CT検査と点滴のこと | 一条の光~ダブルストーマ(人工肛門・人口膀胱)と日常と

一条の光~ダブルストーマ(人工肛門・人口膀胱)と日常と

大腸がん治療のため骨盤内臓全摘術を受け、人工肛門と人口膀胱(ダブルストーマ)を持つことになった41男が、ストーマや日々のことをつづります。17年11月に局所再発が見つかり、現在そいつと向き合っています。

今日はCT検査のために病院に来ています。造影剤付き。
 術後2年が迫り、半年ごとの検査もこれで4回目。
 わたしは基本的にこの病院が好きなので、それが不安や恐れが少ない1つの原因かもしれませんが、この検査のたびに半年ごと時間が進んでいることを確認しているような感じになります。
 今日CTをとって金曜日に結果を聞きに行くことになりますが、昨晩妻が、金曜日まで不安でたまらない、と言っていました。
「本人より不安になってどうする!」
 って冗談交じりに言ったけれど、「冗談」とは受け取れなかったみたい…。

 検査の時、みなさん色んな感情が入り混じると思います。
わたしは正直に言うと、
 自分の好きな人たちとの生活をずっと続けていきたいとは思いますが、
 人はどうしても死んじゃうということも理解してしまったので、
 どこかでその生の期限を決めてもらって、そこまでにできる目標を決めて、精一杯生き切る、
 というのもいいな、と思ってしまうのです。

 だから検査のたびに思うのは、
 まぁ、今の所小さなガンが出来ていても、何年かは生きられるっしょ?
 だったら上出来かも
 という事です。

 家族はこんなこと聞くの嫌だろうなぁ
 でも、いつも偽らないようにしてるから、許してちょうだい。

  こう考えているのも、結局の所、死がいつ来てもいいように覚悟を決め続けているからでしょう。
 そうしてないと、いざっていう時に心が全部もっていかれてしまう。
 死ぬことよりも、生きている間にそんな苦界に投げ込まれることの方が怖い。
 だから一生懸命心をコントロールしようとしている。

 意図した、強烈な、自己暗示

でも、年単位で生きていれば、そんな精神状態は長くは続かない。
 だから人間には、「おれ?死ぬ訳ないじゃん!」って思える回路が備わっているのでしょうね。

 「死ぬ訳ないじゃん」回路と、絶対死んじゃう事実と、その2つの道を往還しているようなものです。

 実際の所、最近、日常では死ぬとかいうことを忘れています。
 術後に思い立った新しい目標もできて、それをどうやったら実現できるか、ということに夢中になっています。
 だから、自分はこれから先10年も20年も、70歳までも生きていられる感覚になっています。
 そんな楽観視してていいの?って自分でツッコミを入れるくらい笑。

 だけど、普通であれば予後の厳しい手術をしている身、そのことを時々思い出します。
 例えば、主治医が、「同じ手術で10年生きている人もいる」と言ったけれども
 それはすごい!と思う反面、そんなふうに言うくらいだから10年ってのは例外なのかな、とか。
 だったら、おれに残された時間はどのくらいだろう、とか。
 そんなことをふと、昨晩きゅうりを炒めながら思ったりする訳です。

 この記事、どこまで行っても堂々巡りなのでこの辺にしますが、

 自分でこの思考の往還を打ち切る時は、
 思考が矛盾するのは自然なことだ、陰陽合一だ、と言い聞かせています。
 
 あれ、こんな記事にするつもりじゃなかったのに笑。