぐりの怪しい先生

覚えてるだけで6か所は行っている、そしてどこも何回かは通っている。

お金のことを言ったら、さぞかし盛大に注ぎ込んでもらったろうなと思う。

 

私は産まれた時、逆子でへその緒が首にまいてしまって

お医者様が引っ張ったから股関節脱臼したとか

その時の影響かしらないがしゃけいだと言われたとかで大変だったらしい。

(しゃけいが何だかも未だにわかってはいませんが)

 

子どもだったので、全然考えもしなかったけど

私の肩こりがひどかったことに、母は責任を感じていたんじゃないだろうか。

股関節のほうも、母自身が股関節が悪かった事もあって(こちらはのちに手術)

中学上がる頃まで、川崎にいた遠縁の先生のところにたまに通っていた。

これも、良くわかってなかったけど、ごめんねって言われてた。

先生に、もう大丈夫だと思うから通わなくていい、と言われた時

私よりも母の方が、ホッして喜んでいた。

 

こういったことは、今の私の日常からは遠くて淡い思い出で

そういえば、こうだったけな~と良く覚えていないくらいなんだけど

今 改めて、自分と娘のことを母と自分のことに置き換えると

 

母は自分のことを責めていたんじゃないかな って思う。

責めたってどうにかなるわけじゃないけど

そんなことも解ってたと思うけど

責めずにはいられなかったんだろうな。

(私の勝手な妄想ですが)

 

お母さん、ずっとわかってなくてごめんね。

でも、今までぼちぼち折り合いつけてやってきたし

この歳になると

お母さんが産んでくれた身体っていうより

私の身体の使い方の問題が大きいと思うんだ。

私、この身体気に入ってるし

産んでくれて本当にありがとうね。

肩こりを良くしようと頑張ってくれて、それもありがとう。

お金の事とか。お母さんも通ったりするの 大変だったよね。

してもらうの当たり前のだと思ってたんだ。

 

 

奥の気持ちは

ありがとうと 気に入ってるかな

お母さんに産んでもらったからだ。

私の大切なからだです。

大事にします。